花言葉:運命を開く

 

 

 時は少し遡り、ルビー班が東の果てへ出発する時のこと。

 チャチャを見送り、アンカリアはカズラを振り返った。

「てっきり、チャチャが案内人なのかと思ったわ」

 カズラは軽く頷くだけで、心話術でも何も返さなかった。もう居ないチャチャの後ろ姿を見つめていた。

 アンカリアは首を傾げた。

「カズラ……?」

「やあやあ、待たせてしもうたなあ」

 飛び上がりこそしなかったが、アンカリアの心臓は早鐘を打っていた。

 彼女の隣に、いつの間にかサイコが立っていた。

 どこからともなく、しれっと現れた彼に、二人は目を点にする。 

 カズラの眉間にシワが大きく寄る。

『足音くらい出せ』

「いやあ、すんまへん。準備に手間取ってなあ」

 心臓を落ち着かせたアンカリアが尋ねる。

「準備?」

 サイコが答える前に、カズラの顔がさらに険しくなった。

『まさか……』

「そのまさか。お供しますで、お二人さん。東の果てまでご案内や」

 サイコがにっこりと笑った。

 

 

 □■□

 

 

 アンカリアが武器の入ったケースを取って来るのを待ち、サイコが案内したのは、ガーデニアの敷地から出て少し歩いた場所だった。

 彼らの前には岩があった。一階建ての家ほどの大きさで、何枚かの岩が立てかけられたように重なっていた。

 そのうちの一枚に、サイコが手をつく。

「この通路は天の岩戸いうんよ。ぼくらが使う秘密の道や」

 サイコが、アンカリア達の聞き慣れない呪文を唱えた。

 すると手をついていた岩が、引き戸のように右へずれる。

 中は“青空”が広がっていた。

 アンカリアは思わず、子どもがプレゼントをもらったような声を上げていた。

「……きれい」

「せやろ? 季節の民が使うもんやからか、四季の空や風景が映るんや」

 岩戸の内部は洞窟にも関わらず、天井は空色から夕焼け、壁と地面は新緑の野原や黄金の稲穂、と季節を追うように表情を変えていた。

 サイコが先頭を歩き始める。変化し続ける景色の中、一本道であるかのように真っ直ぐな足取りだった。

「カズラ、念のためフードかぶっといてえな」

 アンカリアはきょろきょろしながらサイコに続いた。

 フードをかぶったカズラは、余所見をして歩みの遅い彼女の肩を抱いた。

 驚いた、しかし嫌ではないアンカリアが彼を見上げる。

「えっ、カ、カズラ?」

 彼らの後ろで岩戸が自動的に閉じた。

 カズラもアンカリアから手を離す。

『挟まれでもしたら面倒だ』

「あ、ああ。そういうこと……」

 サイコは後ろの二人を見て微笑んだ。

「ほんま仲良いことで」

「え? なんて言ったの、サイコ」

 本当に聞こえなかった彼女の一歩後ろで、カズラが刃物のような眼光を飛ばしていた。

 クスクスとサイコは前を向いた。

「いいえ、なあにも」

 そしてそのまま雑談をするように、後ろの二人にも聞こえる声で話し始めた。

「ここなら悪魔は手出しできへんし……ジャスミンの目も届かへん。

 せやから、聞き流してくれたらええ」

 アンカリア達からはサイコの顔は見えなかった。

「二人が知っとる一番古いクチナシって、ジャスミンやろ? クチナシの“調整”は彼女がやっとる。

 せやけど、誰がジャスミンの調整をしたんやろうな?」

 景色が秋の茜空と金色の草原に変わった。

 アンカリアは絶句していた。かろうじて足は止めないでいる。

 サイコは続けた。

「仮に彼女がクチナシやあらへんかったら、それはそれでいろんな問題が出てくるで」

『……俺がクチナシになった時から、あの姿のままだ』

 歩きながらサイコが肩越しに振り返る。

「ジャスミンは、何か隠しとる。

 油断しなや。

 まず倒すは悪魔やけど、気ぃつけえよ」

 

 

 サイコが出口の岩戸を開くと、白い霧が視界を覆っていた。

 松明が飛び飛びに設置され、ぼんやりと道を形どっている。

「ここを道なりに真っ直ぐに抜ければ東の果てやで。ぼくが案内できるのはここまでや」

『ああ。帰りのために残っていてくれ』

 そのままカズラは進もうとした。

 彼をサイコが呼び止める。

「カズラ」

 サイコが、立ち止まったカズラの頭へ手を伸ばした。そしてオレンジ色のくせ毛を、わしわしと撫でた。

 カズラはされるがままだった。だが心話術の声は地底の低さだった。

『……なんだ』

「ええ子」

 短く一言だけ告げ、サイコは手を離した。

 カズラはぽかんとしていた。やがて彼の中で、サイコの行動の意味が繋がる。そして、珍しく力の抜けた笑みを浮かべた。

『父親かよ』

「自慢のお父ちゃんやないか」

『……そうだな』

 カズラとサイコ、ブラウンと常盤色の瞳。視線が繋がっていたのは、時間にして数秒だった。

 そしてカズラはいつも通り、背を向け、先陣を切って歩き始めた。

 アンカリアは慌ててその後を追おうとする。

「え!? カズラ!」

 いつもの光景に、サイコは声をかけた。

「アン、待っとるで。必ず帰ってきてくれな」

「はい!」

 大きく頷き、アンカリアはカズラの元へ走って行った。

 サイコは、二人の姿が霧の向こうへなくなるまで、見送った。

「……さて。暇になってしもうたなあ」

 彼は独り言を呟き、札を構える。

「ほな遊びましょか」

 黒い異形の群れが、彼を囲んでいた。

 

 

 □■□

 

 

 ふと、アンカリアは後ろを振り返った。

 だがそこには、白い霧が漂うだけだった。

 彼女の脳へ声が届く。

『何しているの。行くよ』

 先を行くカズラが立ち止まり、彼の瞳は肩越しにアンカリアを呼んでいた。

「あっはい!」

 アンカリアは小走りでカズラに追いつく。

 カズラは歩調を緩めず続けた。

『いつ悪魔が出てくるかわからない。解除しておいて』

 アンカリアは一度強く頷いた。

「Gambir iubeo Ramulus 鼓動を解け」

 カズラの首から黒い紋様が浮かび上がり、大剣へ姿を変える。

 彼の瞳がブラウンの光を帯びると、黒の剣(アンシス)は彼の手に静かに収まった。

 カズラが剣で、するりと薄布を払うように霧を裂く。

 待ってましたと言わんばかりに視界が晴れた。

 かろうじて視認できる、暗黒が液体になったような海が広がっていた。その手前に、松明が広場の輪郭をつくるように並べられている。中央には円錐状の物体が地面に刺さっていた。

 それを背に、男が二人立っていた。

 深緑の外套を着た、青い髪の男。そして黒い神父服を着た、長い赤髪の男。

 どちらも瞳が青く光っていた。

 東の大悪魔、マクスウェルが懐かしそうに言った。

「初めて会った時みてえだなあ」

 アンカリアは銀の玉を構えるも、赤髪の男から目を離せなかった。

「マクスウェル……! それに、お前は!?」

「ご機嫌麗しゅう、小さなレディ。あたくしクロウと申します」

 赤髪の悪魔、クロウはセリフばかりが恭しく、しかしロクに頭も下げないお辞儀をする。

 アンカリアはその仕草をよく覚えていた。

「封じたはず……!」

 マクスウェルが頬をかきながら言った。

「こいつは二代目だよ。まあ、こっちにもいろいろあるんだ。

 そんで、アン。考えてくれたか?」

 なんでもない世間話をするような青い悪魔に、カズラが怪訝な顔をする。

 マクスウェルは続けた。

「方法もちゃんとわかったんだ。

 杭の側でオレがお前を殺せば、バッチリ人格を持ち越して蘇るぜ」

 その瞬間、カズラが無言で斬りかかっていた。

「おーい、オレはアンと喋ってんだけどなあ」

 マクスウェルはそれを軽く片手で受けていた。電撃が盾のように間に挟まれ、バチバチと炸裂音を鳴らしている。

 カズラの美貌が、その不規則な光に照らされていた。憎悪が一周し、無表情で瞳孔が開いている。口は、歯を食いしばり過ぎてまっすぐ引き結ばれていた。彼はそれを無理やり動かし、唇を噛み切りそうになりながら言った。

「戯言を……!」

 アンシスを受け止めたまま、マクスウェルは宥めるような困り笑いをしてみせた。

「なあ、知ってるか?

 夜が縫い付けられているから、悪魔は生まれる。輪廻転生を阻まれると悪魔になるから。

 けど、どうしてそんなに魂がぐるぐるさせられてっかわかるか?」

 その途端、スイッチでも押したかのように、マクスウェルの表情が変わった。笑っているが、目の奥にはカズラと同じような、渦巻くものを孕んでいる。悪魔らしい顔だった。

 マクスウェルの声に合わせて電撃が激しくなる。

「ただそうしたい連中がいるんだよ。あの空の上に。

 死を与え、悲しみで引き裂く悪趣味な連中だ」

 マクスウェルはそこで一旦区切り、いつもの軽薄な、懐っこい笑みに戻った。そしてアンシスをいなす。

「だからオレ達は夜を縫い付け、輪廻を邪魔してる。

 いつかここが、ずっと幸せな家になるように」

 マクスウェルは祈るように言った。

 カズラはついに怒鳴り声を上げた。 

「“悪趣味な連中”だと? お前のことだろう!

 俺の村を全滅させた奴がふざけるな!」

 カズラは感情のままにアンシスで斬りつける。

 だがマクスウェルは飄々とそれを躱し続けていた。

「え、そういう感じ? ワリイな、いちいち覚えてないんだわ」

「忘れてたまるか……! 

 “病弱なのはどうせ動けないから最後でいいか”。お前はそう言って、俺の目の前で皆を……!」

 その時、電撃が横槍を入れる。クロウが援護で放ったもので、普段のカズラなら避けられる程度だった。

 しかし頭に血が上った彼はマクスウェルしか見ておらず、まともにそれを食らった。カズラはアンカリアの側まで吹っ飛ばされた。

「カズラ!」

 アンカリアから見ても明らかに、カズラは冷静さを欠いていた。

(カズラとマクスウェルにそんな因縁があったなんて……落ち着いて、なんて言えないわ)

 彼女はカズラを庇うように立ち、悪魔を牽制する。銀の玉を旋回させ、銃も構えていた。

 そこでなぜか、マクスウェルが片手を上げてクロウを止めた。

「あー……ちょっと待て。

 なんとなく思い出してきたかも。お前、あの時のクチナシだよな。あの時もレインが庇ったんだっけ。

 そうだそうだ。アンとそっくりな奴だった」

 今度はアンカリアが怪訝そうに眉根を寄せた。

「なんのこと……?」

「オレが殺したレイン。もしかしたら眷族にいるかもな」

(わたしの前の、カズラのレイン。それじゃあママは——)

 その時、彼女の後ろから、カズラがすっと前に出た。頭を冷やしたのか、いつも通りに見える。彼はアンカリアの壁になるように立った。

「サルビアはいない」

「カズラ……?」

 彼はアンシスを握り直した。静かな声だった。

「……異形型だった」

「え……?」

 

 

 □■□

 

 

 カズラがまだサルビアと組んでいたある日。彼はバザーで土産選びに付き合わされていた。

 サルビアは煉瓦色の髪と目の、賑やかな女性だった。

「ねえカズラ、どれがいいかしら! こっちもいいけど、あっちのもいいのよね!」

『この前ベレー帽を買っていったばかりだろ』

「だって! 『あたしのママなのにー!』とか言わないのよあの子! みんなと一緒にニコニコしておかえりって抱きついてくるのよ!?

 どんな天使だと思う!? あたしだったら絶対に文句言うわ! いや、自分の時にたしか言ってたわ!」

『ああ、聞いたよ』

 それが最後の会話となった。

 突然の襲撃。

 カズラは、サルビアの背後に黒い影が現れたことは見えた。

 だが襲撃を認識した時には、あたりは瓦礫しかなく、店員も客も通行人も、幻だったかのように吹き飛んでいた。

 カズラは咄嗟にサルビアを庇っていた。クチナシであるにも関わらず、死を感じるような深手を負った。人間のサルビアでは即死していただろう。

 彼は意識が途切れる前に、青い髪の悪魔を見た。

 かつて、歩けないほど病弱だった自分の目の前で、家族も友人も皆殺しにした悪魔と同じだった。

 そして視界の青色を塗りつぶすように、煉瓦色が映った、ような気がした。

 

 

「…………ラ……カズラ!」

 そしてカズラがようやく再生し、意識を取り戻した時。

 心配そうに覗き込んでいるのは、サルビアの夫であり、ナルコのレインであるモクレンだった。黒い瞳に、煤けた茶色の髪を一つに結んでいる。

 彼は状況の飲み込めていないカズラに、手を貸しながら言った。

「大丈夫かい?

 君たちの通信が途絶えて二日経っている。昨日、大規模な襲撃があったと伝達もあったから、近場の僕たちが来たんだ」

「サルビアは?」

 カズラが立ちながら聞くと、モクレンは首を横に振った。

「今、ナルコが異形型の処分をしながら探してくれている」

「俺達も行こう」

 カズラは傍に落ちていたアンシスを拾い上げた。

 そして二人は瓦礫の迷路と化した街を彷徨った。

 カズラは時折、腹部をさすった。

(……なんだ? 妙に気持ちが悪いな)

「カズラ? どこか具合が悪いのかい?」

「え、い、いや」

 カズラはモクレンから目を逸らした。

(冗談だろ、なんで……)

 美味しそう、なんて思ったんだ。

 気持ちの悪い汗が止まらなかった。止まった心音が聞こえそうだった。

 一瞬で消えたその感覚を、カズラは気のせいと思い込んだ。そうでないことは自身がよくわかっていたが、信じたくなかった。

 その時、彼は瓦礫の上に横たわる人影を見つけた。

「サルビア!」

 カズラが駆け寄り、モクレンもその後に続いた。

 彼らに気づいたサルビアが身を起こす。大きな怪我はしていなかった。

「カズラ、それにモクレン……!」

 サルビアは安堵した笑みを浮かべた。

 カズラは彼女の側へ膝をつく。

「よかった、無事だったのか!」

「瓦礫に埋まったから、なんとか助かったんだけど」

 突然、モクレンがカズラの肩を掴み、サルビアから引き離した。

 そして彼女へ銀の銃を向けた。

 サルビアは困惑してモクレンを見上げた。

「な、なに?」

「……結婚するよりずっと前の約束だから、記憶を辿れなかったか。

 ガーデニアの外で再会した時は悪魔でない証明をする……って決めただろ。

 こんなふうに」

 銃声が一発分、鳴り響いた。

 眩ゆい日光が炸裂し、すんなりと消える。

 そして現れた光景をカズラは信じられなかった。先程の感覚より信じたくなかった。

 モクレンが低い声で現実を告げた。

「異形型だよ、カズラ」

 サルビア——だと思っていたものから、見慣れた黒い腕が何本も生えていた。ところどころ、砂になって欠けている。

 煉瓦色の瞳が光っていた。

「ひどいわ……モクレン……」

「彼女の姿で、それ以上彼女を侮辱するな」

 鞭のように異形の腕が叩きつけられた。

 モクレンはそれをかわしながら銃で応戦する。

 カズラも身体は反射的に避けていたが、頭がついていけていなかった。

(サルビアは、あの悪魔に殺されたのか……? 俺の再生が遅かったから……)

 その時、異形の腕がモクレンの肩に絡みつく。

 彼は銃を撃とうとしたが、忍び寄っていた別の黒い腕が銃身を叩き落とした。

 カズラが我にかえる。

「しまった、モクレン!」

 カズラは異形を斬ろうとアンシスを振り上げた。

 だが彼の前に、サルビアの姿が立ちふさがった。

「やめて……カズラ……」

 弱々しい声に、カズラが硬直する。

 サルビアに擬態したそれの後ろには、怪物の黒い腕が蠢いているというのに、カズラは動けなかった。

 その間に、モクレンの首へ異形の腕が巻きついた。心臓を一突きするために、鋭利な爪状の腕も側に浮く。

 だがモクレンは自分の状況にも関わらず怒鳴った。

「よく、見ろっ! 人格を持ち越しているなら、人の型は保つ!

 あれは……異形型だ、サルビアじゃない!」

 素朴な、言ってしまえば冴えない優男であるモクレン。彼は、カズラが今までに見たことのない顔をしていた。

「やれ! カズラ!」

「大好き……カズラ……」

 カズラに迷っている猶予は与えられなかった。

「……ぅぁああああああああああ!」

 雄叫びと共にカズラの刃は異形を斬り裂いた。

 だが同時に、モクレンの心臓も異形が貫いていた。

 

 

 □■□

 

 

 アンカリアが呆然とカズラの背を見つめる。

「それじゃあカズラがパパとママを、っていうのは……」

「俺のせいで二人とも死んだんだ。殺したようなものだろ」

 彼女からカズラの顔は見えなかった。だがその背中に、アンカリアはどうしようもなく泣きたくなった。

 彼女が言葉をかける間も無く、カズラは再びマクスウェルへ向かって行った。

 絶え間ないその斬撃は、普通の悪魔なら十回は滅されているものだった。

 だがマクスウェルはそれをひらりと避け続けていた。

「なんだ。あのレインはアンの母親だったのか」

 さらに、マクスウェルはカズラが見えていないかのように、アンカリアへ言った。

「異形型っつったな。じゃあ生まれ変わるのを待たねえと。

 アン、なおさらお前を蘇らせる理由ができた。

 母親にまた会いたいだろ?。

 異形型になろうが砂になれば生まれ変わる。そうしたら殺す。それで人格を持ち越せばいいが、ダメならまた、生まれ変わったところを殺せばいい」

 それはカズラの逆鱗に触れ、斬撃がさらに加速した。

「お前は何度、俺の家族を奪うつもりだ……!」

 躱しきれず、マクスウェルがアンシスを片手で掴む。直には持てないので電撃をクッションにしていた。

 珍しく、マクスウェルは声を荒げた。

「それがアイツらの罠だって言ってんだよ!

 なんでその命にこだわる! 悪魔も人間も同じところから来ている! 他の命を食って生きることだって同じなんだぞ!?」

 マクスウェルは空いている方の手で雷撃を放った。

 カズラは、無理矢理引き抜いたアンシスでそれを受け流した。

 剣と電気が絶え間無く、おそろしい速さで火花を散らす。

 人間が、アンカリアが入る余地は無かった。

 彼女の脳は、与えられた情報がごった返していた。

(悪魔と人間が同じところから来た? 輪廻転生? どういうこと?

 カズラは、どんな気持ちで今までいたの? わたしをどう思っていたの?

 パパとママの最期、わたし全然知らなかった。どうして隠していたの? ジャスミンは知っていた?

 マクスウェルはカズラとママの仇だったの?

 ああ、危ない。カズラ、避けて。

 ——そういえば赤い悪魔は?)

 戦闘中であることは、今の彼女にはかえって良かった。

 混乱を後回しにする結果になるが、冷静になった彼女は振り向きざまに、銀の玉を破裂させた。

 そこでは赤い髪の悪魔、クロウが上半身の表皮を日光に溶かされていた。アンカリアを背後から襲おうとしていた、中途半端に腕を上げた体勢だった。

 巻き戻すようにクロウの皮膚が再生する。そしてニタっとした笑みを貼り付けて言った。

「もう彼の剣は、マクスウェルに擦り傷もつけられないでしょう」

 アンカリアは構わず、日光の結界を張った。

「Paries!」

「無視とは傷つきますねえ」

 結界により、クロウは内部の彼女へ干渉が出来なくなった。アンカリアが一方的に飛ばしてくる銀の玉を避けているだけだった。

 だがその顔はニタニタと歪んでいた。なんなら、結界のまわりで踊っているようにも見えた。

「東の大悪魔、その力の本質は“目”なのです。

 視界に入ったありとあらゆる事象を、分子レベルで捉える。フェイントなんて効きません。身体のわずかな傾きで、未来を予知しているがごとく次の挙動を“見る”。目眩しを企んだところで即、察知されます。同じ悪魔でも、クチナシでも例外はありません。

 それが東を治めるまでに至った力です。

 そんなマクスウェルは、あれで貴女に遠慮しているのですよ」

 クロウの顔が一瞬、表情を無くす。

「……さっさと殺してしまえば良いものを」

 再び道化のように戯け、クロウは続けた。

「お仲間が倒れれば貴女は悲しむでしょう? だからああやって遊んでいるのです。

 しかし、大悪魔がとどめを刺せば蘇りの条件は満たす。

 お膳立ては、あたくしども下僕(しもべ)がしても構わない」

 クロウが地面へ電撃を放った。

 それは大地を抉りアンカリアの足元へ亀裂を走らせる。

 結界の基盤が割られ、彼女を守っていた日光は霧のように消えた。

 アンカリアは背筋が粟立つのを感じた。

 一瞬で、クロウが彼女の目の前に迫っていた。

 鼻先が触れ合う距離で、クロウは嬉々としていた。

「ご安心を。四肢を削ぎ落としても、人間は意外と生き延びます」

 アンカリアの視界の端で、ガラスよりも鋭利な悪魔の爪が伸ばされた。

 それが彼女の腿を横断する。

 だが彼女の足は、身体に繋がったままだった。代わりに黒い砂が付着していた。

 アンカリアは反撃できておらず、どこからも日光は差していない。

 クロウが舌打ちをした。

「本体がやられたか……!」

 クロウの腕が、先端から砂になっていた。

 容赦なく駆け上がってくる崩壊に、クロウは苦々しく笑う。

「前のあたくしは何て言ったんでしょうねえ」

 そして赤い髪の悪魔は、まばたきよりも速く跳んだ。向かった先はマクスウェルと交戦中のカズラだった。捨て身のクロウは、タックルで攫うようにカズラごと崖まで飛んだ。

 マクスウェルの目は、その一瞬の出来事の全てを捉えていた。

 クロウの瞳はモノクルの下で弧を描いていた。

「さらば、マクスウェル」

 クロウは最大出力の電撃を放った。

 発電器官が壊れることを厭わないそれは、もはや日光のようにあたりを白く塗りつぶした。

「クロウ!」

 やがて電光が消えると、カズラの姿はなかった。少し離れたところにモノクルが転がっているだけだった。 

 アンカリアは血の気が引くのを感じた。

(まさか海に落ちて……ううん、きっとカズラならちゃんと戻ってくる。

 それまでわたしがこいつを……!)

 今度は別の意味で彼女は青ざめた。

(わたし、一人で? この悪魔を?)

 どくどくと心臓が大声で脈打って抗議する。

 混乱がぶり返すアンカリアの中で、走馬灯にしては気の早い記憶が蘇った。

 

 ——俺のせいで二人とも死んだんだ。殺したようなものだろ。

 

(……そうだ。わたし、何も答えていない。何も知れていない)

 彼女は背筋を伸ばし、まだまともに撃てていない銃を持ち直した。銀の玉はストックが危うくなっている。

(再生にどのくらいかかるかは不明。いつ戻ってくるか、わからない。

 でも、わたしがやることは変わらない。

 カズラ……あなたにもう一度会うまで)

 強い眼差しでアンカリアはマクスウェルを見据えた。

 だが、マクスウェルはずっとモノクルを見ていた。その横顔は強張り、人が悲しんでいる顔によく似ていた。

 青く光る瞳が、ゆっくり彼女へ向けられる。

「……一人になったけど、これでもまだ嫌か?」

 誰を“一人になった”と指したのか、アンカリアにはわからなかった。

 だが彼女は漠然と、喪に服す友人を前にしたような無力感に襲われた。

 殺し合いの場にも関わらず、どちらも立ち尽くしていた。互いに目も逸らさない。

 どれ程の時間、沈黙していただろうか。

 アンカリアが小さく、波の音に紛れそうなほど静かに言った。

「わたしは、あなたを助けられない」

「……助ける?」

 聞き返され、今度はアンカリアが狼狽えた。

(わたし、悪魔相手に何を……)

 彼女の動揺を知ってか知らずか、マクスウェルは続けた。

「親の仇だから? それともあのクチナシの?」

 マクスウェルの表情は変わらなかった。

 なぜかアンカリアにはそれが道標に思えた。彼女はポツリポツリと、言葉を紡いだ。

「……そうかもしれないけど、あなた、何も知らないのよ」

「……」

「生まれ変わればいい、って、その時のわたしは、わたしじゃないわ。

 ママもそう。

 あの時、わたしを産んで育てて……愛してくれた。そのママは一人だけ。

 魂が同じとか、わたしにはわからないけど、一緒に過ごした、同じ思い出を持っている人は、代わりなんていないのよ」

 辿々しい彼女の言葉を、マクスウェルは黙って聞いていた。

「あなた、悲しむことができるじゃない。

 赤い悪魔……クロウがいなくなって、そんな顔をしているのは、悲しいからでしょう」

 マクスウェルの青い瞳が、何かを見つけたように大きく開かれた。

 

 ——さらば、マクスウェル。

 

「わたし達も同じ気持ちだったのよ。もう一度会いたい、でも会えない」

「アン……」

「今までの道を、亡くした人達を、今一緒に生きている人達を……捨てることなんてできないわ。

 マクスウェル。わたしは蘇らなくていい。蘇りたくない。

 わたしは、わたしとして死ぬわ!」

 その時、マクスウェルの意識は完全にアンカリアへ向いていた。悪魔の目をもってしても、見えないものは、視界に入っていないものには反応できない。

 黒の剣(アンシス)が背後からマクスウェルの身体を貫いていた。

「……すげえな、執念」

「カズラ!」

 海へ続く崖に、ずぶ濡れのカズラが膝をついていた。

 彼は今までのように瞳から光を発していた。そして今までと違い、電撃の蔦を操っていた。

 カズラは、悪魔化していた。

 蔦を杭へ巻きつけ這い上がって来たカズラは、別の蔦で音もなく、一瞬で黒の剣(アンシス)をマクスウェルへ突き刺したのだった。

 カズラが、睨むような視線をアンカリアへ向ける。だがそれは怒りや非難ではなかった。

「なにを、最期のようなことを言っているんだ。

 まだ……終わってなどいない! 君を、君だけは終わらせてたまるか!」

「——! うん!」

 同時に、アンカリアは素早くケースから出した本をかざした。

「ligatur 悪魔よ封印を受けろ!」

 アンカリアが叫ぶと、マクスウェルの傷から砂が溢れ、本に吸い込まれ始めた。

 カズラは蔦に力を込めると、電気の蔦は杭を締め上げ、バキリと折った。解放された杭は空高く飛び上がって消える。

 彼は再びマクスウェルを斬りつけようと構え、止めた。

 青い悪魔はやけに抵抗がなかった。ぼそりとマクスウェルが呟いた。

「アン、オレはお前を覚えている。ずっとな」

 その身体は、取り返しのつかないところまで本へ封じられていた。だが青い瞳は、アンカリアを見つめていた。

「そんでやっぱりこの世界を否定する。こんなとこ冗談じゃねえ。

 けど……そうだよな」

 マクスウェルは落ちたモノクルを一度見やって、笑った。

「大事なもの、いっぱいできちまったもんな」

 

 

 本が悪魔を封じ終えて、小さな竜巻が止んだ。

 アンカリアは本を抱えてへたり込んでしまった。緊張の糸が切れ、呼吸は荒い。青い悪魔を封じたその表紙を、無意識に撫でた。

(マクスウェル、あなたは……)

 カズラもどさりとその場に座り込んだ。杭の残骸に身体を預ける。そして蔦で黒の剣(アンシス)を引き寄せると、自分の腿にそれを刺した。自身を昆虫の標本のように、文字通り地面へ釘付けにした。

 アンカリアがほとんど悲鳴に近い声を上げる。

「カズラ!?」

「……これでいい」

 カズラは絞り出すように答えた。呼吸をしていたならば、息も絶え絶えに、と表現できただろう。彼の目は煌々と光り、今にもアンカリアに食らいつきそうになっていた。

「薄暗い無限を生きるより、俺は太陽の下で終わりたい」

 夜空が薄っすらと明るくなる。登る朝日が、彼を助けに急いでいるようだった。

 橙の髪が柔らかく光を返した。

 カズラの目の前で、アンカリアは涙をこぼす寸前だった。

 彼の中で小さな後悔が生まれる。

(一度くらいは、慰めておけばよかったか)

 彼はパートナーになってから、アンカリアの涙を拭ったことはなかった。だが彼の身体は高速で崩れ落ちており、伸ばせる腕はもう無い。

(ごめん……いや謝って済むことじゃない……ありがとう、は、どのツラ下げて言うつもりなんだ……)

 カズラは代わりに、笑った。

「元気で」

 アンカリアの瞳から、ついに涙が溢れ出した。彼女は俯き、口を引き結んだ。だがすぐに、嗚咽する時間がもったいないと言わんばかりに、カズラに向き合った。

 今度は、彼が目を丸くする番だった。

 アンカリアは、流れる涙も強ばる眉間も放置し、笑みも取り繕えず、叫んでいた。嘘偽りのない本心を、ただただ叫んでいた。

「ありがとう! カズラ! わたしはっ……わたしは、あなたに会えてよかった!

 あなたに救われていたから! あなたが救われてほしかった!」

 最後に彼女が見たカズラは、穏やかな、安らかな顔だった。

 

 

 □■□

 

 

「カズラ、カズラ!」

『うるさい、サルビア』

「あの子のお土産どうしましょう。 ベレー帽もニット帽も捨て難いの!」

『俺に聞くものじゃないでしょ……』

「いいじゃない! あんなに可愛がっていたんだから、どっちでもいいなんて言わせないわよ!」

『勝手についてきただけだ。あとニット帽はこの前買ってただろ』

「そうね! 今回はベレーにするわ! 赤にピンク、黒もあるのよね! どれがいいかしら!」

『はあ……わかったから。選ぶから』

 

 ——パパとママと同じ、あなたも戦士なのね!

 アンは、みんなが着ているローブ、とってもすてきだとおもうの!

 だって、世界を守る色だから!

 

「カズラ?」

『……決めたよ。これがいい』

「黒ね! きっとアン、喜ぶわ!」

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