こういう人質を、子ども向けの絵本で見たことがある気がする。

 俺は胡座をかかされ、地面にぶっ刺した太い棒に、ぐるぐる巻きに縛りつけられていた。

 そしてこういう場面も陳腐な芝居で見たことがある。

 上裸に木の葉だけを巻いたガタイの良い男たちがウロウロし、鳴き声を交わしてた。

 森の奥の奥の、さらに奥。電波すら届かない開拓知らずの僻地。

 連れてこられたそこは、先住民の部落だった。

 さらに最悪なことに、隣ではダミーも同じようにされていた。

「あはは、何言ってるか全然わからないね、メモリー」

 なぜか赤い髪のウィッグは外れなかったらしい。変装野郎は捕虜にされているにも関わらずケラケラ笑っていた。

「てめえ本当に覚えておけよ……」

「僕のせい? さすがにあれは避けられないよ」

 さっきまで俺たちは森の中で、馬に乗って追跡劇を繰り広げていた。接戦だったと思う。

 そのせいで、深緑に隠れた獣のような民族に全く気づかなかった。背後からの吹き矢に呆気なく落馬して今に至る。

 縄はただ麻を編み込んだだけのものなので、普段なら俺もダミーも余裕で引き千切れる。

 だが麻酔なのか神経毒なのか不明だが、矢に塗られていたものが俺たちの身体の自由を奪っていた。どれだけ強力なのか。

「あっ。見て見てメモリー」

 ダミーはウィンドウショッピングでもしているかのような声色だった。誰がお前と出かけるか。

 その先には、頭に鮮やかな鳥の羽を纏った華奢な少年がいた。胸の膨らみがなかったからそう判断したが、ここは女も上裸なので幼い少女かもしれないが。

 顔のペイントも他と違う彼に、屈強な野郎共が一斉にひれ伏す。

「なんか偉い子なんだね」

「さっきからやたら呑気だな。毒が回ったか?」

「アタリ強いなあ」

 たしかに時間が経てば動けるようになるので、焦る理由はなかった。だがこいつと呑気に会話する理由もない。

 突如、両手を上にあげた男たちの咆哮が反響する。

「オオオオー!」

 崇められている少年が、おもむろに枝をかかげていた。少年の肩ほどまであるそれは、長い葉が頭を垂れるように先端に集まっているものだった。彼は何かを唱えながら、それをゆっくり左右に振る。

 その両脇にはドラのような民族楽器を持った男と、巨大な斧を持った男がそれぞれ立ち、別の先住民が何かを運んで来た。

 でかい木の板に四肢を磔られた、まだ生きているイノシシだった。民族の雄叫びに負けず劣らずの絶叫を上げ続けている。

 しな垂れた杖のようなそれを振る少年が、呪文を唱え終え目を瞑った。

 数秒の後、次に開眼するタイミングに合わせて、ドラが鳴り渡る。

 同時に、イノシシの首へ斧が振り下ろされた。

 

 □■□

 

 推測だが、あれは屠殺の儀式だったのだろう。

 イノシシが解体された後、今はまわりに誰もいなくなっていた。暗くなってきた広場には辛うじて松明が焚かれ、残った生臭さがほんのり漂う。

 そんな中、ダミーが珍しく静かだった。

「……」

「…………なんだよ、さっきから黙って。大丈夫か?」

「神様……」

「は?」

「褒める、だから崇めるの意味で使ってるのかな。

 ここではあの子、神の化身として扱われてるみたいだよ」

 本気で毒が頭に回ったのかとヒヤっとしたが、違ったらしい。

「言葉がわかるのか?」

「部族の役をやった時の台詞と、少し似ているんだよね。まさかこんなところで繋がるとは思わなかったけど。

 ところでメモリー。そろそろ動ける?」

「…………もうちょい」

 本当はまだ痺れが残っている。走れるがすぐ追いつかれてしまうだろう。

「僕ももう少しかな。

 血抜きで逆さ吊りにされる前に脱出したいんだけど」

「は?」

「君の方からだと見づらいんだけど、何人か積まれてるよ。僕たちより先に捕まっていた人間」

 バッと身を乗り出せば、俺からは死角になるダミーの向こうに、作業着の遺体が積み上げられていた。土地開発で立ち入り捕まったのだろうか。腐りかけて蛆も湧いている。

(臭えと思ったら……)

 それにしても何があったのか、遺体の側にブルドーザーの残骸らしき物まで転がっていた。

「干し草みたいでしょ。植物から見たらああいうことなんだろうね」

 無邪気に感想を述べるダミーに、俺は黙って姿勢を戻す。

 その時、静まり返る広場に小さな足音がした。

 人間では聞き逃すが、迷わず目を向ける俺たちの先で、神の少年が松明の明かりにぼんやりと照らされていた。

「あと、これは僕の推測なのだけれど」

 ダミーが潜めた声で言う。

「そこの死骸、噛みちぎられたような傷があるんだよね。

 カニバリズムの習慣があるなら、さっきのイノシシみたいにちゃんと捌いているはず。だけど人間は蛆が湧くまで放置している。

 そして、あのブルドーザー。いくら住民が強くたってああはならない。

 まるで“僕たち”が投げ飛ばしたみたいだ」

 近づく少年の手に、鋭く尖った石が見えた。

「あの子は発症者だよ」

「……クソ!」

 俺たちは同時に縄を引きちぎった。いや、俺はまだ本調子ではなく、暴れて縄が緩んだ隙間をもたもた抜け出していた。

 その間にダミーが神の少年と取っ組み合いになる。

(あいつもまだ毒が……!)

 変装野郎の強さは俺がよく知っている。

 普段なら有り得ない光景だが、ダミーが少年にマウントを取られた。両手で心臓を突き刺そうとする細腕を、なんとか左手で押さえている。

 震えるほど互角に押し合いながら、何を思ったか、突然ダミーが指笛を鳴らした。

 寝静まる森に、キンキンした高音が木霊した。

 どうにか縄を抜け出した俺は、少年の横っ腹に蹴りを入れ吹っ飛ばした。まだ上手く動かない部分があり、自分もバランスを崩して尻餅をつく。

「なにしてんだ! 仲間が気づくだろ!」

「……お腹空いちゃった」

 掠れたダミーの声に俺はギクリとした。

 そうこうしているうちに、騒ぎを聞きつけた男たちが集まってくる。

「あの子も時間みたいだ」

 ダミーの言う通り、神呼ばわりされている子どもが不安げな足取りで口元を拭っていた。

 ちゃんと動けない俺の前にダミーが立つ。

 その時、縦も横も倍はある先住民が一人、先陣を切ってダミーへ斧を振りかぶった。片手で持ち上げる怪力は大したもんだが、スピードは動けない俺でも余裕で目で追える程度。

 ダミーが避けられないはずもなく、大斧は地面に突き刺さる。

 いつの間にか、ダミーがその男の隣に立っていた。そして女のように白い手が、男の胸に音もなく当てられる。

 さっきまで斧を振るって呼吸をしていた男は、岩雪崩のように地へ伏した。

 振り向くダミーが唇を舐めたのが見えた。

「ごちそうさま」

 魂喰いの発症者が完全に復活した。

 そして餌食となった男の持っていた松明も転がる。

 可燃性の物があったのか、俺の足元まで一気に火の手が迫った。

「げっ」

 後ろへ避けようと大地を蹴るが、別の力にも引っ張られた。

「大丈夫?」

 調子を取り戻したダミーがあっという間にこちら側へ戻っていた。

 不本意ながら助けられた俺は、やや千鳥足だが自分で立った。

 炎はちょうど、倒れた部族と神の子、俺たちと作業着の死骸を分断するように燃え上がった。

 メラメラ揺れる赤の向こうで男たちが雄叫びを上げる。檻の中でこちらへ吼える猛獣のようだった。

 そんな中、神の少年だけが呆然と突っ立っていた。

 やたら冷静なダミーが俺の肩を叩いた。

「火が怖いみたいだね。ここまで広がればそうか。

 飛び越えられる前に逃げよう」

「あ、ああ。いや、俺はお前を捕まえるからな!?」

「後でね」

 俺たちが背を向けた時、急にしんと咆哮が止む。

 燃える音すら聞こえる異様な静寂に、俺もダミーも思わず振り返った。

 ベールのような炎の向こうで、神の子が呆然と座り込んでいた。口を真っ赤に汚した彼の前には、肉体が抉られた民族の死骸。

 それをあんぐりと見つめる仲間たち。

 最初に我へかえったのは神の少年だった。

 子どもが泣き出す直前の、引き付けのような浅い呼吸。ようやく年相応に見えた気がする。

 だが、民族の男たちはそれを許さなかった。

 さっきとは違う鳴き声を各々上げ始める。輪唱のような雄叫びで、住民は少年を遠巻きに囲み始めた。

 ダミーの独り言が耳に入った。

「……警戒音だ」

 中心で叫ぶ少年の、俺にはわからない言語は、仲間の耳には届かない。

 部族の一人が落ちていた斧を手に取った。怯えているのか、他より声が大きい男だった。

 そいつを皮切りに、先住民の男たちは次々と近くの武器を少年へ向けた。

「おい、ちょっと待て……!」

「メモリー!」

 ダミーが俺の腕を掴んで続けた。

「行ってどうするの。あれは彼らの問題だよ。僕たちは今のうちに逃げるんだ」

「……っ!」

 なおも動かない俺にダミーが畳み掛けた。

「発症者同士が共食いできないの、知ってるでしょ。

 あの子を助けたとして、その後はどうするの。

 “食糧”を君が用意するの?」

 神経から脳ミソがイかれてる変装狂いのくせに、まともなこと言ってんじゃねえよ。

 そう怒鳴りたかったが、負け惜しみにしか聞こえない。

 ダミーが正しい。

 民族の野太い大合唱がうるさかった。少年の悲鳴はソロのように外れて聞こえていた。

 

 ——君がそうしたいと思ったのなら、人間を守っていいのだ。守り抜いていいのだよ。

 

 あの子は人間じゃない。でも泣き出す直前の目が、俺の中に焼き付いていた。

「…………るせえ!」

 俺はダミーの腕を振り払った。

 だが同時に、炎の向こうで金切り声が空間を引き裂く。喧嘩する猿のような鳴き声がそれにいくつも重なった。

 巨漢たちが群がり一点に武器を刺し始めていた。でかい背中と太い足で見えないが、その中心であろう地面には細い腕が血を流して落ちて、刺されるたびに小さく跳ねた。

「……っ!」

 その時、頬を何かが掠る。

 炎と男たちの奥で弓矢を構える民族が見えた。さらに遠くから投石も始まる。

 もう一度見た少年の腕は、痙攣すらしなくなっていた。

「くそっ!」

 その光景か、わざわざ俺を待っていたダミーか、他の何かか。

 悪態を吐いて背を向ける。腹の奥で重く沈んだものが渦巻いた。

 それにも関わらず、軽くなった身体で走り出した。

 森は、暗かった。

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