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第十話


 拝啓、故郷の妹エクセランサ。
 腕の怪我はすっかり良くなりました。ありがとう。
 こちらでは夏の民が季節を運んで来ました。
 今日はそのお祭りですが、僕ら騎士科は防衛実習任務です。


「マックス! あの美味そうなものはなんだ!?」
「貴様、遊びに来ているのではないのだぞ!」
「見事に持ち場かぶったね〜」
 任務です。
 ユマくんに雅くん、それからアーモンドくん。
 僕らは、祭で賑わう人混みの中にいた。
(まあ、二人一組でパトロールするだけなんだけど)
 普段は素っ気ない石畳の通りも、今では色とりどりの出店とお客さん、はしゃぐ子どもたちで別物のよう。
 そんな中で迷子や簡単な揉め事の仲裁、それから防犯のために僕らは派遣されていた。
 任務なので動線も決められている。
「あ、ユマくん。僕らはこっちだよ」
「おう! じゃあなお前ら浮かれすぎるなよ!」
「此方の台詞だせいぜい前を見て歩け転んで怪我をして醜態を晒すことにならぬよう祈っていろ」
「あ? やんのかコラ?」
「ユ、ユマくん行くよ〜!」
 そんな僕らを眺めていたアーモンドくんがぼそりと言った。
「……ねえ。君らずいぶん仲良く——」
 けれど彼の言葉は遮られた。
 僕にとっては馴染みのある、懐かしい声によって。
「マックス!」
 僕の背中にぎゅうと抱きついた彼女は。
「……エックス!?」


 □■□


 マックスの背に、こげ茶の長い髪の女性が抱きついた。紺色のワンピースで、膝下まである裾がふわりと揺れた。
 女性は比較的身長が高く、上背のあるマックスの肩付近に頭がある。
 そしてリボンのあしらわれた水色の髪飾りをつけていた。
 膝まである髪はクセ毛で波打っているが、整え方が上手く、可愛らしい印象を与えるように纏まっていた。
 嬉しそうな顔とくりっとした瞳がマックスを見上げる。
 ユマがどうにか悲鳴を上げずに、震えまくった声を出した。
「ママママックス……その、彼女は……」
「あ、えっと」
 マックスよりも早く、女性がユマへ深々とお辞儀をした。
「妹のエクセランサといいます。兄が大変お世話になっております」
「え!? あ、いやこちらこそ! ユマと申します!」
 あわあわとユマも頭を下げる。
 するとそこへ、割って入ったというにはスマートすぎるほど滑らかだが、アーモンドがエックスの手を取り恭しく腰を折った。
「初めまして。オレはアルモンド。素敵な君にはアーモンドって呼ばれたいなあ」
 雅がアーモンドの首根っこを掴んで引っぺがす。慣れた様子だが遠い目をしていた。
「済まない。此奴、こういう一面がある。
 自分は雅と申します。我等は皆、貴殿の兄の同窓だ」
「え、ちょっと何さらっと雅までアピールしてるの」
「? 自己紹介する流れでは?」
「これだから天然は〜」
 ちなみに、マックスは静かにエックスの手を拭いていた。口元はともかく目が笑っていなかった。
 兄妹を眺めていたユマが首を傾げる。
「もしかして双子ってやつか?」
「ううん。でも一つしか違わないし、エックスの方がしっかりしてるからよく言われる……」
「なんかごめん。マックスもしっかりしてると思うぞ」
「ありがとう……」
 弱々しく眉を下げて頭を掻くマックスに、エックスは頬を膨らませた。
「いつまでもなんなんしばって、そげんかーなしでどないしよう?」(いつまでもナヨナヨして、そんな甲斐なしでどうするのよ)
「ばってん、ちうとはちゃうけんに」(いや、ちびちゃんとは違うから)
「ちう言うなくっかしとろうが!」(ちび言うな繰り返し言ってるでしょうが!)
「す、すまんち……」(ご、ごめん……)
「ちう言えば、末ちうフォックスばマックスんがお忘れいぎよ」(そういえば末のフォックスはマックスの顔忘れかけてるわよ)
「ええっ! わんかかえたんに……!」(ええっ! 僕が取り上げたのに……!)
 飛び交う方言に、ユマ、雅、アーモンドの順で顔を見合わせた。
「おい、なんて言ってる?」
「わからぬ……異国の言葉か?」
「信じらんないくらい訛ってる。どこで育てばああなるの?」
 兄妹は困惑の声に気づかず話続けている。
「しーか、ほげにこんへ? ひいで来んば?」(そういえば、どうしてこっちに? 一人で来たの?)
「きたまげげ! らげから魔女科ば入学っちゃ!」(聞いて驚きなさい! 来月から魔女科に入ることになったの!)
「え!?」
 マックスはユマ達を焦った様子で振り返った。
「魔女科ばとっとがおん!?」(魔女科って途中から入れたっけ!?)
「「「なんて?」」」
「あ、ごめん。妹が来月から魔女科に入るみたいなんだけど……編入なんてあったっけ?」
 それを聞いた雅は、眉間に皺を寄せた。
「……結界部隊か」
「ええ」
 当のエックスは至極穏やかに答える。
 アーモンドまで気まずそうな笑みに変わっていた。
 知らないのはマックスとユマだけらしい。
 ユマは疑問符を飛ばしながら雅を見上げた。
「お前、それどういうリアクション?」
「……魔女科は戦線に於いては後衛だ。“花呼び”は知っているな?」
「必要な色の花を近くの植物に咲かせるやつだろ。治療部隊の」
「ああ。
 後衛の主な任務はそれになるが、さらに呪い(まじない)や陣が必要な場面も多い。
 しかし花呼び自体の成功率は平均7割。他の術も合わせて使用できる人間は限られている。
 一時は増員したこともあったそうだが結果が芳しくなく、現状では少数精鋭にならざるを得ない。
 だが、後衛陣地の確保には、結界構築とその防衛戦も任務に入る」
 雅はそこで一旦区切り、苦虫を噛み潰したように言い淀んだ。
 エックスがなんでもない顔をして代わる。
「その結界は割と簡単につくれるんです。
 魔女科は通常部門と別で結界部隊を募集してたから、そちらに」
 ユマは素直に頷いていた。
「そういう部隊もあったんだな。
 魔女科のスクリーニングは騎士科よりずっと厳しいって聞いてたから、調べもしなかった。
 おい、だからお前その顔は何なんだって」
 ユマが雅に突っ込む。
 彼は最初エックスを見て、そしてユマたちへ視線を戻し、重く口を開いた。
「意図があって隠されていたところ申し訳ありません。
 貴様等はよく聞け。
 結界部隊はアカデミー内で唯一随時募集している部門だ。
 それは後衛の中の前線であり
 ——ほぼ冷戦の現在でも、人材の消耗が激しい。
 随時募集とはそういう意味だ」
 顔を青くしたマックスが妹へ詰め寄る。
「エックス、」
「文句は言わせないわよ。
 うちの長兄が、故郷を守るために騎士科に入った。
 あたしだって“長女”よ。村を、あんなことには二度とさせない。
 家のことは大丈夫。7人兄弟だもの。なんとかなるわ」
「…………」
「母さんには、前々から話していたの。
 実はこっそり魔女科の試験も受けてたんだけど、落ちちゃって。
 でも結界部隊での成績が良ければ、通常部門の授業も受けられるんですって。
 兄やに言うと絶対に心配されるから、内緒にしてた。
 雅さんにはそれもバレちゃってたみたいね」
 エックスがいたずらがバレた子どものような顔で笑うと、雅は無言で頭を下げた。
 そしてマックスは眉間に深く皺を刻み、口はキュッと引き結んでいた。
 結果的に彼は妹を尊重することを選んだが、無数の思いを抑え付けて出てきた声は、いつもより低かった。
「……心配に決まってるだろ」
「もう決めちゃったから」
 それを聞いたマックスは一度だけため息をついた。アカデミーでは鳴りを潜めている、兄の顔をしていた。
「何かあったら、必ず僕を頼ること。約束して」
「はい。兄や」
 エックスがニコニコと答える。
 その微笑みは兄の贔屓目を除いても可憐そのもので、せっかく抑えていたマックスの心配が噴火した。
「例え僕が高熱を出していても両手足を粉砕骨折していても遠征に出ていても捕虜で行方不明になっていても絶対に連絡するんだよ!?」
 同期はそんな彼を、三者三様に評した。
「マックス、それはちょっと頼りにくいぞ!」
「動揺が甚だしいな」
「行方不明でアテにしろってどゆこと?」


 □■□


 僕とユマくんは、エックスを見送り、雅くんたちと別れて動線に戻った。
 幸い大した揉め事もなく、僕たちは大通りから外れた静かな路地を見回っていた。正直ただの散歩と言えるほど平和だ。
 ユマくんが伸びをしながら僕を見上げた。
「なあ、君の故郷は村って言ってたけど、どのあたりなんだ?」
「えっとユイドラ谷……じゃ通じないよね」
「ごめん」
「ううん。カービャックの近くだよ」
「え!? 十年前に戦線崩壊したとこだよな!?」
「うん。そこの隣村」
「……ごめん。無神経だった」
 ユマくんは優しいから、僕や家族に何かあったかも、と口をつぐんだのだろう。
 僕は——父さんを亡くしたことを伏せて続けた。
「大丈夫だよ。兄弟揃って無事だし。
 騎士団の人たちがずっと守ってくれてたから、巻き込まれたのもあの一回きりだったんだ」
「あ、駐屯してたのか」
「拠点はカービャックなんだけどね。
 水害の時に村まで来てもらったり、そのお礼の炊き出しをしたり……変な言い方だけど、仲も良かったよ」
 そう。仲が良かった。
 だからカービャックの悲劇が起きた日——騎士団が近くの戦線へ救援を出し、手薄になっているところを攻め入られた時、村の男衆も手を貸した。
 けれど、訓練している騎士団が戦線崩壊するのに、農具を振り回すだけの民間人が無事なわけがない。
 村から出た義勇兵は全員、戦死した。
(……僕が間に合っていたら、違ったのかな)

 あの時、僕は家族と避難していた。
 女子ども優先だから、集団の先頭を、誘導の団員さんに連れられて走っていた。
 父さんや護衛の団員さんは一番後ろ。
 ふと僕が振り返った時、彼らの姿がなかった。
 浅はかな僕は、一人戻ってしまった。
 十歳にも満たない子どもに出来ることなんてないのに。
『父さん!』
 引き返した先は手遅れで、残ったみんなが追っ手と相討ちになっていた。
 父さんは、槍が貫通していながら、敵の兵士に鎌を突き刺していた。
 鎌が勢いよく引き抜かれ、その兵士から血が吹き出る。
 父さんはそれを浴びながら、僕に気づいて振り返った。
 直前まで殺し合いをしていた顔は、別人のようだった。
 父さんは何か伝えようと口を動かしたけれど、血が溢れるだけ。
 そして相手共々、ぐしゃりと地面へ倒れた。
 空が赤かった。
 追っ手の影がゆらゆらと見えてきているのに、僕はただ立ち尽くしていた。

(そういえば、手薄だったことは極秘になっていたのに……なんでバレてたんだろう)
 うっかり、僕は黙ってしまっていたらしい。
 ふと静かな隣を見ると、ユマくんが目に見えておどおどしていた。
 青ざめているし、小さい声で「どうしようやっぱりマックスのトラウマを掘り起こして塩を塗ってしまったんじゃないかオイラ何やってんだ」と早口で呟いている。
 僕は慌てて何か話そうとし、咄嗟に自分を指差した。
「えっと〜、あっ! か、顔の傷! 戦線崩壊の日についたんだけどね。
 ああ、泣かないで大丈夫だから!」
 ユマくんを宥めて僕は続けた。
「助けてくれたの、騎士団だったんだ」
「! もしかして入団したのは……」
 不思議なことに、僕の口からスラスラと言葉が出てきた。
「うん。
 助けられたから、今度は僕も誰かを助けたいんだ」
 すとん、と何かが腑に落ちた。
 言った本人のくせに、僕自身が驚いていた。
 入団を後悔したことはない。でも理由については少しだけ違和感があった。
 今の今までは、何もできなかったからできることを増やしたい、父さんは僕のせいで死んだから、と思っていた。
(そっか。僕は助けたかったのか)


 □■□


 毎年恒例だが、王族は季節の民を迎賓の塔でもてなす。
 その歓迎の儀に向け、城内は忙しなかった。
 最外の警備を、アカデミーの学生に任せるくらいに。


 魔女科教諭、千景も護衛に駆り出されていた。
 持ち場を目指して白い石畳を足早に進む。なんなら近道も辞さない。
 緑豊かな庭園の、日当たりが悪くやや薄暗い一画。
 何とは無しに通る人間も少ないそこで、彼の前に立ちはだかる姿があった。
 その赤い着物を見とめると、千景は小さくため息をついた。 
「最高年次ではないにも関わらず、歓迎の儀の護衛隊に抜擢されるとは。
 流石ですね、雅」
 千景は本心だったが、雅は依然として険しい表情のままだった。
 雅は彼をじっと睨んでいた。
 それは真っ直ぐでありながら瞳の奥を探るようで、そしてどこか引っ込み思案な子どものようでもあった。
 雅が静かに口を開く。
「伺いたいことがあります。
 何故ドラクーン試験の際、ワープを使わなかったのですか。
 ——千景兄様」
「…………俺を兄と呼ぶのはお前だけですよ」
 それはたった一人の弟という意味でもあり、忽那御堂楼一族から絶縁された千景を家族としているのは雅だけという意味でもあった。
 しかしそんな“軽口”で、雅は誤魔化されてくれない。
 千景はやれやれと仕方なさそうだった。
「ワープは目印が無ければ届かないのですよ。だから先にラスクを向かわせた」
「あの者も、一体いつから匿っていたのです。神獣との混血など聞いたことが無い。
 何を考えてらっしゃるのですか」
 流れる雲が気まぐれに日差しを遮り、薄闇が濃くなる。
 千景の黒い三角帽の下が陰った。
「……さあ?」
 話はここまで、と言わんばかりに千景は雅の傍を抜けた。
「っ千景兄様!」
「雅」
 ピシャリと叱るような声に、雅が身体を揺らす。
 そして千景は弟を見向きもせずに吐き捨てた。
「爺共に何と言われたのか知りませんが、俺は魔女科に進んだ一族の恥。
 お前が関わっても良いことはありませんよ」
 それだけ言うと、千景は振り返らずその場を後にした。
 雲が通り過ぎて明るさが戻る。
 残された雅は兄の消えた方を見つめ、拳を握りしめるしかなかった。

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