——この街には、日に三人しか治せないが、どんな難病も必ず治す名医がいる。

 六年前、俺は故郷の全住人から記憶を奪って村を出た。発症の検査はつつがなく済んだが、帰るアテはもう無い。

 当時十歳という子どもだった俺は、記憶喰いのメモリーとして機関で養育されることとなった。

 主に俺の面倒を見たのは、コクべとその医者だった。

 

 清潔感のある白いカーテンと、揃えたような床と壁。ソファやテーブルは品の良い黒でまとまっているここは、診療所の応接室だった。だがこの部屋は実質、一人の休憩室及び住処になっており、私物がそこかしこに転がっていた。

 俺の眼の前では、女のように長いミルクティー色のくせ毛を高い位置で一つに束ねた男が、回転式の椅子に座ってくるくるしていた。

「必ず治すっていうとなあ……それ、ほとんど詐欺なんだよねえ」

 あはは、と頼りない笑みをこぼすそいつは“病喰い”ことドクトル。応接室を占拠している男だった。白衣を着ているが、たれ目とメガネに威圧感は全くない。髪型もそれに拍車をかけているが、本人はふわふわ揺れるそれを、量が多いと嘆いていた。

 俺はというと、半目になっていた。ソファに座り、自分の膝に頬杖をついていたが、顎がずり落ちそうになる。

 ドクトルの言葉に、ではない。顔を出しそうな嫌な記憶に、だった。

 生まれてこのかた緊張感というものを持ったことがなさそうな男が、回る速度を落としながら言った。

「君や僕の疾患は食べれなかったからねえ、どうやっても」

 その件に関して俺はまだ根に持っている。こいつに食われそうになった時のことは、思い出したくない記憶のトップに君臨している。けしかけたコクべも同罪だ。

 怨みがましい俺の視線をひらりとかわし、ドクトルが続けた。

「ところでメモリー。今回はいつまで居られるんだい?」

 母親が息子に聞くように、ドクトルは首を傾げた。

「生憎だが、あと一週間は滞在する」

「そんな言い方するなよ。歓迎してるんだから」

「俺は仕事で来てるんだ」

「コクベ君に似ないでほしいなあ。六年前はあんなに可愛かったのに……」

(いつの話だ)

 俺は喉まで出かかった言葉を飲み込んで、本題を切り出した。

「で、例の不審死だが」

 この街で急速に行方不明、変死体が増えていた。

 ドクトルはついに椅子の回転を止め、ため息をつく。

「本当に勘弁してほしいよね。死んでからじゃあ治せないよ」

「検死もしてるんだろ? 今月で何人目だ」

「十八人目」

 予想以上の多さに俺は息を呑んだ。

 話を続けるドクトルが名医らしい面持ちになっていた。

「共通点は心臓。一部が食いちぎられたように穴が開いている。

 そして見つかるペースは一日三人。まるで食事のような時間で朝昼晩に一人ずつ」

「……発症者か」

「ほぼね。こういうことがあるから、僕らやコクベ君まで悪い印象になっちゃうんだ」

 あーあヤダヤダ、とドクトルは書類を俺へ差し出した。

「はい。隣町にあるホテルのチェックアウト履歴と、この街の宿泊者リスト」

「住人は調べないのか?」

「隣町でも同じような連続殺人があったんだけど、こっちで死に始めてからパッタリと止んだんだ」

「場所を移している、の、か……」

 俺はリストの膨大さに絶句した。

「発症者と機関総出の人海戦術だ。頼りにしてるよ。“食事要らず”のメモリー」

 

 □■□

 

 田舎のわりにこの街は栄えていた。大きな都市の中間地点にあり、ビジネスの場になりやすいのか、駅も客が多い。

 そこから車を数十分走らせたところでさえ、ホテルが立ち並んでいた。

「くっそー……」

 俺はホテルのバックヤードで悪態をついた。夜勤帯なのでこの部屋には誰もいない。おかげでさっきから独り言が止まらなかった。

 疾病調査機関の権限で、調査中の俺や黒服はどこのホテルにも我が物顔で出入りできた。そこで宿泊履歴と犯行時間を片っ端から照合することになっている。

 俺は一人でこのバカでかいホテルを担当する羽目になっていた。

「…………しかも該当なしじゃねえか」

 怪しいやつすらいなかった。

 時刻は午前三時四十五分を指していた。

 疲労感と引き換えだが、ようやく自分のホテルへ帰れる。背伸びをすると、バキバキと関節が鳴った。

 資料を片付け、枕がわりになりそうなリストの束を片手に部屋を出る。フロアにいた夜勤のスタッフから同情するような笑みも頂いた。

 裏口を抜けるとさすがに少し肌寒く感じた。俺が泊まっているホテルは徒歩圏なので、運動がてら早歩きをする。なんなら|細々《こまごま》とした道を抜けてショートカットもしようとした。

「ドクトルに八つ当たりしないともたねーな……ん?」

 風俗店ですらクローズの看板を下げるような時間で、人通りは少ない。

 そんな閑散とした路地で、誰かがゴミ捨て場に袋を積んでいた。相手はフードをかぶってマスクもしていたので顔はわからない。

「!」

 その人が一瞬、俺を見やる。

 冷たさと涼しさ、似たようで違う温度を併せ持つような、不思議な目だった。そしてその人は逃げるように、ゴミ袋を三つ捨てて去って行った。

(キャバレーのお兄さんかな。ご苦労なこって)

 俺もゴミ捨て場を横切ろうとした時、妙な生臭さが鼻をついた。

 魚を捌いた直後の排水溝に顔をずっと近づけているような、しかもそれが腐ったような臭い。

 一度嗅いだらしばらくは忘れられなさそうなそれに、俺は顔を顰めた。

(くっせー。だからこんな時間に捨ててんのか)

 息を止めてさっさと進もうとしたが、運悪く袋のうち一つが俺の足元に向かって倒れた。

「うわ! ……え?」

 袋から液体が漏れている。薄暗い中、それは赤黒く見えた。

 ひどく嫌な予感がした。俺はゴミ袋を起こして、固く結ばれた口を開ける。

「……チッ」

 白み始める空に、俺の舌打ちが溶けていった。

 中に入っていたのは、人の腕だった。

 

 □■□

 

 超多忙な俺は、貴重な一日を事情徴収で終えた。残念ながら、される側だ。

 ホテルのベッドに大の字になって解放感、及び疲労感に浸る。

 ベッドサイドのテーブルには支給されてるノートパソコンが置かれていた。機関専用のネットワークで通信できる、盗聴の心配無用な優れものだ。

 その画面に、暇そうなドクトルと誰もいない診察室が映っていた。

『メモリー、今度ケーキ奢るから機嫌直して?』

「発症者にケーキってどういうジョークだよ」

『栄養にならないけど嗜好品で食べれるでしょ。コクべ君もよくお茶飲んでるよ』

「俺は甘いもん嫌いなんだよ」

 そういえばこの前も言ってたね、とドクトルは悪びれもしなかった。さらに平然と続ける。

『全然関係ない殺人事件の第一発見者になっちゃうなんて、何か持ってるんじゃない?』

「こんな人畜無害な俺が?」

『鏡見て、鏡』

 例の殺人鬼が消えた方向には宿泊施設は一つしかなく、そこは俺の泊まっているホテル・ブラウンだった。

 出歩いている時間や、さらに発症者であることも含め、警察に怪しまれた俺は全く帰してもらえなかった。

 幸か不幸か、別室の排水溝から肉片が見つかり俺はお役御免となったが。

 散々人を疑ってくれたオマワリさんは、現在その部屋の客を追跡捜査しているとのこと。

「バラバラ殺人とかどういう趣味だよ……タイミング悪いな……」

『ああ、それなんだけど』

 ドクトルが続けた。

『“パーツ”に過不足があってね。被害者はあの袋で全部ってわけじゃなさそうなんだ』

「どういうことだ」

『入っていたのは腕が二人分、足は一人分と一本。結構ぐちゃぐちゃにして誤魔化してるけど、被害者は複数人いるって見解になってる』

「……つまり?」

『もう一回捨てに来るかもしれないってこと』

「この街大丈夫か? 治安悪すぎだろ。人食い発症者にバラバラ殺人に……ていうか本当にそこ別人か? もはや同じやつじゃねえのか?」

『わざわざ一部の被害者だけ隠して捨てる理由が思いつかないよ。共通点もないし。

 それより君も気をつけるんだよ。向こうは顔を見られていると思ってるだろうからね。

 えーとたしか五十代くらいの男性で……』

「そっちは“人間”だろ。だったら問題ない。

 つーか、発症者の方は」

 心配してるのに! とドクトルは恨めしそうにぷりぷりしてから言った。

『元々警察だったのかっていうくらい難航してる。

 被害者の地域的な偏りも意図的に無くしてるみたい。昼間二十人目が発見された』

「そりゃ健康的な食生活で……」

 俺はため息と共に頭を抱えた。そこでふと気がつく。

「今、二十人目っつったか?」

『うん?』

「……ちょっと出てくる。被害者の発見地も端末に送っておいてくれ」

『メモリー!? まさか面倒臭いからって……!』

 俺はドクトルの言葉を最後まで聞かずに通信を切った。

「ディナーのご相伴にあずかるだけだ」

 

 □■□

 

 なんだかんだ、ドクトルからはしっかりデータが送られてきていた。

 発症者が人を襲っている! などという目撃情報の皆無っぷりから、人通りの無い道で“食料”を調達しているのだろう。

(……こーいうところかな。今も時間的に人気がないけど)

 そう見当をつけてさらに細い路地に入ろうとした時、腕に軽い衝撃。

「あ、すみません……って、大丈夫ですか!?」

 俺は誰かとぶつかってしまった。

 その人は当たりどころが悪かったのか、ずるずると座り込んでしまった。

 いいとこのお嬢さんしか着ないようなワンピースが地面に広がり、質の良さそうなストールと綺麗な長い黒髪も地面についてしまっている。

「すみません、持病の関係で……」

 その人は俯いたまま掠れた声で言ったが、呼吸は荒かった。

「薬とかは?」

「近場だし、すぐ済む用事なので置いてきてしまって……家に帰ればあるんです……もう、すぐそこで……」

 病的に白い指先が薄暗い路地を指す。ちょうど俺が行こうとしていた道だった。

「ちょっと待っててください。女性の方を呼びとめますんで」

「大丈夫です……お構いなく……」

(いやいや。そんな状態じゃないだろ)

 俺は人格者なので舌打ちを飲み込んだ。褒められてしかるべきだろう。

「肩、捕まってください。家の前までですがお手伝いします。本当にご迷惑なら退散しますが」

 夜道で見知らぬ男に家まで送られるのも嫌だろうが、このまま放っておいても危険なことに変わりはない。どうせ念のため後を尾けようとは思った。

「……では、お言葉に甘えて」

 なぜか肩ではなく胸に手を置かれ、じっと見つめられる。

 つい、裏返ったダサい声が出てしまった。

「えっと、あの?」

 俺を見つめる瞳は、可愛らしい顔立ちに反してキリッとしていた。服装からは結びつかない、流し目が似合うような少し冷めた雰囲気だ。

 なんとなく見覚えがあったが思い出せない。

 突如、腹に殴られたような衝撃。

「ぐっ!?」

 遅れて肉の裂ける痛みに襲われた。

 俺は反射的に相手を突き飛ばす。

 刺されたと認識した時には、俺の血がべっとり付いたでかいナイフがすでに引き抜かれていた。ご丁寧に、しっかり踏み込みの力が伝わるよう腰で構えられていたらしい。

(どこに隠してたんだよ……!)

 ご令嬢が得物を上段に持ち直す。

 的確に首を狙ってきたそれを避け、俺は物理的に出血大サービスで足払いをかけた。

「……!」

 素直に足を取られたそいつは、もう受け身の体勢に入っていた。冷静だし、身のこなしから考えると地面に手をついて、蹴りで反撃しながら起き上がるくらいはしてくる奴だったと思う。

 だが俺は紳士だ。レディに足なんて上げさせない。

「わりいな」

 そもそも奴の腕が地に届く前、空中でその頭をボールよろしく蹴飛ばした。

 鈍い音と一緒に、見事な黒髪が宙に舞う。

「……ふー」

 ドシャ、と結構な音を立てて伸びたそいつの横に、俺も反動で尻餅をついた。

(相手の反射神経に救われたな。

 一回地面につこうとしていた手をガードに持って来るのは、さすがに間に合わない。

 つーか……人間相手にやりすぎたかな)

 あられもない姿のワンピースは、目を覚ます気配がない。

 くよくよしても仕方ないので端末からドクトルに連絡を入れた。

『あー! メモリー! 勝手に突っ走って! 何がご相伴だよ!』

 数度のコール音の後、ハローもなくお説教が始まった。

「わりい」

『……おい、怪我しているのか』

 ドクトルの声が低くなった。

「刺された。アサシンなんじゃねえのってくらいのご令嬢」

『今、救護隊を送る』

「そこで伸びてるから捕縛班も」

 顔は見えないがドクトルのため息が聞こえた。

 若干バツが悪いものの、何か言われる前に俺は続けた。

「……お前の言うとおりだったよ」

『え?』

「こいつはバラバラ殺人の犯人だろうよ。変装までして口封じに来たっぽい」

 見覚えのある、冷えた瞳。

 あのゴミ捨て場に来ていた奴と同じだった。

『お口チャックされなくてよかったね? なにが人間なら大丈夫だよ、もうっ』

「……あ、警察が先に来ちまった」

『聞いてる!? うちの優秀な救護隊も一緒だってさ!』

「へいへい。助かったぜ、ドクトル」

 通信を切ると、眩いサイレンと共に警察と救護隊が到着した。

 一気に人が増え、俺は威圧感のある制服ではなく白い隊服に囲まれた。

「Mr.メモリー、ドクトルの指示により応急処置を行います」

「お願いします。つっても止血だけしてもらえりゃ走ってでも帰れますけど」

「発症者が通常より強靭な肉体なのは存じていますが、我々は患者を軽んじる者には容赦しません。例え患者本人でも、発症者でもね。それがドクトルの方針です」

「へいへい」

 俺は大人しくバンザイし、消毒やら止血やらを受けた。

 その時、すぐそばから悲鳴があがった。

「うわああああああ!」

 警察の輪からだった。

 そこから人影が一つ飛び出すと、先が見えない暗い路地へ駆け込んで行った。

 残された警官たちがどよめき始める。

「おい、しっかりしろ!」

「呼吸停止! 担架!」

 気絶していたはずの殺人鬼がいなくなった代わりに、警官が一人ぐったりと倒れていた。

「救護隊、俺よりそっちを!」

「Mr.メモリー!?」

「俺はあいつを追う!」

 言いながら俺は走り出した。

 止血は済んでいるから問題ない。それより気掛かりなことがあった。

(あいつ、一体何をした……?)

 ナイフは取り上げられていたし、警官にも目立った外傷はなかった。そもそも発症者の俺に蹴飛ばされて、こんなに早く動けるようになるなんて。人間ではあり得ない。

(まさかあいつも発症者なのか?)

 灯りのほとんど無い路地は一本道だが、前方には品のいいワンピースの裾がちらっと見えた。人間の視力ではわからないぐらい微かだが。追いつくのも時間の問題だ。

 相手が左折したので見失わないようにスピードを上げる。

 行き止まりだったようで、薄暗い中でさらさらの黒髪が壁に直面していた。

「……さて、お嬢さん。ご同行願えるかな。

 それとも“抱っこ”の方がいい? ……ん?」

 違和感を感じ、その辺にあった空き缶を投げつける。

 艶やかな黒髪に命中したかと思えば、その頭がポロリと落ちた。

(やられた!)

 理解した瞬間、俺の首を吹っ飛ばさんばかりの衝撃が襲った。こっちの頭が取れるかと思った。後ろから飛びかかられたが辛うじて振り解き、距離を取る。ガンガン鳴る頭を押さえていたが、行き止まりに背をぶつけた。若干勢いがあったせいで噎せる。

 追い詰めたと思った人影は、箒とか適当な棒にカツラと服を上手く引っ掛けたものだったようだ。

 暗がりから、足音がコツコツと近づいて来る。全身が現れるより先に、滑舌のいいバリトンボイスが俺を鼻で笑った。

「ちょっと面白かったぜ。一人で喋ってて」

 俺の前には細身の、闇に溶けそうな男が立っていた。声のわりに意外と若い。ボサッとした黒い癖毛で、演劇の黒子のような服装だった。

「ってて……女装のご趣味ほどでも。それが素か?」

「さあな」

「声まで変えられるんだから変装が得意なんだろうけれど。残念ながら目が強烈過ぎんぜ」

 冷たさがいっそ心地いい、涼しげな黒い目。この男がご令嬢の正体だった。だが可愛らしさは影も形もない。むしろ雄々しい部類の顔立ちだった。

 男がニタリと、明らかに馬鹿にして笑った。

「思いっきり騙されてたクセによく言うね。発症者」

 手当てされてる時の会話を聞かれたのかもしれなかった。そして顔の良さで嫌味が倍に感じられた。

 黙る俺を置いて男は続けた。

「仲間同士仲良くしようよ」

「ダチの頭吹っ飛ばすの? ハードな友情だな。遠慮しとくわ」

 やっぱりこいつも発症者だった。

 発症者は普通の人間より身体能力が高くなる。

 だから、距離を詰めたそいつが俺の顔面を狙って繰り出してきたパンチは、人間なら見切れない速さだし、俺のようにカウンターで延髄蹴りなんてできないだろう。

 狙いの外れた男の拳がコンクリートにめり込んだ。

 俺の蹴りをいなした男が、腕を引き抜きながら言った。

「それだけ動けるなら人間を撒いて暮らせるだろう。わざわざ“家畜”の言うことを聞いてるのはなぜだ?」

「発症してるだけで自分は人間だと思ってるからな」

「おいおい、僕も人間だけど?」

「なに言ってんだ変装(ダミー)野郎」

「いいね、その名前。気に入った」

 そう笑いながらダミーは俺の腹の傷を狙う。

 俺も奴の足を狙う。巧妙に庇っているが、足払いのダメージが残っているのは見えていた。そこにもう一撃キックを入れようとする。

「食べるものが違うだけだ。

 ライオンがシマウマを襲ったら怒るとかしないだろ? それと同じだ」

 そう言いながら、ダミーは後ろに軽快なステップを踏んで避けた。

(しまった、足のダメージはフェイクか!)

 さっきよりずっと高速で、ダミーが距離を詰める。

 蹴りが空ぶった俺の背中側から、首を目掛けて小型のナイフが光った。 

「僕は僕のために生きていたいだけ。邪魔をするなら容赦はしない」

 その時、銃声が響いた。

 俺たちの間に弾幕が割入る。

 ダミーはナイフで一発弾くが、蜂の巣にされると判断したのか、ベランダや窓を伝って屋根へ跳び上がった。

 鉛の嵐もそれを追うが、ダミーはそのまま姿を消した。

「メモリー! こっちだ!」

 ずいぶん久しぶりに声を聞いた気がする。

 俺たちがドンパチしてる袋小路の入り口に警察とコクベ、数人の黒服が集まっていた。正直、俺まで懐中電灯に照らされてよく見えないが。

「遅かったじゃねえか、コクベ!」

「メモリー。無事だな」

「断定かよ」

「まあな。

 ……ああ、お騒がせして申し訳ありません」

 あんまり心配していなさそうなコクベの方、住人たちが何事かと建物から出て来た。

 そりゃあそうだよな。こんな夜中に銃声やらで騒々しすぎた。

 警察が事情の説明に散るも、狭い路地の人口密度が高くなって酔いそうだ。俺は、いつの間にか近くにいた少年とぶつかりそうになる。その子はキャスケットをかぶっていた。

「あ、ごめん……」

「メモリー」

 帽子の下に覗く、冷えた瞳。それがニタっと弧を描く。

「覚えた。また遊ぼうな」

「……待て!」

 そいつは人と人の間に消えていった。

 

 □■□

 

 騒ぎを収拾した後、俺たちはドクトルの診療所に戻った。

「メモリー! 無事でよかったあああ!」

「お前ら足して二で割ったらちょうどいいのに」

「何の話?」

 半泣きで抱きついてくるドクトルを適当にあしらい、俺は応接室のソファに座った。

 コクべは何かの資料を取りに行っている。

 俺は全体重を背もたれに預け、上を向いたまま言った。

「なあドクトル。あの警官は……」

「ん。運ばれてきた時にはもう。

 逆にあの場にいた住人は、少年が服を盗まれた以外の被害はないよ。“食後”だっただろうしね」

「……そっか」

 目を逸らした俺の頭を、ドクトルがわしゃわしゃと撫でた。

「よくがんばりました」

「俺、犬じゃねえんだけど。

 つーかあの発症者のこと、なんかわかったのか?」

 仕事の話に戻す。別に照れ隠しじゃねえ。

「遺体は傷一つなかったから、おそらく触れただけで食事ができるタイプ。便宜上は魂喰いってところかな」

「タチ悪すぎだろ……。バラバラ殺人鬼とシリアルキラーの発症者、二人で殺し合えばいいのに」

「メモリー、知らないの? 発症者同士は共食いできないんだよ。

 昔、僕が君の疾患を食えなかった実験あっただろう。それでわかったんだけど、言わなかったっけ?」

 ドクトルの声をBGMに、俺は胸にしなだれかかる女装野郎を思い出して、背筋が粟立った。

(あいつ、しれっと殺しに来てたんじゃねえか)

 青ざめていると、応接室のドアが開いた。

「ドクトルもいたか。メモリー、お手柄だ」

 ゴーグルをつけたままのコクべが、ファイルを持って戻って来た。

「ほんと? じゃあなでなでしてあげて」

「黙ってろドクトル」

 コクべは首を傾げたが、気にせずテーブルに資料を広げた。

 中には劇場のポスターも混ざっていて、赤い髪の男が一番大きく映っている。

 別人のようだが、その目は今日何度も見たものだった。

 コクベがその男を指差した。

「ヴェデリエル・ダン。元舞台役者。少し前まで天才として大人気だった男だ」

 コクべがポスターを裏返すと、俺を刺した黒髪がキャスト欄にいた。

「そんなに有名だったのか? 聞いたこともねえけど」

「インタビューの類は全く受けなかったらしいからな。そんな時間があるなら稽古するとかで、メディアへの露出はことごとく突っぱねたらしい。

 ダンは演技も別格で上手かったが、なにより本人のメイクや衣装を使った“見せ方”が武器だったそうだ」

「変装……!」

「ああ。

 舞台好きなら誰でも知っているような知名度だったし、本人も自覚していたから変装し続けていたんだろう。

 だがメモリーが“すっぴん”にさせ、戦闘中の姿で警官や黒服でさえ何人か気付いた。

 そこから調べたところ、突然の引退と連続殺人の時期も一致した。そもそも現行犯のようなものだがな」

「ちょっと待て。もう捕まえたのか?」

「いいや。直後にチェックアウトした人間を洗ったが同じ名前の奴はいなかった。偽名を使っているだろうからな。

 だが、セントラルホテルの監視カメラに“育ちの良さそうな女性”が映っていた」

「……あいつだ」

「逃げられたが、正体がわかっただけでも前進だ」

 コクべが俺の頭に手をぽん、と乗せた。別に撫でなくていいのに。

 ふと、疑問が湧く。

「ん? セントラルホテルだったのか? 俺がゴミ捨て場で見た時は、ブラウンの方に帰ってったぞ」

 ドクトルが一緒になって首を傾げた。

「そう思わせるため、とかじゃない? ブラウンは小さいホテルだし、カメラとかないから」

「……実は辻褄が合わないところもあるんだが」

 納得しかけたところで、コクべが切り出す。

「ダンが泊まっていたのは昨日から。つまりメモリーが目撃した日からなんだ」

「俺に見られたから?」

「チェックインは昼間だ。もともとホテルを変えるつもりだったんだろう」

 ポスターを表にひっくり返しながらドクトルが言った。

「おイタをするなら、カメラもないブラウンの方が都合良さそうなのにね。

 うわ。この演目、バスルームに死体をしまっているんだって。まさかこれの真似したのかな」

 バスルーム。ホテルのチェックアウト。バラバラ殺人。

 頭の中で違和感が走り回る。

 

 ——入っていたのは腕が二人分、足は一人分と一本。結構ぐちゃぐちゃにして誤魔化してるけど、被害者は複数人いるって見解になってる。

 

 ——元々警察だったのかっていうくらい難航してる。

 被害者の地域的な偏りも意図的に無くしてるみたい。昼間二十人目が発見された。

 

「……なあ、二十一人目って見つかったか?」

 ドクトルが首を横に振る。いつもならもう見つかってる時間だ。

「やっぱりどっちもダミーだったんだ」

 コクべは無言で続きを促し、ドクトルはキョトンとする。

「最初はブラウンに泊まって“食事”をする。この時の遺体は刻むなりして部屋に置いておく。

 次の日からは派手にして、まるで『この日から連続殺人が始まった』と思わせるんだ。

 ある程度したら最初の三人をバラバラにして捨てる。

 それからセントラルに泊まれば、時期がズレているから怪しまれることはない。

 ……俺に見られなければ」

 わざわざ被害者の偏りも無くす陰険野郎が考えそうなことだ。

 コクべがふー、と大きく息をつく。

「やられたな」

 

 □■□

 

 以降、この街での殺人はパッタリと止み、別の街でまた同じような連続殺人が発生し始めた。

 まるで我が子が旅立つような顔をしたドクトルに見送られ、診療所を出たのがさっき。

 機関御用達の、頑丈さに特化した車の中で、俺の怒号が反響した。

「だからってなんで俺なんだよ!?」

 機関の上層部は何を考えたのか、余計な部分を高く買ってしまったらしい。

 昨晩届いた電報の内容は、ダミーを追えという指令だった。

 隣で運転するコクべは前を向いたままで変わらず、声だけ宥めるようだった。

「発症者かつ食事も不要、さらに奴の行動パターンも読めると揃えば適任だろう」

「あんなイカれた奴関わりたくねえよ!」

「目的地までは送ってやるからまあ頑張れ。ヴェデリエル・ダン担当」

「……おい、なんか適当に言ってねえか?」

「まさか。お前なら出来るよ多分」

「雑!」

 コクべの表情は、ゴーグルを抜きにしても昔から判断しにくい。

 俺はそこそこ揺れるシートに背中を叩きつけた。

「ったく! やられたよ!」

<      >