『メモリー、バッヂは付けた!? 聞き込みの時はそれがないとただのチンピラだからね!?』

「うるせえ」

 誰がチンピラだ。黒服のスーツ着てるだけだろうが。

 ドクトルのお節介通信をブチ切り、喫茶店のドアをくぐった。取り付けられたベルがうるさくない程度に鳴る。

 コクべに送り出された俺がいるのは、次のダミー野郎潜伏候補地。今回は別の仕事も抱えているが。

 そこはファッションの街だった。大通りには眩しいくらいのショーウィンドウが立ち並び、住人も全身でファッションを楽しんでいた。

 この喫茶店も、表より雰囲気は落ち着いているが椅子などの細部はしっかりと洒落ている。

 カウンターにはマスターがいた。スキンヘッドに口髭を蓄えた彼がいらっしゃい、と迎えてくれた。

「機関の者なんだが、サイファーという男を探している」

「おや、政府の方でしたか。お若いのにご立派なことだ。

 彼なら……」

 その時突然、外から二つの声が割り込んできた。

「うわああああ!」

「ぎゃああああ!」

 野太い雄叫びに驚き、店の外へ飛び出す。

 そこには腰を抜かした小太りのおっさんと、地面に頭を打ちつけながらすすり泣くスーツのおっさんがいた。

 汚い涙声に、俺は思わず呟いた。

「……なんだこの地獄絵図」

 

 □■□

 

 喫茶店に戻り、俺はおっさんのうちの一人とカウンターで隣り合って座っていた。

 おっさんは、素人目に見ても上質なシャンパンベージュのスーツを着こなす紳士だった。繊細な金髪に透き通る緑の目をした、いわゆるナイスミドルだろう。

 だが額を赤くしたそいつこそ、つい先ほどセルフ土下座で咽び泣いていた変質者だった。

「新人よ、メモリー君といったかね? 改めて、私はサイファーという。

 いやはや見苦しいところを見せたな。やはり空腹時にうろつくものではない」

「ああ、そう」

 俺たちしかいない店内で、マスターは静々とカップを拭いている。

 さっきからこの変態紳士は、俺の返事が聞こえていないのかと疑うほど高らかだった。

「私としたことが野郎の悲鳴を食らってしまうなんて……! 食事はアリアと心に決めているのに……!」

「ああ、そう」

 マスターはこいつの妄言に慣れているのか、今度はソーサーを拭き始めた。

 茶番に付き合うつもりはないので、俺は俺の仕事をさせてもらおう。まずはダミー捜索でない方からだ。

「“悲鳴喰い”のサイファー。あんたにも認定証が来ている」

 サイファーへ二つ折りのカバーに包まれたカードを渡した。

「ふむ。確かに受け取ったよ」

 ダミーの件を受けた機関は、危険度のランク付け——要は認可制にし、そうでない者を有害認定して積極的に取り締まり始めた。現時点で機関に登録もあり、協力の言質を取られている発症者には認定証が発行された。

 今後、認定証なしの発症者は機関へ強制連行。危険度と協力意思、とは聞こえがいいが言うこと聞くかを判断される。

 ここまでは今までとさほど違いはない。世間からの目はともかく、普通にしていれば普通に生きていける。認定証はわざわざ無害とついているので、逆に暮らしやすくなる者もいるだろう。

 サイファーは認定証を開くと、最後に付け加えられた条件を指でなぞった。

「“抵抗・反逆、及び人間へ危害を加えた場合の生死は、問わず”。

 物騒な世の中になったものだ。私のように無害な発症者もいるのに」

 こいつのどこが無害なのか甚だ疑問だが、サイファーは認定証を胸ポケットにしまった。

 違う意味で物騒だろ、と言うかわりに俺は話を続けた。

「一件目の用事はこれだ。別件は聞いていると思うが、人食い発症者がこの街に潜伏していると情報が入った」

「もちろん協力するさ。ファッションを愛するこの街で、あんな悪行は許さない」

 悪行とは、連日のシリアルキラーである。

 少し前からこの街では連続殺人が起こっていた。

 共通点は亡骸にドレスがかけられていること。おざなりに乗せられたそれは、購入された一級品から素人が継ぎ接ぎしたパッチワーク手前のものまで様々だった。

 死因は心停止。外傷はなし。

「十中八九、変装ダミー野郎だ。性別と声まで変えてくるから注意してくれ」

「初見殺しということか」

「まあ、一回見れば覚える。目つきが強烈過ぎるからな」

 その時、喫茶店のドアベルが鳴る。

 うるさすぎない音と一緒に、女の子が入って来た。

「遅くなってごめんなさい」

 真紅の髪と目の、綺麗な子だった。俺より年下だろうか、ツインテールで余計に幼く見える。人形が着るような、大量のフリルがついた赤いワンピースに、真っ黒な外套で小柄な身体をすっぽり覆っていた。

 その子は俺を見て一瞬、固まった。

「……サイファー」

 俺をめちゃくちゃ警戒しながら、その子はサイファーに駆け寄った。そしてスーツの腕にしがみつく。

 サイファーは、自分の背中に隠れる彼女の頭をそっと撫でた。

「大丈夫だよ。機関のメモリー君だ。敵ではない」

 その言葉に彼女は少しだけ肩の力を抜いた。だが、怒り顔と泣き顔の中間のように、眉と口は依然として強ばっていた。くりっとした瞳が不安そうに俺を見やる。

 俺は極力穏やかな声にするよう努めた。

「初めまして」

「…………」

 返事はないが、かわりにわずかな頷きと、サイファーの腕を掴む小さな手に力が込められた。

 アリアの代わりにサイファーが答えた。

「すまない、人見知りなんだ。アリアという」

「娘か?」

「いいや、恋人だ」

「……は?」

 喫茶店が一瞬無言になる。マスターが食器をしまう音が聞こえた。

「ロリコンじゃねえか! 認定証返せ!」

「や、やめて! サイファーに乱暴しないで!」

「はっはっはっは」

 

 □■□

 

 戦闘向けにつくられた、外れにくさが売りのインカム式通信機。

 そこからコクベの笑う声が流れた。

『どうだ、サイファーは気さくな男だったろう』

「ああ、気さくだったさ。気さくで陽気な変態だったよ。発症者って頭おかしい奴ばっかりなのか?」

 一人で喋っているように見えるため、俺は小声で通りを練り歩く。政府公認のバッヂと黒服のゴーグルは外し、適当なパーカーを羽織っていた。『それもチンピラだよ』とドクトルの声で幻聴が聞こえた気がしたが。

 今回の作戦も人海戦術だった。発症者は単身、それ以外は二人一組で捜索していた。ある程度までポイントは絞れているので、黒服を着た連中と同時に私服組の覆面捜査も行なうことになり、発症者は全員覆面だった。

 ちなみにコクベはこの街に来る予定はなく、ただ俺の愚痴を聞かされているだけである。

『まあそう言ってやるな。悪いやつじゃあない』

「無害とは思えねえよ。あんなロリコン」

『……メモリー、聞いていないのか?』

「何を? あ、やべっ通信入っちまった」

『ならばそちらに繋げ。別に俺から話すようなことでもない』

「そうか? じゃあまたな。

 ……こちらメモリー」

 コクベとの通信から切り替えた。

『こちらサイファー。アリアが恋しい』

「うるせえ切るぞ」

『ツレないな。

 友人たちにも声をかけているんだが、最近ストレンジャーは見かけていないらしい。

 ダミーとやらは、知った顔に化けられてもわからないレベルなのかい?』

「そうでもないと思うぜ。あんたの知り合いに目つきが異様に鋭い奴とかいなけりゃな」

『今のところ、メモリー君がダントツだよ』

「悪かったな」

 その時、俺たち以外の声が入った。

 会議モードになっている通信では、本当に部屋に集まったように複数人で話ができた。

『こちらアリア班。誰か近くにいるのか? やけにハウリングしているように聞こえるのだが』

 声の主はマスターだった。協力者としてアリアとペアで回っている。そもそもレディをエスコートなしで歩かせる男はこの街にいない、らしい。

「俺は第六通りだ」

『おや、私も郵便局近くだ』

「あんたかよ」

 サイファーのなんとなく派手なオーラが見えてきたころ、ちょうど中間地点になる郵便局のあたりに人だかりができていた。

 カラフルな髪飾りと帽子の山の隙間から、騒ぎの中心を覗き見る。

「……ああ、くそ。最悪な報せだ」

 繋げたままの通信で、会議モードを傍聴している全員に伝える。

 合流したサイファーも顔を険しくした。

「第六通り郵便局を右折した路地にて、女性の被害者を発見」

 ウェディングドレスをかけられた遺体が横たわっていた。

 側に友人らしき女性たちがうずくまり、さめざめと涙を流している。

「……仕立て屋のマダム・レースだ」

 サイファーが小さく呟いた。そして何かに気づき、足早に彼女たちへ近づく。

「マドモアゼル、サイファーだ。マダム・レースにはまだ小さい息子がいたはずだ。それと賢い番犬も。一人で出歩ける年齢ではなかっただろう」

「ライカとベネッサ……? そういえば見ていないわ……」

「ああ。僕たちが来た時にはもう」

「例の悪い発症者のせいなの? まさかジュニア・ライカは拐われたのでは……」

 ハンカチを顔に当てるレディや、それを支える夫らしき人が口々に話す。

 戻ってきたサイファーが眉間に皺を寄せたまま言った。

「聞こえていたと思うが、ライカたちの捜索も目標に加えてほしい」

 連なって返ってくる了解の声を聞きながら、俺は黙っていた。

(……次の時間までがリミットだな)

 ダミーが仮に子どもを拐うなら、目的としては次の食餌と考えるのが妥当だ。

 あの野郎の思考が読めるからという意味不明な理由で、俺は追っ手に選抜された。だがそんなことは、俺でなくても少し考えればわかるだろう。

 だがそこで俺の中に疑問が湧く。

(いや、ちょっと待て)

 あいつがこんなわかりやすいマネをするのか?

 偶然狙った被害者に子どもがいたとして、わざわざ連れて歩くのか。ダミーは捜査側の思考を意識している。

 子どもに注意することで手薄になるところ。そこが次に狙われる。

(……つっても、どこだ?)

 

 ——まだ小さい息子がいたはずだ。それと賢い番犬も。

 

「犬……」

 吠えもしないのは、なぜだ。

「サイファー。マダム・レースの自宅だ」

「……どういうことだい? メモリー」

「番犬なら吠えるだろ。

 それにあいつの性格の悪さを考えると、子どもが食われる前に見つけようと躍起になって手薄になる部分を突く。

 まさか自宅に帰してるなんざ思わねえだろ」

『サイファー、私達が近い』

 会議モードを傍聴していたアリア班からだった。

「愛しいアリア、頼めるかい?」

「俺らもすぐ向かうから無理すんな。おっさん案内頼むぜ」

 

 □■□

 

『愛しいアリア、頼めるかい?』

「だそうだ」

 マスターの隣で、はにかみながらもアリアは力強く頷いた。

 人通りの少ない道を二人は走り出した。そうはいっても、かたや老人に片足を突っ込んでいる年代の速度だが。

 マスター達の前に、政府公認バッヂとゴーグルをつけた黒服が別の路地から現れた。 青い短髪の男で、会釈をするとマスターのやや後ろについた。

「……おや、援護の方ですか。

 ご案内いたします。あと二回ほど角を曲がれば着きますよ」

 マスターは、黒服は道がわからないから後ろに来たのだろうと、油断してしまった。

「危ない、マスター!」

 アリアの声と共に、マスターの身体には包丁が突き刺さっていた。

「くっ……!」

 幸いにも急所は外していたが、アリアが警告していなければ致命傷になっていただろう。

 マスターは咄嗟に護身用の警棒を背後に振り抜く。

 黒服は身を引いてそれを避けるが、ギリギリでゴーグルに当たった。

 アリアの前に、砕けて尖る断面よりも、もっと鋭利な黒い瞳が現れる。

「……発症者!」

「お嬢さん、よく見てるね」

 ゴーグルを捨てながら笑う男は、黒服に化けた魂喰いの発症者、ヴェデリエル・ダンだった。端整な顔は、地味で印象に残らない風貌にメイクされていた。

 地に伏すマスターを庇うように、アリアが立ちはだかる。

「マスター、抜くともっと出血するから、動いてはダメ。みんなにこの位置を伝えて」

 アリアは踊り子が使うような、細い棒の先に長いリボンのついたものを構えた。彼女の髪と目と同じ真紅である。

 拍子抜けしたダンの顔は、完全に飽きていた。

「いやいや。それ本気?」

 さっさと終わらせるべく一歩前に出る彼へ、勇敢なリボンが向かって来る。

 ダンが鬱陶しげにその布を片手で掴んだ。

「度胸は褒めるよ。こんなおもちゃでさ……」

 彼が強く引けば、少女は軽々と宙に放り出される。

「おねんねの時間だ」

 そして為す術も無く二階の高さまで振り回されたアリアは、レンガの壁へ叩きつけられた。

 骨が割れるような鈍い音で、無機物も破片を散らすような勢いだった。

 間一髪遅れてやってきた足音に、ダンは笑みを深くする。

 マスターでもアリアでもない声だった。

「アリア!」

「やあ、メモリー!」

 掌のわずかな痛みを放置するダンを、ギロリ、と真っ赤な瞳が捉えた。

 

 □■□

 

 目の前で小さな身体がレンガに激突する。

「アリア!」

 俺は自分の血の気が失せていくのがよくわかった。

 サイファーと一緒にマダム・レース邸へ向かう途中、通信に事故ったような雑音が入った。

 アリアとマスターが襲撃されていた。

 きっとサイファーはアリアの元に来たかったはずだ。だがマダムの家がわからないだろうから、と俺にこっちを任せた。

 それにも関わらず、俺の目の前でおもちゃのようにアリアが壁へ叩きつけられていた。

 彼女の身体を受け止めようと走る俺の前に、青い髪の男がにやつきながら立ちはだかる。

 一度見たら忘れやしない、冷たい目。

 俺の頭に、今度はカッと血が上がった。

「てめえ……!」

 その時、突如ダミーが道を開けた。

 奴がいた空間を刺すように伸びていたのは真紅のリボンだった。

 それに切り落とされた青い髪が数本、はらりと舞う。

「へえ。発症者だったのか。人間だったら死ぬはずだからね」

 そう言いながら距離を取るダミーを、さらにリボンが追った。

 状況が飲み込めていない俺は、彼女が生きていたことと相まって、すっとんきょうな声を出していた。

「アリア……!?」

 か細い彼女なんて、間違いなく絶命するような轟音だった。

 だがアリアは、落下しながらもリボンを振りかざし、さらに危なげも無く着地した今は舞うように追撃を繰り出している。

 操るそれはどう見ても布製だった。

「メモリー、解説してあげようか?」

 頼んでもないのにへらへらとダミーが口を開いた。

「あのリボンの布、色で誤魔化してるけど、ものすごく薄い。それを瞬間的に高速で引くことによって、物も切断できるようになっているんだ。紙で手を切るのと同じ理論だよ。

 発症者の怪力でなければ成し得ない」

 ダミーが自分の掌をぺろりと舐めた。

 その間にもリボンによる猛攻は続いていて、正直、俺が入る隙がないくらい速い。

(アリア、こんなに強かったのか。つーかマスターがやばい)

 戦闘を繰り広げる二人の向こうでスキンヘッドが倒れていた。何か刺さっているのは見える。

 俺がここを突っ切れば、せっかく押しているアリアの邪魔になることはわかりきっていた。ダミーを仕留めなければ今後の被害者が増えるし、リスクや利益を考えれば俺も攻撃に参加するべきだ。

(…………だけど)

 悪魔の使いだのなんだの言われてるが、発症者だって人間だ。

 アリア、任せていいか。そう喉まで出かかった時だった。

 勇敢な女の子に先を越されてしまった。

「マスターを助けて!」

「……ああ!」

 リボンで風を切る彼女はまっすぐ前を見据えたままだった。

 当のダミーは不満げな声をあげた。

「それはつまらないな」

「ヴェデリエル・ダン! わたしが相手、だ……!?」

 突然アリアが膝をつく。リボンもさっきまでの勢いが嘘のように地面へ落ちた。

 もちろんダミーがそのチャンスを逃すわけもなく間合いを詰めた。得物は、見覚えのあるデカいナイフ。いつの間に回収したんだ。

「アリア!」

 俺は丸腰で割り込み、振り被る腕を受け止めた。奴の鳩尾を狙って蹴り込むが、距離を取らせようとしたことを読まれていた。

 死角から、手首のスナップでナイフが俺目掛けて投げられる。

(避けてやらねえよ!)

 ダミーは俺の体勢を崩したかったのだろう。

 だが小賢しさが頭にきたので、俺はそのままアッパーを食らわせた。幸いナイフは刺さらず胴体の切り傷で済んだ。横っ腹を犠牲にした俺の拳は、綺麗にダミーの顎へヒットした。

「ざまあみろ、って、うおっ!」

 陰険な変装野郎は俺の胸ぐらを掴み、倒れる勢いを利用して人を放り投げやがった。どんな怪力してんだ。

「いってえええ!」

 俺も傷口をぶつけた上に足が妙な方向へ曲がったため、その場にいる四人全員がダウンという奇妙な事態に陥った。

 そんな中でも、アリアの様子がおかしかった。呼吸は荒く口を押さえて震えている。

 彼女が泣きそうな声でか細く言った。

「起きて……! 逃げて、マスター……!」

 仰向けで焦点が合っていないダミーが他人事のように笑った。

「もしかして……あいたた、すごい目がまわる。“食事”の時間?」

 彼女の“食餌”が何なのかはわからない。だが本人の様子から、このままにできないことはわかった。

(よりによってアリアに一番近いのがマスターかよ……!

 つーか普段はどうしてたんだよ! こんな時に限って、クソ!)

 俺は見慣れない向きへ曲がった左足ではバランスを取れず、転んだ振動が遠慮なく傷に響いた。

 その間もアリアの瞳は、本人の意思に反して“餌”を凝視していた。一方で、今にも食いつかん自分に怯えて涙を流す。

「いやだ、たべたくなんてない……逃げて……マスター……」

 アリアが迷子のようにしゃくり上げながら身を縮こませた。

「助けて、サイファー……!」

「呼んだかい? 愛しいアリア」

 大きな手が華奢な肩を支える。

 アリアが振り返ると、暗闇に射し込む光のような金の髪。

 ヒーローよろしく現れたそいつは、サイファー、と掠れた声で呼ぶ彼女をそっと抱き締めた。

「遅くなってすまない。ライカたちは無事に保護した」

 サイファーはアリアの涙を優しく指で拭った。

「君はみんなと、私と幸せに生きていくんだよ」

 きっとそれは“おまじない”なのだろう。

 鼻先を触れ合わせる二人は、刺した刺されたの戦場に居るとは思えないほど穏やかに、微笑み合った。

 アリアを見つめたまま、サイファーが慣れた手つきでスーツの胸元を緩める。首元には抉れたような——歯型がついていた。

「サイファー…………いただきます」

 そこへ上書きするように、アリアが傷跡へ噛み付いた。

 ぶちっと皮膚を破り、肉が千切れた音の後で、ズルズル液体を啜る音がし始めた。

 俺ですら鳥肌が立つ。

 もう脳震盪が治まったのか、ダミーがむくりと起き上がった。

「それ、人間とは暮らせないだろう。

 血喰いの発症者。僕と同レベルの危険度だ。人間ごっこだなんて笑えるね」

 毎回思うがこいつどういう身体してんだ。

 ダミーは覚束ないながらもよろよろ立ち上がった。

 俺も、足が元に戻るにはまだ数分かかるが、片膝をついてナイフを構える。

(サイファーもアリアも今は動けねえ。

 つっても発症者ならダミーにやられることは……え?)

 一瞬の思考で俺の動きが遅れる。

 その隙をついて、変装野郎はアリアたちに襲いかかろうとし、“片づけやすい”サイファーを狙おうとした。

 だが奴の青い髪に、どこからか投げつけられた警棒がクリーンヒットした。病み上がりの身体が再び沈む。

「一緒にするな……よ。二人とも、この街で服を愛する……仲間だ。

 ふざけて死体にドレスを乗せるような……殺人鬼とは違う……!」

 奇襲の正体はスキンヘッドのマスターだった。背中に刃物が刺さったまま、息も絶え絶えだった。

 尻餅をついたような格好のダミーは後頭部をさすりながら、マスターでもアリアたちでもなく、俺に言った。

「いたた……なんで? 人間だって屠殺し、肉を捏ねたり盛り付けたり調理をする。

 一体どこが違うんだ?」

「そんなの……!」

 俺はそこから続けられなかった。

(違うに決まってんだろ! けど何がって……何が違う?)

 喉が狭くなり、鼓動が早くなる。首を絞められているような感覚だった。

(理由が見つけられない……俺が間違っているのか?)

 今の今まで信じていた、当然だと思っていた常識が突然揺らぐ。

 自分でも動じているのがわかった。

 その時、この場で一番小さいはずの彼女が声を荒げた。

「違うに決まってんでしょ!」

 俺が言葉を詰まらせている間にアリアの食事は済んだようで、口元を手の甲で拭った彼女が勇ましく立ち上がった。

 その後ろでサイファーは首に止血用の仰々しいガーゼを当てている。

 インカムからは合流を知らせる通信が入り、近づいてくる足音も増えていた。

 ダミーがすっと目を閉じる。

「君となかなかデートができないなあ、メモリー」

 そして鋭すぎるそれをもう一度開くと、マスターとアリアが来た路地へ走った。ついでのようにマスターからナイフを容赦なく引っこ抜いた。

「ぐぅっ……!」

「マスター!」

「アリア、これを使って!」

 サイファーがガーゼをもう一セット取り出す。

 受け取ったアリアがマスターの背中にそれを押し付けた。

「マスター、どうしてあんなこと……!」

「自分にできることを……しただけだよ……君達のように、戦えはしないからね……」

 ガーゼはアリアの髪のように真っ赤に染まり、マスターの声はどんどん小さくなっていった。

「クソ……!」

 俺は何してるんだ。

 情けなくて前髪をぐしゃっと掴む。

(あいつの戯言なんざ、今に始まったことじゃない。俺ができることをするんだ)

 足はあと三十秒くらいで戻る。右側だけで立ち上がりインカムへ言い放った。

「こちらメモリー! 救護隊を頼む!

 それから標的は南通りへ逃亡! 人数少ないところを狙って逃げてる! 俺がもうすぐ追えるようになるから、戦闘は避けて追跡に専念してくれ!」

 

 □■□

 

「とか言っておいて、逃げられた」

 機関所属の施設。

 俺は宿泊に使っている一室で、ノートパソコンからコクベと通信を繋いでいた。

 階下ではマスターとサイファーが治療を受けていた。アリアはそれに付き添っている。

『だが、個人的に良い判断だったと思うぞ。そう落ち込むな』

「別に落ち込んでねーし……」

 コクべに報告を済ましたが、そのまま切られずにいた。

 柄にもなく慰めんなよ、と言う気力はなく、すぐ側のベッドに仰向けになる。

 

 ——人間だって屠殺し、肉を捏ねたり盛り付けたり調理をする。

 一体どこが違うんだ?

 

 俺は発症者だが、人間を殺すダミーを取っ捕まえることに疑問を感じたことはなかった。

(でもあいつの食事は人間で、ドレスとかで“盛り付け”しているだけで、あいつは食べないと死んじまって……)

 黙って考え込んでいるが、コクべが通信を切る気配はない。

 俺が話し始めるのを待っている。昔からそうだ。

「……あー、メモリー?」

 コクベではない突然の声に、心臓が口から出そうになった。怒声でもないし、むしろ遠慮がちなものだったが、完全に油断していた。

 飛び起きると、ドアからサイファーが顔を覗かせていた。

「すまない。ノックはしたのだが……」

「あ、わりい。ボーッとしてた。入ってくれ。

 コクべ、一回切るぞ」

『サイファーか?』

「ああ」

『そうか。

 サイファー、メモリーは少々悩んでしまっているようなんだ』

「おい! そんなんじゃねえって」

『無理そうなら連絡しろよ』

 どちらへ言ったのかわからないセリフを最後に、通信は切れた。

 俺はサイファーに一人がけのソファを勧め、自分はベッドから立とうとする。

 金髪の紳士は座りながら、そのままで、と俺を制した。

「悩める少年なのかい?」

「いや、気にしないでくれ。それよりどうしたんだよ? ケガは? っつーかアリアは?」

「はっはっは。いっぺんに聞いてくるね。

 まず私の怪我は問題なく、アリアはマスターについてもらっている。マスターも命に別条はなく、傷が塞がれば日常生活にも問題ないそうだ」

 そしてサイファーは一呼吸おいて最初の質問に答えた。

「折り入って頼みがあってね」

「なんだよ」

「私が“発症者でないこと”を、秘密にしてくれないか」

 ダミーと交戦中に生じた違和感。

 その正体は“発症者同士は共食いができない”はずなのに、サイファーはアリアの食餌になっていたことだった。そもそもこの男は、自分の食餌はアリアと豪語してすらいた。

 共食い不可の事実を知る者は少ない。実験に参加した俺ですら知らなかったし、マスターなどの一般人は絶対に知り得ない。

 だが、なぜこんな詐欺まがいのことをしているのか。俺は聞くことができなかった。

「……あんた、人にモノを頼む顔じゃねえぞ」

 喉元に手をかけられたような圧迫感が俺を襲う。

 へらへらした優男はどこへ行ったのか。

「すまない。それで、返答は?」

 否であれば手段は問わない。緑色の瞳がそう語っていた。

「……たりめーだろ。俺だってアリアを傷つけたくなんてねえよ」

 圧迫感が急に消える。

 本業は殺し屋かよ、と悪態を吐こうとしたが、なぜかサイファーが間抜けヅラを晒していた。

「…………心強いな」

 サイファーはぽかんとしたままそう呟いた。そして堪えられないと言わんばかりに肩を揺らして笑い始める。

「ふふふ……はっはっはっは! 気に入ったよメモリー!」

「な、なんだよキモチわりいな」

「私の要件は以上だ。さあ君の番だ、悩める少年よ!」

「別に悩んでねえよ!」

「恥ずかしいのかい? たしかに思春期は心を打ち明けることに抵抗がある!」

「聞・け・よ!」

「そこで大人には多様な悩みに応用できる、かつ的外れでないアドバイスが求められる……ふうむ、難しいぞ!」

「お前の相手が難しいわ……」

 面倒臭くなってひっくり返るようにベッドへ転がった。

 微笑ましいと言わんばかりの、サイファーの含み笑いが聞こえた。

「愛とは貫くものだ。守りたいものを守ればいい」

「……?」

 肘をついて上半身だけを起こす。

 ソファの紳士が孫でも見るような視線を寄越していた。

「君は発症者で、立場はあの男と同じだと考えているのかもしれない。

 だが、私は君を友人と思っている。

 私にとって、君と彼とは明確に違うのだよ」

 悟すような声が続けた。

「だから私は君に協力したいし、助けになりたいと思う。

 そこに発症者だから、人間だからこうする“べき”というものはない。

 しかし、信念がなければ心は折れてしまう。それは発症していようがいまいが同じだ。

 だからこそ愛を貫くのだよ。友愛でも親愛でも、人間愛でも」

 俺は気がつくと座り直していた。

「君がそうしたいと思ったのなら、人間を守っていいのだ。守り抜いていいのだよ」

「…………うん」

 目元を緩めるサイファーに、なんとなく父さんを思い出した。

「私からアリアへの愛と同等のものが欲しいなら善処するが……」

「台無しだな!」

 

 □■□

 

「あっ、おにいちゃん!」

 霧がかった裏通りに、似合わないほど快活な声が響いた。

 ヴェデリエル・ダンは——今は別人の顔をしているが、少年と出会った時の風貌なので彼は間違ってはいない——つい振り向いてしまった。 

「よかったあ、あえた! ねえおにいちゃん。いぬはすき?」

「んー……そうだね好きだよ」

 唐突な質問に“おにいちゃん”は努めて穏やかに答える。彼には時間がなかった。検閲が始まる前にここを発たねばならなかった。

「ほんとう? あのね、おねがいがあるんだ」

 少年の後ろからひょこっと、小さな犬が顔を出す。白と茶色が斑模様になったビーグルだった。

「ベネッサのかいぬしになってほしいんだ」

「え? でも、この子は君のじゃ……」

「おかあさんはかみさまのおよめさんになったんだって。

 だからこれからぼく、いとこのおうちでくらすんだ。でもいとこはいぬアレルギーだからつれていけない。

 ベネッサといっしょにいてくれる人をさがしてたんだ」

 唖然とするダンを気にせず、少年はプレゼンを続ける。

「ベネッサはかしこくってかわいいよ。おすすめ」

「えっと、賢いの?」

「うん」

「…………」

 自分の主人を殺した男の足元で、ベネッサは舌を出して尻尾をちぎれるくらいに振っていた。

「……まあ、ベネッサが僕でいいなら」

「うん! じゃあくびわをにかい、ひっぱって……そうそう。もうベネッサはおにいちゃんを“しゅじん”だとおもうから、だいじょうぶ。

 ベネッサ、げんきでね。おにいちゃんをよろしくね」

(僕がよろしくされるのか)

 少年は大きく手を振って帰って行った。

 残されたビーグル犬は新しい主人をじっと見上げる。尻尾は依然として振り続けていた。

「……よろしく、ベネッサ」

 ダンが撫でるとべネッサは心地好さそうに目を細めた。

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