シンデレラ・ファイト外伝
「おんどりゃあああああああああああ」
むかしむかし、華やかな空間に似つかわしくない雄叫びが響き渡りました。声の主は、中心に設置された上品な装飾のリングに立ち、艶やかな黒髪をさらりと払いました。彼の前には、背負い投げをモロにくらって泡を吹いた男が転がっています。
「出直してらっしゃい!」
勝者への喝采を浴び、高らかに叫んだ緋色の着物に身を包んだ美女ーーもとい、金太郎というれっきとした男性。彼は、次にリングへ上がるであろう“本命”のために闘技ドームを後にしました。
□■□
手の内を明かさず、暴かず。暗黙の了解により、金太郎は庭園のベンチで寛いでいました。金太郎は地面へ突き刺した斧を、手持ち無沙汰に指で弾いていました。ちなみに熊は、武闘会名物のパンプキンポタージュを買いにパシられています。
「なんだか和洋折衷ねえ」
独特の少し間延びした声が落ちてきました。金太郎が振り返った先には、雪のような白い肌に赤い唇、黒い髪。白雪姫は当たり前のように、彼の隣へ腰掛けました。金太郎も慣れた様子で裾を避けていました。
「あんたも和風っぽいわね」
「お着物、似合うかしらあ」
「いきなり送ってくる奴は要注意よ。狼だから」
「じゃあ、たろちゃんに見立ててほしいわあ」
白雪姫は細い指で、金太郎の長い髪をいじります。掬っては流し、掬っては流しと繰り返していました。
一方の金太郎は、なにが楽しいのかさっぱり思い浮かびません。しかし、止める理由もなく、白雪姫の考えも読めるものではないので、そのままにしていました。
そんなのんびりとした二人の前を、純白の羽根が通り過ぎました。どう見ても天使です。
「……ギリシャ神話の連中、また来ているの?」
「そうみたいねえ。今年の運営委員は、髪長ちゃんだったかしら」
「絶対追い払えないじゃない」
王子の魅力なのか、武闘会へ参加したいという申し込みが後を絶ちません。かくいう金太郎もその一人です。自宅の裏山で修行をしていたシンデレラを通じ、王子に惚れ込んだのでした。
「ちゃんと私の時に言ったんだけどねえ、王子の出る幕もないお話は不可って。
誰かさんみたいな例外がいるからかしらあ?」
金太郎は罰が悪そうに目を逸らします。
前年度の運営をしていた白雪姫は、そんなことを言いませんでした。ただ、神が相手ではおとぎ話が成立しづらいと、“普通に”説得しただけでした。
ちょっとした意地悪です。くすくすと顔を綻ばせた白雪姫は、緋色の袖を控えめに引きました。
「冗談よお。
それにしても皆さん、兄のどこがいいのかしらあ」
「全部よ、全部!
あんたも血が繋がっているとは思えないわ。つつく場所がえぐいのよ」
魅惑を振りまく王子の妹は、現職の白雪姫でした。形式上、武闘会に参加はしますが、優勝しようなんて気はこれっぽっちもありません。金太郎と出会って、さらにその気は失せました。
白雪姫はくすくすと笑みをこぼしました。
「そういえば、灰かぶちゃんも順調みたいねえ」
賢い女の顔をした彼女には、見たいものがありました。
「当然よ」
金太郎は熱い瞳を空へ向けます。そして、今リングで舞っているライバルへの、宣戦布告を続けました。
「今年こそは、あの小娘にぎゃふんと言わせてやるんだから!」
毎年言わされているのは彼の方でした。激化する戦いで高揚してしまい、シンデレラの妙案(思いつき)に敗れていました。それでも懲りずに、むしろより一層、再戦を心待ちにしているのです。
凛々しく、それこそ女性より美しい彼が見せる、少年のような顔。白雪姫は、胸に込み上げるもので嘆息します。
「殿方が考えることはわからないわあ」
「そこがいいんじゃない。……あら、王子の話だった?」
「さあ」
白雪姫は無垢な笑みを貼付け、小首を傾げます。
背後でタイミングをうかがい続けている熊にも、もちろん気付いていました。
□■□
ラプンツェルは会場を走り回りながら、人知れず落胆していました。
(カツラでいいなんて……そんな今更……)
昨晩チャットをした時に、先代から言われた衝撃の事実でした。
ラプンツェルは長い長いハニーブラウンの髪を極太の三つ編みにし、さらに先端を手提げに入れています。それでも中間部が大きく垂れてしまうのですから、相当な長さです。
彼女を憂鬱にしているのは、それだけではありませんでした。
(か、帰りたい……)
今回の運営委員は、彼女の物語でした。主人公がそのトップを努めるという風習で、ラプンツェルは柄にもない仕事をしていました。
気の弱い姫を心配し、定年を迎える魔女も手伝いに来てくれています。
「姫や、ギリシャ神話の方が……」
入り口をしわしわの指が差しました。羽根をつっかえさせた天使が、もたもたしています。
「はっ、はい! 今行きます!」
元気良く答えたラプンツェルは、駆け寄るにつれて気分が重くなっていきます。緊張で頭も痒くなってきました。
天使は短い金髪できりっとした、若干、威圧感のある顔をしていました。
「え、えっと……ギ、ギリシャ神話の方、でしょうか」
「うっす! 自分はゼウスの御使いで来ました、あっやべ、全知全能のおっさんの御使いで来ました! ロスといいます! お見苦しい姿で申し訳ないっす!」
「ひぃっ……い、いいいいえ……」
強面と体育会系の発言で、ラプンツェルの恐怖心は限界です。よく見ると、潔白な布を纏う身体は、隆々と筋肉が盛り上がっていました。王子が喜びそうです。
「ラプンツェル~そのマッチョな方はどちらさま~?」
案の定、頬を染めた王子が走ってきました。筋肉に釣られています。
天使ロスは腕を後ろに組み、姿勢を正しました。肉体美がより露になります。
「自分はゼウスの御使いで来ました、大天使エロス・ダプネーと申します!
この度、ギリシャ神話の大会出場許可を頂きに参りました!」
ラプンツェルは、さらに頭が痒くなりました。
ギリシャ神話が大会に出ること自体は、ルール上構わないのです。強ければ、例え王子のいない物語でも参加できます。過去には三匹の子豚が二連覇を成し遂げました。
しかし、許可を与えるな、とゼウスの奥様から直々に言われてしまったのです。それも内密に断れという無茶振り付きでした。
「ん~神様にこの闘技場は狭いよね。困ったなあ~」
王子は、余分な脂肪が一切無い胸筋へ話しかけています。
ロスはここぞとばかりに切り札を唱えました。
「ご許可を頂ければ、自分を好きにしてくださって構いません」
「……ほんと!?」
「ベンチプレスでもスクワットでも、お望みの筋トレをいたしましょう。ちなみに触り放題です」
王子の瞳に迷いが生まれました。涎をぬぐっていたことをラプンツェルは見逃しません。
「一つ聞いていいかな、大天使エロス。
腹筋はクランチ? シットアップ?」
いつになく真剣な王子です。ロスは口元を吊り上げ、男前な表情で答えました。
「レッグレイズに決まってるじゃないですか」
「超! タイプ!」
王子は赤い頬に手を当て、興奮を発散するようにくねくねしています。
側で目を白黒させているラプンツェルは、意味不明な用語と王子に困惑しています。彼が奥方からの頼みを忘れているのでは、と胃がキリキリしました。
「お、王子……」
か細い声は筋肉トークに掻き消されてしまいました。王子とロスはすっかり意気投合しています。このまま許可を与えてしまえば、奥様の逆鱗に触れてしまいます。彼女も神ですから、どんなことが起きるかわかりません。それならば、ゼウスの頼みを断っておいた方がまだマシです。浮気性は可愛いもの
王子
に甘いのですから。
「では王子、ご許可を頂けると我が君主にお伝えしてもよろしいですね!」
白い歯を見せ、ロスはにっこりと笑いました。誘導を完了させる最後の一押し。彼は脳みそまで筋肉というわけではなかったようです。
いよいよラプンツェルの顔が青くなりました。
(どうしましょう……なんでもいいから、言わなきゃ……私も筋肉つけたくて……ダメだわ。嘘にも程がある。ああ、帰りたい! でもどうにかしなくては! どうしよう、どうしよう……)
彼女の頭は真っ白になりました。
気付いた時には、手提げに詰めた縄のような髪を、ロスに打ちつけていました。鞭の様にしならせたそれは、乾いた音を大きく響かせました。
ロスも王子も、ラプンツェルもぽかんとしています。
少し間を置いて、彼女の顔に熱が集まり、今度は真っ赤になりました。
「ど、どうです!? 頑丈でしょう? 現職についてから伸ばし続けていたのですけれど、カツラで良いと言われてしまいまして! せっかくなので引き取り手を探していたんです! 筋トレにどうですか!?」
言っている本人も意味がわかりません。恥ずかしさで泣きそうでした。流れる沈黙が重過ぎて、彼女はだんだん項垂れます。
その時、ラプンツェルの頭を優しい手のひらが撫でました。王子でした。彼は毅然とロスを見上げ、揺るぎない声で言いました。
「ごめんね。許可はあげれない」
ついさっきまでハアハアくねくねしていたとは思えません。
王子は反論を許さず、畳み掛けます。
「神様と人間じゃあつまらないしね。ギリシャ神話のみんなは、大会やらないの? そうしたら見に行くんだけどなあ」
ラプンツェルが見た彼は、大局を見渡す“王子”の顔をしていました。
「……わかりました、我が君主にもそうお伝えいたします」
勢いを無くしたロスは、なぜか呼吸が荒く耳を赤くしていました。鍛え上げられた胸筋には、くっきりと太縄の跡がついています。
ラプンツェルは、自分へ向けられるロスの熱っぽい視線に気付きました。彼女は、交渉に水をさしたので睨まれていると思い、今度は顔を青くしました。
王子は、身を竦ませまるラプンツェルとロスの間に入ります。
「この子は泣き虫なんだから、いじめちゃダメだよ」
彼は無垢な笑みを貼付け、小首を傾げます。
むしろロスはいじめられたい側であると、もちろん気付いていました。
□■□
「それじゃあ、ゼウスちゃんによろしくね~」
王子とラプンツェルは、名残惜しそうなロスを見送りました。もはや王子がさっさと扉を閉め、ぬかりなくロスの興奮を煽ったのでした。
こうして最高神による、筋肉バカに筋肉をぶつける作戦は失敗に終わりました。
「こわかった~?」
「い、いえ……すっすみません! あああんなことをしてしまい……!」
「喜んでたから大丈夫だよ~」
「え………」
王子はいつもの、力の抜けた笑顔に戻っていました。彼はもう一度ラプンツェルの頭を撫で、言いました。
「心配かけて、ごめんね」
彼はラプンツェルの葛藤を全て理解していました。ただの筋肉マニアが、玉座に就き続けられるわけがありません。
ラプンツェルは、頬が熱くなっていくのを感じました。先程とは全く異なる、もっと厄介で甘酸っぱいものでした。
「いいいいいいいいえ! あ、あの、私は、しし仕事が、ありますのでこれで……」
彼女の声はどんどん小さくなっていきました。逃げるように背を向けた時、何かを蹴飛ばしてしましました。思い切りぶつかったようで、ラプンツェルの足の甲も痛みます。
「あれ? かぼちゃくんだ~」
転がった物体は、めそめそしているかぼちゃでした。話を聞けば、シンデレラ達とはぐれて迷子になっているそうです。
「じゃあ一緒に探そうか~。あ、そうそう、ラプンツェル」
「は、はいっ」
「髪の毛、天使君にあげるなら教えてね~」
ラプンツェルは再び燃えるような羞恥に襲われました。そして、かぼちゃを引き連れた王子はさらに爆弾を落としました。
「ショートも、きっと似合うと思うよ」
ひらひらと王子は手を振りました。
彼は、意外と近くにいたシンデレラを見つけると、駆け寄りました。当初の目的だったかぼちゃは置いてけぼりです。
「シンデレラ~素敵な胸筋に会ったんだよ~」
ラプンツェルは、楽しそうな王子をぼうっと見つめていました。
はっと我に返った彼女は、床に落ちる自分の髪を手提げに詰め込みます。のぼせた顔を二、三回叩くと仕事へ戻りました。