第四話


 拝啓、故郷の妹エクセランサ。
 僕は今、すごく居心地が悪いです。

 廊下を歩いているだけでヒソヒソ指を指されるのは、慣れているけれど。
 その内容が。
「“透明”のマキシマムだ」
「スペクトルが先代の騎士団長と同じだって」
「誰だよ全然カラー出ない落ちこぼれとか言ってたやつ」
「ズルじゃないのか?」
「しっ! 目えつけられたらどうすんだよ吹き飛ばされんぞ」
 今までと真逆だった。
(聞こえてます……! そんなことしません……!)
 身を縮める僕の背を、ユマくんがバシバシと快活に叩いた。
「ふふん! いい気味だ! 堂々としていろよマックス!
 君はあの“透明”なのだから!」
 カラースペクトルにおける透明とは、太陽光などと同じく全ての色を持つという意味になる。
 ここ300年で該当者は、僕と先代騎士団長だけだった。
 そして今までの悲惨な実技の原因も判明した。
「まさか、他の色に引っ張られて出力できてなかったとはなあ……」
 僕のスペクトルは黄色だけではない。それなのに、一色だけを出力しようとばかりしていたことが原因だった。
「その状態でスクリーニングも通るのはすごいぞ。
 正直わけがわからない」
「はは……。でもさ、ユマくんと雅くんのおかげだと思う。
 ありがとう」
 ユマくんはぽかんと開けた口を、すぐ三日月型にして笑った。
「にひっ。……オイラこそ!」
(……僕なにかしたっけ?)
 少し照れ臭さを残したユマくんが間髪入れずに言った。
「そういえばあの嫌味野郎は2位に転落だろ! ざまあみろ!」
「ユユユユマくん!」
 お約束のように、曲がり角で雅くんとばったり会った。
 無表情だ。しかも黙ってる。
 流石に驚いて焦ったユマくんが、僕へ耳打ちした。
「やっべ……!
 いや、もしかしたら聞こえてなかった可能性も……?」
「この距離は無理だよ……! そもそもそんなこと言っちゃダメだよ……!
 え、セーフ?」
「聞こえていたが」
 僕とユマくんは「ぴゃあああ」と珍獣のような鳴き声をあげた。
 恐る恐る振り向くけれど、雅くんは淡々としていた。
「ちょうどその件で話しかけようとしていた」
 僕は普通に慄く。
 雅くんはまっすぐ僕らを見て言った。
「助かった。有難う」
「え…………あ、ううん。僕も、ありがとう」
 ユマくんは僕より衝撃を受けていたらしい。顔が見えていたら、目を点にしていそうな声だった。
「お前、そんなこと言えるんだな……」
「俺様を何だと思っている?」
「まあオイラも助けられたし「だが、“本番”で同じような状況に陥ったら、必ず置いて行ってくれ」
「お前、人が礼を言ってるのに! しかも頑固だな!」
「恩を感じているからこそだ。
 頼む」
 雅くんの嘆願するような声なんて初めて聞いた。
 だけど僕は何も言えない。ユマくんも黙っている。
 むしろ、そんな真剣な言葉だからこそ、上部だけ取り繕ってわかりました、なんて言えなかった。
 ただ雅くんもそれを予想していたらしく、ふう、と一つ息を吐いた。
「……素直に頷くとは思っていない。
 が、論拠は示しておこう。
 まず俺様が捕まったのは自業自得であるし修行不足なので今は棚上げさせて貰うがそもそもあの場にマキシマムが居合わせなかったら状況の打破は不可能だった点とカラースペクトルの発見という幸運も重なった点にさらにあの出力に耐えうるパレットを俺様が持ち合わせていた点を鑑みて次回もそんな奇跡の連鎖を期待することは甚だ軽薄と考えられるのでおいそこの金魚の糞、聞いているのか」
「ほぁ……!? ……ん!? 今、流れるように罵倒した!?」
「借りはあるが、他人の功績で踏ん反り返る態度は指摘しておく」
「律儀か! いやさっきオイラ感謝されてたよなあ!?」
 ギャンギャンと雅くんとユマくんの罵り合いが始まる。
 助かった、と思ったのは僕だけかな。
 賑やかなそれを適度に宥めていると、雅くんを呼ぶ声がした。
 彼とよく一緒にいる、アーモンドくんだった。
 今さらだけど、僕たちもう終業して帰るだけだったんだよね。
 雅くんが踵を返す。
「……用件はそれだけだ。時間を取らせたな。
 次の試験は楽しみにしておけ」
「おととい来やがれーっ!」
「はは……また明日ね」
 僕とユマくんは雅くんたちの背中を見送った。
「ちきちょーあいつめ……」
(逆に仲良しなのでは……?)
「そういえばマックス、寮はこっちなのか?」
 この通路をまっすぐ進むと西寮、戻ると東寮へ繋がっている。
 僕は左側を指差しながら言った。
「ううん。
 東なんだけど、今日はちょっと用事があるんだ」
「そうか。じゃあまた明日だな。
 …………えーと、その」
「?」
 後ろに手を組んだユマくんが、珍しくごにょごにょしていた。
「イメチェンも、良いと思うぞ」
「……? あ、ゴーグル?」
 僕は今日一日、ゴーグルなしで過ごしていた。
 ユマくんがぶんぶん大きく縦に頷く。首取れちゃうよ。
 せっかく褒めてくれたけれど、イメチェンではなかった。
「実はゴーグルを取りに行くのが用事なんだ。また明日から付けるよ」
「へ? あっ!? そ、そうなのか! ははは……!
 えっ? どこに? 外出なら向こうだろ?」
「外出はしないよ。
 試験の時、ゴーグルはブラックホールに飲まれたんだけど。
 万が一生徒が飲まれた時のために、先生が繋げてたみたいなんだ。
 ——マギラワの巣に」


 □■□


 置いたはずの場所からなくなったり。
 どこかへ紛れてしまったり。
 そんな物たちは、マギラワに攫われてしまったのかもしれない。


 アカデミーの校舎はもともと要塞だった。
 教室や食堂は改装されているけれど、手付かずで石や基盤剥き出しな場所の方が多い。
 僕は、崖から直接削り出したような階段を下っていた。
 海に面しているとかではなく、上から見たら真四角にくり抜いたような場所だった。
 階段は壁に沿ってコの字を描いている。一段一段は低く緩やかで、横幅も人が余裕ですれ違えるほど広い。
 けれど壁の反対に手すりはなかった。
(一番上から落ちたら死ぬ高さなんだけど……あんまり人が来ないからって設置されないんだよなあ)
 下りきった場所はそこそこ広いのに日が差さないので、空気が冷たく湿っていた。
 そして階段がない一辺の下は、暗く陰った空間になっている。
 吹き溜まりの落ち葉は、上の大木から降って来ているので僕の掌くらいあり、カサカサと震えていた。
 虫はここへ来ない。
 風だけが理由でもない。
 僕はそれをひっくり返した。
「んー……違うか」
 葉の裏には誰かのボールペンがあった。
 次にすぐ側の紙切れをひっくり返す。何もない。
 僕が手当たり次第にめくり上げる間も、カサカサの音が止むことはない。
 最初のボールペンは、目を離した隙に無くなっていた。
 それは“マギラワ”の仕業だった。
 姿を見せることはなく、重なった紙の下に入り込んだ物や、人目のないところにポツンと置かれた物を巣へ持ち帰ってしまう生物だ。
 縄張りも狭く、巣も近くにあるので特に害がない。物は無くすけれど探せば見つかる。たしかに手間だけど。
 僕は実家で聞いた迷信を試してみた。小さく口ずさむ。
「返しておくれ、返しておくれ、緑のゴーグル」
 そして古びた本をひっくり返すと、ころんと僕のゴーグルが転がった。
(ほ、ほんとだったんだ……)
 ちょっと感動した。ありがとう母さん。
 無事に回収できたので帰ろうと立ち上がる。
(ん?)
 ゴーグルは後頭部へ回るバンドがない代わりに、接着の陣が入っている。ずっと付けていても耳や頭が痛くならない優れものだ。家族からのアカデミー入学祝いだったりする。
 その陣に、首飾りが引っ掛かっていた。
 お祭りで使うような派手なネックレスで、ややくすんだ金色だけれど、傷んでいる感じはしない。多分そういう加工だ。金属なのに編んだような複雑な模様になっていて、中心には橙色の大きな宝石が嵌っていた。
(わあ、すっごい綺麗……これは探しに来るんじゃないかな)
 マギラワに返そうと手に取る。
 その時、背後で硬いもの同士がぶつかる音がした。
 誰か来たのかと思い振り返ると。
(……えっ!? 一角獣!?)
 真っ白なたてがみに、オレンジ色のくりっとした瞳で、本に書いてあったままの神々しい姿だった。
 けれど、僕と同じくらいの高さだし、額の角は想像以上に鋭く長い。
 まだ距離はあるのに、突き刺さらないか怖くなる。
(待って、なんでこんなところに!?)
 一角獣は低く唸りながら蹄を鳴らしている。
 誰がどう見ても怒っていた。
(何もしていないのに……!)
 そして僕は、突っ込んでくる一角獣に悲鳴をあげた。


 □■□


 深みのある黒さが上品なデスクと、それに合わせたチェア。質の高いそれは部屋の主——千景が大きく伸びをしても、不躾に軋むことはない。
 アカデミー校舎・南棟の最上階つきあたり。
 そこは彼の私室と研究室を兼ねていた。扉を開けた時点では、天井へ届く本棚に、詰め込まれた書物と積み上がる魔法器具で、物置に見えてもしかたない。吊る下がっている中身が謎のフラスコや、陣のタペストリーやらを避けて奥へ進むと、ようやく千景の書斎スペースだった。そこだけは家具も上質な黒で統一され、すっきりと片付いていた。
 元は見張り棟で、メインの教室からも離れている。広さは申し分なく、書斎まで辿り着けば日当たりも良いのだが、この部屋へ来る生徒はほぼいなかった。
 千景は休憩のために席を立った。
 コーヒーを求めキッチンへ向かおうとしたが、ふと窓の外へ目をやる。
 大きな窓からは訓練の森やマギラワの巣、少しだが校外の街並みも一望できた。
 いつもの風景かと思えば、誰もいないはずのマギラワの巣で二つの姿が蠢いていた。
 生徒を一角獣が追い回している。
 千景は声を漏らした。
「……一体何を」
 つい忌々しさがこもる。
 彼は生徒が串刺しにされる前に陣を展開した。
 それは千景が研究の末発見するも、複雑で今のところは彼しか使えない。だからこそ試験は人数をわけてゲートごとに生徒を集めた。
 展開されたのは青い光の——転送の陣だった。


 □■□


 僕は思い切り尻餅をついた。
「痛っ!」
 それどころではない。早く体勢を立て直さないと一角獣に……! と焦ったところで、ここがマギラワの巣でないことに気がついた。
(まさか、死んじゃった……?)
 天国にしては普通というか、仕事部屋のようなところだった。
 ズボンを叩いて立ち上がると、後ろから一角獣の嘶き。
「ひぇっ……!?」
「こら。落ち着きなさい」
 心臓が口から出そうになりながら振り返る。
 魔女科の千景先生が一角獣を宥めていた。
 神獣が人に懐くなんて聞いたことがなくて、僕は呆気にとられていた。
「せ、先生の子ですか……?」
「……俺が産んだように見えると」
「いえそうではなく!」
「わかっています。この子は俺の預かりです」
 先生にものすごく冷たい目をされた。
 試験の時も思ったけど嫌われてるのかな。心当たりないんだけど……。
 一角獣が低く唸ると、先生が言った。
「ゴーグルについている飾り、返してあげてくれますか?
 この子にとっては大事なものなんです」
「あ、はい」
 だから突進して来たのか。
 僕は、先生の預かりと聞いてすっかり気を許していた。
 首飾りを外して近寄る。
 一角獣は先生の後ろに隠れるように数歩下がった。もともと警戒心の強い種族だけど、さらに臆病な子かもしれない。
 僕は小さい兄弟を相手にするように話してみた。
「怖がらせてごめんね。引っかかっちゃってただけなんだ。返すよ」
 千景先生が代わりにネックレスを受け取ろうとするけれど、一角獣はおずおず前に出て来て首を下ろした。
「かければいいの? はい、どうぞ」
 ネックレスをかけると、一角獣がじっとこちらを見る。そして満足げに鼻を鳴らし、トコトコと部屋の奥、というか器具の山の奥へ消えた。
 そういえばここはどこなんだろう。一角獣が平気で歩ける場所なんてあったっけ。
 千景先生がおもむろに口を開いた。
「……その顔の傷、どうしたんですか」
「えっ? あ、これでしょうか?
 故郷とカービャックの戦線が近くて……「騎士団に助けられた」
「……!?」
 先生は最初から知っているような口ぶりだった。
 動揺する僕に構いもせず先生は続ける。
「神獣についての講義は履修が終わっているはず。
 この子をどう思ったのか知りませんが、ユニコーンやドラゴンと目を合わせるなんて自殺行為でしょう。
 ——自分の命を、随分軽く見ているようだな」
 僕は、空気が重さを持ったかのような、ひどい圧力に襲われた。背筋が冷たくなる。
 殺気だ。先生から僕へ向けられている。
 全身の皮膚が粟立ち、心音がドクドクうるさい。
 本能的に僕は、千景先生という“強者”に降伏した。訓練で怒られた時のように頭をバッと下げる。
「すみません!! 以後、気をつけます!!」
 自分のつま先を見つめながら、呼吸が浅く速いことに気づいた。
 ふっ、と圧が消える。
「……まあいいです。下がって結構ですよ」
 先生は、何事も無かったように手を振る。気安い挨拶の方ではなく、手の甲を向けた、虫とかを追い払うやつ。
 心象が悪いことは重々わかったけれど、僕は尋ねるしかなかった。
「えっと……どちらに行けば……」
「…………そこを真っ直ぐ進めば出られます。器具や資料が多いので気をつけて。
 落としたら君の首が落ちると思ってください」
(ヒィ)
 僕は悲鳴を飲み込み、そそくさと指された方へ早足で向かった。
 器具の山を慎重に抜けながら、頭の中は疑問符でいっぱいだった。
(なんで傷のこと知って……もしかして、あの人と関係あるのか……?)
 顔に傷を負った日、僕はまだ幼かった。助けてくれた騎士団長さんの顔はもう朧げだ。
 けれど、頼もしく笑っていたことは覚えていた。


 □■□


 マックスを追い払った千景は、虚空を見つめていた。
 生気を無くしたような彼の脳内で、忌々しくも決して忘れられない記憶が氾濫していた。

 燃える家屋。敵か味方かもわからない、ある意味見慣れた死体。
 不利の極みな戦況で、たった一人立ち向かう背中。
 託された“顔に大きな傷を負った”子ども。

 その時、千景の裾がくい、と引かれた。
 彼は驚くと同時に、自分が息を止めていたと知った。
 裾を引いたのは子どもの手だった。
 肩につかないくらいの、ほとんど白に近い銀髪。橙色の瞳で、魔女科のローブと三角帽を着ているものの、まだまだあどけなさが残る。
 そして首には、件のネックレス。
 彼は心配そうに千景を見上げていた。
 千景はさらさらと手触りの良い銀髪を撫でた。
「ああ、もう無くしてはいけませんよ。
 ラスク」