第十六話
「あ、そうだ。明日から休暇もらってるんでよろしく」
「お前どういうテンションなんだ?」
学生の食堂のような緩いざわつきの中、アーモンドとユマは同じテーブルで向かい合っていた。
簡素なテーブルにスープやパンが乗った皿が、各々の食べやすいように並んでいる。
彼らがいるのは西の建物の中で最も広い部屋で、炊き出しが行われていた。
村人は復興が済むまで隣村へ避難することになり、ここにいるのは中央から派遣された騎士団と警備隊、そしてマックスたち騎士科の学生達だけ。
そんな中、雅とマックスはいきなり見張り当番になったので先に食事を済まし、もう持ち場へ向かっていた。
残されたアーモンドとユマは、互いしか知り合いがいない状況もあり、一緒に食事を摂っていた。
アーモンドがスープをふう、と冷ましながら言った。
「休暇は事前申請してたし国民の権利だから。
雅をよろしくってこと」
「……確かにおとなしいな」
ユマはパンを頬張りながら首を傾げる。
「別に無理に相談乗れってことじゃないよ。そんなことしたら殴るよ」
「お前めんどくさいな。じゃあどうしてほしいんだ」
「一人にしないで」
ユマが手を止めてアーモンドを見た。
彼は伏していた目を上げる。
「ちょっと考え込んでるみたいでね。
透明君はそういうのヘッタクソそうだし、君の方が多少はマシだろうから」
「そんないっぺんにケンカ売れるなんて器用だなぁ?」
「冗談だよ」
そう言ってアーモンドはスープを飲み、言葉を続けた。視線はテーブルへ落ちている。
「雅がオレ以外とあんなに喋ってるの見たことなかったから。
最初もめてたけど、君達には気を許せてるのかなって」
「お前ほどじゃないだろ」
今度はアーモンドが手を止める番だった。
きょとん、と彼が顔ごとユマの方を向いてもその表情はフードの下。何も窺い知ることはできない。
ユマはそれをわかっていながら、両手で残りのパンを持った。
「少しなら面倒見てやってもいいけど、そんなに心配ならさっさと戻ってこい!
それまでは気にしてやらんでもない!」
この話はこれで終わり! と言わんばかりに、ユマはパンへ齧り付いた。
アーモンドはしばらく呆気にとられ、気の抜けた笑いをこぼした。
「ははっ……捻くれてんなあ」
「お? やんのか? おおん?」
□■□
食事の時間からだいぶ経ち、とっぷりと夜を迎えた頃。
村は昼間の騒ぎが嘘のように静まり返っていた。
月明かりが射したり隠れたりする、拠点の建物に一番近い見張り地点。
出入り口を北側から見守るような持ち場で、マックスがぼやいた。
「さっきは危なかったね……」
「全くだ……」
雅が半目になりながら答えた。
先刻まで騎士団と警備隊が彼らを気にかけ様子を見に来ていたが、ようやく二人きりになったのでマックスがこの話題を出した。
「気づいてくれてありがとう」
「いや、俺様も頭から抜けていた」
それは部屋割りのことだった。
マックス達は騎士団のスペースに混ざることになったが、まさか説明無くユマを一人部屋にすることはできない。
会議で真っ先に気づいた雅が「学生の身分ですので物置でも構いません」と突然(咄嗟に)申し出た。
彼の意図を察したペリドットが「まあ大人に囲まれちゃ気が休まらねえだろうし」と(咄嗟に)決定したので、誰からも文句は出なかった。
そして無事、一階の小さな部屋を二つあてがわれた。
マックスとユマ、アーモンドと雅の割り振りには自然となり、見張りはその後に決まったので、どうにか危機を乗り越えたのである。
ちなみに彼らは知る由もないが、見張りの人手が足りなくなったので千景がマックスを売っていた。ところがもう一人必要になり、ユマと明日出発のアーモンドは出せないので泣く泣く雅になった、という経緯だ。
「アーモンドが明日の朝には出る。
見送ったら此方の部屋に来い。夜勤明けなら言い訳もつく」
「そうだね。
…………あれ? ユマくん?」
彼の言うとおり、水色のフードを被った小柄な影が出てきていた。マックス達がいる方とは逆の、南側を向いている。
その背中に雅が眉を顰めた。
「彼奴、一体何をしている?」
ユマの足取りはふらふらと覚束なかった。
さらに道でなかろうと瓦礫が置いてあろうと、構わず直進しようとしていた。足取りのわりに躊躇がなく、あっという間に瓦礫の山を登っていく。
妙な様子に二人は顔を見合わせた。マックスが自身を指差し、雅がそれに頷く。
マックスは持ち場を雅に任せ、ユマへ駆け寄った。
「ユマくん何して……っ危ない!」
瓦礫を登るユマの、足元の木材がバキリと音を立てて折れた。
落下しているにも関わらず、ユマの身体は人形のように無抵抗で宙へ放り出される。
そして大慌てのマックスに受け止められた衝撃で初めて、夢から覚めたような声を上げた。
「ふぇ!? マックス!?」
「大丈夫!? どうしちゃったの!?」
「え……? え? ここどこ?」
その言葉にマックスはつい雅を振り返った。
彼は、状況がわからないからこっちへ来い、と手招く。
二人は疑問符を飛ばしながらそれに従った。
「何をしている貴様」
「いやオイラ部屋で寝てたはずなんだけど……? あれ? いつここに来た?」
「ユマくんケガは? 痛いとこない?」
「うん。それは大丈夫。
……なんか夢を見てた気がするんだ」
マックスと雅は揃って首を傾げた。
そんな二人にユマはカラッと笑って言った。
「盛大に寝ぼけただけだな! 驚かせてごめん!」
□■□
(……ってユマくんは言ってたけど、心配だなあ)
夜が明けて、僕らは騎士団の方と交代した。
眠たい身体を引きずって食堂に向かう。ちょっとお腹に何か入れてから寝たい。
隣の雅くんも心なしかうとうとして見えた。
そういえば交代した人に「学生なのにごめんね! 代わるから寝て!」と申し訳なさそうに言われた。だけどたしか別の場所を見張っていた人たちだ。いつ寝るんだろう。
回らない頭でそんなことを考えていると、食堂からユマくんとアーモンドくんが出てきた。
「わあ! おやすみ!」
「おつかれ」
顔を見るなりそう言われ、僕はつい笑ってしまった。多分慣れない夜勤でひどい顔をしてるんだろう。いつも通りのユマくんにも安心していた。
ふと僕は、彼が今朝出発することを思い出す。
「アーモンドくん、もう出るの?」
「うん」
「そっか。気をつけてね」
「あ、お土産のリクエストある?
寄ってくるよ。綺麗なお姉さんのお店とか」
「「!?」」
「冗談だよ」
僕と一緒にユマくんが飛び上がる。
そんなの摘発対象でしょ、とアーモンドくんはニヤニヤしていた。
真っ赤になったユマくんが言葉を忘れて殴りかかろうとするけれど、雅くんが水色のフードごと頭を押さえた。
「息災で帰れ」
「はーいっ。見送りはいいから、ゆっくり休んで。
行ってくるね」
ひらひら手を振り、アーモンドくんは歩いて行った。
ゲンナリとユマくんが呟く。
「なんなんだアイツ……。
西の方行ったけど、お祭りが有名な町あったよな?
無礼講が売りで、その、衣装がわりと全裸なやつ」
「げ、元気なんだね……?」
雅くんがアーモンドくんの消えた方を向いたまま、ポツリと言った。
「……家族の墓参りらしい」
「え」
「これ以上は俺様から言うことではない。
ただ……彼奴は軽薄に振る舞うことが得意なだけで、そういった性質ではない」
どこか眠たそうな、つい出てしまったような声に、僕はユマくんと顔を見合わせる。
ユマくんが頭の後ろで手を組んだ。
「わかってらあ!」
高らかな返事に、こちらを向いた雅くんは少しだけ口元を綻ばせた。
「……そうか」
「えっ笑った!? お前いよいよだな寝ろ!!」
□■□
マックス達が任務でいる村は、南側が海に面していた。
そこからずっとずっと北へ向かうと、ある国にぶつかる。
内陸の巨大国家フェリクシア。
その中枢には荘厳な白い大聖堂があった。
政治のシンボルとして、内部には夥しい数の高官が勤めている。
この国を治めているのは王族ではなく司祭だが、傀儡同然の老人だった。
実権を握るのは、宰相と呼ばれる最高位の補佐官。
顔の右半分に白い眼帯をした男だった。
彼は大聖堂の一角、天井が高く広い祈りの間のような場所にいた。
整然と長椅子が並べられ、正面中央には教えを説くための卓もある。今は男の他に誰もいない。
彼は長椅子の一つに腰掛けて目を瞑り、ステンドグラスからの色とりどりの光を心地よさそうに享受していた。
ふと男が教卓へ目を向ける。
「収穫はありましたか」
すると、教卓の内側から人影がのそりと現れた。
「もーびっくりしたんだけど」
「おやおや。どうしました」
男の声は賊のリーダーを撃ち抜いた時と、ほとんど変わらなかった。
本人も気がつかないほど、わずかな違いだった。
□■□
村が襲撃されてから三日目の夜。学生は明日の昼頃アカデミーに戻る。
僕は少し落ち着かなくて、窓際の椅子に座り外を見ていた。
分厚い雲が月を隠し、雨が殴りつけるように降っている。
消灯の時間なので部屋は薄暗く、雅くんは寝息を立てていた。黒いインナー姿で、枕元にいつもの黄色い小手と赤い服を置いていた。
僕もすぐ出動できるように、ゴーグルとオレンジのジャケットだけ脱いでいた。
(朝には止んでるかな……泥が作業の邪魔になりそうだ)
中央から増援があったので復興も進み、学生に見張りが回ってくることも無くなっていた。
それにしても重労働であることには変わりなく、身体は疲れ切っている。
だけど、どうしてか眠る気になれなかった。
ふと近くの箱に目が行った。
蓋はされていなくて中にはおもちゃと、一番上に絵本が乗っていた。この部屋は子ども達の遊び場だったのかもしれない。
パラパラと流し読む。どうも子ども向けの物語らしかった。
(……真珠姫。
人魚のお姫様と人間の王子様が恋に落ちて……溺れた王子様を人魚の真珠で助けてあげました。
めでたしめでたし)
僕は絵本を箱に戻す。
そんな平坦なハッピーエンドでも、眠気はまだやって来てくれなかった。
早く寝なきゃなあ、と思いつつ僕は外を眺めた。こつり、と窓に頭を預ける。
その時、雨に紛れて青白い影がふらふらと浮かび上がった。
(えっ!? お化け!?)
よく見ると小柄なそれは薄い水色で——ユマくんだった。
どうしてかゾッとして、僕は反射的にゴーグルとジャケットを引っ掴む。
「雅くん!!」
「っ!?」
「追いかける!」
主語も説明も抜けているけれど、彼ならきっと大丈夫だ。
飛び起きた雅くんを置いて、僕は窓を蹴破り外へ出た。
そうしている間にも薄い水色は暗闇へ消えていく。
「ユマくん!!」
全く、少しも、ユマくんは僕の声が聞こえていない様子だった。この雨の中、泳ぐようにすいすいと進み続ける。
対して僕はゴーグルをつけているのに、その背中を見失わないようにするので精一杯だった。
(こんなに足速かったっけ……!?)
ユマくんはあっという間に村の森を抜け南へ直進していた。走っていることは間違いない。だけど妙な脱力具合は、何かに引っ張られているようだった。それが余計に不気味だった。
そしてこの先には、海に面した崖があった。
(万が一落ちたら……!)
僕は無意識に歯を食いしばっていた。泥濘に取られそうな足を速める。雨水を吸った服が重かった。
嫌な予感が的中してしまい、ユマくんは崖へ向かって一直線に向かっていた。
「ダメだ止まって!」
あと少しで追いつける。
だけど目の前で、ユマくんはまるで地面が続いているかのように崖を駆け抜け、飛んだ。
「ユマくん!!」
僕も腕を伸ばし——躊躇する余裕もなく、崖から身を投げていた。
落ちていく僕らに、嵐で荒れ狂う海面が迫る。
先にユマくんが水飛沫をあげ、黒に近い青色へ消えていった。
僕も大きく息を吸う。
「マックス!! ユマ!!」
雅くんの声が聞こえた気がした。