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“メモリー”になった話

 食物連鎖。
 世界には食うものと食われるものが存在する。
 知能を生かし、その頂点に君臨するであろう人間。
 だが人間の中で、さらに連鎖の上へ飛び出す者がいた。
 もはやピラミッドの外へ弾かれたような彼らは、摂取する栄養が異なっていた。
 例えば人間の声や病、はたまた——記憶。

 □■□

 風が心地よい。
 春と夏の間、過ごしやすい季節。その日はよく晴れていた。
 村の端には海を見渡せる小高い丘と、そこでぽつりと佇む大木がある。
 俺はその大木の下に寝っ転がっていた。
 昼寝には眩しい陽光を、豊かな葉が適度に遮る。うとうと考え事をするにはもってこいの場所だった。
 最近、俺の身体はだるさが取れず、重くなる一方だった。まだ声変わりもしていないし、成長期でもない。熱もなく、ただひたすら疲労感と目眩が日に日に溜まっていった。
 腹が空きすぎている時のような吐き気もずっとしていた。だが何をどれだけ食べても満腹感は無く、やがて食事すら億劫になった。
 勝手に進む身体の変化が不気味だった。
 思い当たるフシもなく、誰にも言っていない。正体不明な感覚に神経もすり減っていた。
 そのせいか、昼寝にも関わらず、いつもよりずっと深い眠りに落ちていた。
 だが聴き慣れた声が鼓膜を殴る音量で飛んできた。
「こんなところにいたのね、×××! 一日中そんなんじゃ植物になっちゃうわよ!? あともうお夕飯だから!」
 驚いて目を開ける。
 気持ちとしては飛び起きるほどだったが、依然として身体はだるく、俺は横になったまま、首だけを声の方へ向けた。
 いつの間にか太陽は半分ほど海に顔を隠していた。
 それを背に、幼馴染みのメリーが仁王立ちをしていた。
 彼女は長い茶髪を二つに分けて編んでいるが、毛量が多いので太い。それを何度顔にぶつけられたかわからない。メリーはおてんばの癖に、大人ぶって膝下のワンピースを着始めた。今日はオレンジ。
 その色を選んだ理由はなんとなくわかっていたが、知らんぷりをしていた。ただ、からかわないかというと、それとこれとは別である。
「……なんでメリーが呼びに来るのさ。夫婦でもないのに」
「なっ……! お、おばさんに頼まれたのよ! あたしの方がお姉さんなんだから!」
「ああそう」
 わざと言ったことがバレないようにそっぽを向いた。そして、俺も来月には同じく十一歳になるんだけど、とは火に油になるので黙っておく。
 そんな俺にバチが当たったのか、自称お姉さんの小言が続いてしまった。
「だいたいあんた、ここのところ食が細いって! そんなモヤシみたいな身体して、食べなきゃ死ぬわよ!?」
(母さん……頼むから余計なこと言わないでくれよ)
 話が逸れて本格的に怒られてしまい、ぐうの音も出なかった。
 メリーがキャンキャン吠える。
「聞いてるの!?」
「あー……あんまり食欲ないんだよ」
「根性ないわね! バテてんじゃないの!?」
 頭まで痛くなりそうだったので、とりあえず俺は彼女を宥めることにした。
「わかった、わかった。もう戻るから。お前も先に行ってて」
「……別に一緒に帰ればいいんじゃない」
 急に声の小さくなったメリーが、手をもじもじとさせた。
 ここで、お前がそんなに一緒に行きたいなら、などと言ってはいけない。後が大変なことになると、長年のつきあいで身に染みていた。
「…………そうだな。もう暗いし」
「! しょうがないわね! ほら!」
(何がしょうがないんだよ)
 パッと目を輝かせたメリーがこちらへ手を差し出す。それは恥ずかしくないらしい。
 俺はのっそり身体を起こした。一応、顔が赤いと問われた時のために、夕焼けのせいにした回答を用意しておく。そして少し躊躇しながら、彼女の手を取った。体重なんてかける気は全く無く、形だけ手を借りるつもりだった。
 だが立ち上がろうと腰を浮かせたその瞬間、世界がひっくり返ったような、きつい目眩に襲われた。
 俺は地面に逆戻りしてしまった。目の前がぐにゃぐにゃに歪んでいた。
 慌てたメリーの声がすぐ横で聞こえた。
「×××! 大丈夫!?」
 背中に温かいものが触れ、彼女の腕に支えられていることはわかった。 
 その時俺の前に、唐突に部屋が現れた。丘に吹く潮風など全く感じられない、瞬間移動でもしたようだった。
 見慣れたそこは俺の家で、母さんが台所からこちらを振り返っていた。
『メリーちゃん、うちの子知ってる? またフラフラしてるみたいで……』
『いつものところだと思うんで、あたし呼んできます!』
『悪いわねえ』
 不自然だったのは、メリーの声がずいぶん手前から聞こえたことだった。
(なんだこれ……?)
 わけもわからず瞬きをすると、それは夢から醒めるように消え去った。
 今、俺の目の前には、半分ほど夕陽を飲み込む海が静かに広がっている。
 俺はさっきと同じ体勢で丘の上に座り込んでいた。
「なんだ今の……メリー?」
 今度は彼女の様子がおかしかった。俺を見てぽかんとしている。
「あたし……どうしてここにいるんだっけ?」
 一方、俺の吐き気はおさまっていた。

 □■□

 太陽はもうとっくに沈んでいた。
 こんな辺鄙な村へ、真っ黒なスーツに政府公認のバッヂと、瞳の見えないゴーグルをつけた役人——通称“黒服”が六人も来ていたら大騒ぎだ。
 村役場のまわりには、隠れる気もない人集りができていた。
 その訝しげな喧騒から逃れるように、役場の一番奥。よほどのことがないと使われない会議室がある。
 コの字型に並べられたテーブルには俺、俺を挟むように両親、向かいのテーブルにはリーダーらしき男の黒服が一人座っていた。間を繋ぐ残りのテーブルには村長がついていた。ちなみに他の黒服は、軍隊よろしく直立不動で俺たち全員を囲っている。
 俺の向かいに座る、リーダーの黒服が淡々と言った。
「息子さんは、発症者です」
 “発症者”
 一般的な食物で栄養を摂らず、個別の“食餌”以外を受け付けない。
 それは霞や音などの無害なものから、人間を食らうものまでいるとか。
 発症する原因も不明。接触すれば必ず発症するというわけではない。しかし感染の可能性は否定しきれず、地域によっては悪魔憑きだの神の使徒だの言われている。
 うちの村もそういったクチだった。
 黒服が続けた。
「申し遅れました。疾病調査機関所属のコクベといいます。
 ご子息がこの度、食物連鎖を逸脱する疾患であることが検知されたので参りました。
 被害報告を考えると、おそらく“記憶喰い”かと」
 コクべは黒い短髪を後ろへガッチリ固めていた。さらにゴーグルのせいもあってまるで感情が見えず、よく出来た機械のようだった。
 おずおずと母さんが口を開く。
「それで、あの、息子は……」
 正直、聞かなくてもわかっていることではあった。
 コクべは慣れている様子でつっかえることなく説明した。
「感染防止と疾患調査のため、我が機関付属の研究病院に入院して頂きます。その間、戸籍なども凍結となります」
「それは……いつまで……?」
「具体的には分かりかねますが、解明されるまで、としか」
 母さんが泣き出し、父さんが机の下で拳を握り締めた。
「一つ誤解しないで頂きたいのですが」
 コクベが続けた。
「発症者でも感染の危険性がなかったり、むしろ人々のためになる有用性が証明されれば、以前と同じ暮らしができます。その実績も少なくありません。
 逆に指令に反した場合、国賊と同じ扱いになります。
 どうかご協力を」
 その最後の一言が、なぜか俺の耳に残った。
 懇願しているように聞こえ、コクベの立場とは相容れないように思えた。
 だんまりだった父さんが、ここで初めて口を開いた。
「……考えさせてください。心の準備を」
 そして椅子から立ち上がり、俺と母さんの肩を叩く。
「お前達は先に戻りなさい」
 父さんに言われた通り、母さんは俺を連れて椅子を立った。俯いた横顔は生気が抜けたようだったが、決して俺の肩から手を離さなかった。
 コクべが他の黒服へゴーグルを向ける。
 アイコンタクトを受けた黒服が部屋の扉を開けてくれた。顔は同じゴーグルで全くわからないが、母さんがよろけると腕を少し上げた。倒れそうな人を支える動きだった。
 コクベが俺たちの背中に言った。
「我々は明日の晩にここを発ちます。それまでに」
「……わかりました。
 村長、お話が」
 それを最後に、扉が閉まった。
 父さんが村長に何を話しに行ったのかはわからなかった。

 □■□

 役場から出ると、村中のみんなが集まっていた。
 真っ先に駆け寄ってきたのはメリーのお母さんだった。
「×××、大丈夫? ケイトも、気を確かに」
 ケイトは母さんの名前だ。
 俺の肩に触れていた母さんの手が震えた。
「ううっ……どうしてこの子が……×××が……」
 メリーの母は、嗚咽でまともに立っていられない俺の母さんを支えてくれた。
 それを他人事のように眺めていると、誰かが俺の袖をくい、と引く。
 犯人はメリーだった。
 涙目の彼女は黙っていた。口を引き結んで眉もつり上げ、怒っているように見える。だがそれは泣くのを我慢している時の、いつもの顔だった。
 一方で不穏な空気も漂っていた。
「メリー、離れなさい! 万が一があったらどうするんだ」
 それはメリーの親戚だった。俺を見て露骨に嫌そうな顔をしていた。
 メリーの母が声を荒げる。
「こんな時になんてこと言うの!」
 すると親戚も引かず、言い合いになってしまった。
「俺たち大人はともかく、若い衆やメリーが感染したらどうするんだ!
 シャングリラの時は大丈夫だったが、今回もそうとは……!」
「シッ!」
 まずい、聞かれたか。
 そんな目が一斉に俺へ向けられる。
 シャングリラとは母さんの兄で、俺から見たら叔父にあたる。たしか母さんが若い頃に亡くなったはずだ。
 そんな人の名前がどうして今になって出てきたのか。疑問に思ったのは、俺だけではなかったらしい。
「えっ、シャングリラも?」
 集まっていた誰かの素っ頓狂な声が聞こえた。
「落石で亡くなったって、嘘だったのか!?」
「同じ家から二人も発症するなんて……!」
「ケイトは外の出身だけど、まさか何か持ち込んできたんじゃ……」
 うちとメリーの家以外のみんなが口々に騒ぎ出す。
 居心地の悪い眼差しが俺たちへ向けられた。
「不吉だ」
 誰かのその言葉を最後に、役場の前は静まり返った。
 そんな中、母さんの弱々しい涙声がやけに響いた。
「私が悪いんだわ……この子、昔から身体は強くなかった……もっと元気に、普通に産んであげれたら……ごめんね、ごめんね……」
 母さんがよろよろと俺に腕をまわし、そのまま抱き寄せる。まるで俺を、村のみんなから隠すようだった。
(あったかい)
 抱きしめられ、俺の中にある考えが浮かんだ。
 それは、発症者になりたてでは無茶だし、まだまだガキの俺には酷なことだった。本当に嫌で、嫌で、他の手立てを考えるより、このまま甘える言い訳を探す始末だった。
 だが思いついてしまえば、それ以外は選べなかった。もっといい案など出てこなかった。
 尻すぼみになっていく母さんの声に、誰も何も言えなかった。
「×××、ごめんね……」
 俺は母さんの腕から抜け出し、大きく息を吸い込んで言った。
「みんな、家に入って」
 シンとしていたおかげで、すんなり注目を集められた。
 口から出て行った言葉は二度と帰らない。もう戻れない。
 俺は、俺が怖じ気づく前に、勢いのまま言った。
「これから黒服が、他に遺伝要素のある家系がないか調べるらしい。
 一家揃って全員が自宅で待機、検査を受けて。歯向かえば国賊だって」
 母さんがギョッとして俺を見る。
「お前、何を言っているの……!?」
 その時、俺たちの後ろで役場の扉が重々しく開く。
 ちょうど良く現れた彼を、俺は利用した。
「そうでしょ、コクベさん」
 ゴーグルの下はうかがえないけれど、俺が目で訴えていたことは通じたらしい。
「…………ええ。皆さん、ご自宅で待機を」
 コクベが言うが否や、みんなは逃げるように家へ帰って行った。
「メリーたちも行って。母さんなら俺に任せて」
 俺は半ば強引にメリーたちの背中を押す。その拍子にこぼれたメリーの涙は、見ないふりをした。

 □■□

 とっぷり夜が更けて、日が昇るんじゃないかと思う時間だった。
 村の出口へ向かう一本道。
 俺は、肩にぶら下がるでかいバッグのせいもあり、身体を引きずるように歩いていた。
 この村にはもう、俺を覚えている人間はいなかった。
 俺の両脇には無言で黒服が歩いていた。彼らは俺がベッドや机、持っていけない物を捨てるのを手伝ってくれた。
 出口ではコクベと残りの黒服が俺たちを待っていた。
 コクベが、こんな暗い中でもゴーグルをつけたまま言った。
「……済んだか」
 俺はバッグを背負い直して頷く。
「もう出れる」
「そうか。……持とう」
 “食べ過ぎ”でフラつく俺から、コクベは荷物を取り上げ、歩き始めた。
 黒服はもっと人でなしだと思っていたから不思議だった。それに何か話をしていたい気分だった。
 俺はコクベの一歩後ろをついて行きながら声をかけた。
「なんであの時、一緒に嘘をついてくれたの?」
 ゴーグルをつけた横顔は、役場で機械的な説明をしていた時と変わらない。だがコクベも他の黒服も、歩くスピードを俺に合わせていた。仏頂面だけどよく面倒をみてくれた先生みたいだった。
「……美味かったから、だろうな」
 疑問符を飛ばす俺にコクベは続けた。勿体ぶった話し方は、何でも知っていた三つ年上の従兄弟みたいだった。
「俺も発症者だ。嘘喰いのな。欺瞞や裏切りで生きているが、好んで口にしたいもんじゃない。
 久しぶりに胸焼けしなかったから。理由としてはそうなる」
「嘘に味なんてあるの?」
「甘いとかではないが、人のためにつかれた嘘は吐き気がしない」
「ふうん、それで……っ!」
 俺は歩き慣れた道で転びそうになる。
 すると咄嗟にコクベが俺の腕を掴んだ。一緒に釣りに行った時の父さんみたいだった。
「……よく、家族を守ったな」
 コクベはそのまま俺の手を引いて、また歩き始めた。
 その言葉は、人がせっかく気を紛らわして、目をそらして、見ないようにしていた核心を見事に突いた。
 おかげで俺の顔はみっともなく、くしゃくしゃに歪む。転んで膝を擦りむいた時だって、こんなにはならなかったのに。
 俺は、空いてしまっている片手で乱暴に目を拭った。空気を読まずに垂れてくる鼻水は意地で吸う。
 さっきからずっと頭の中で、食べた記憶が洪水を起こしていた。
 俺についてのみんなの記憶だから、俺の姿ばかりが出てくる。それなのに、誰の記憶かすぐにわかってしまった。
 丘で昼寝している俺や、オレンジ色が好きと言っている俺。
 猿みたいな赤ん坊の映像では、産まれてきてくれてありがとう、と何度も聞こえた。
 この道を通るのはきっと最後なのに、視界は滲んで前が見えなかった。

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