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第十九話


 拝啓、パパ。もとい我らが国王。
 知らなかった。いつもこんなことしてたんだな。
 すごく重いし怖い。
 国を、国民を、数えきれない命を背負って下す決断は。


 □■□


 ベッドから身を乗り出したユマが、マックスのジャケットを掴んでいた。
「ユマくん……! い、いつから」
「答え合わせのあたりから。
 オイラが起きてるの、知ってたんだろ」
 ユマはフードの下からリージュを見上げる。その声は普段よりずっと感情のない、無機質に聞こえるものだった。
 リージュはマックスから手を放し、ユマへ向き直った。
「ええ。聞こえていたわ。だから話したの」
「耳が良いんだな」
 ユマがひらりとベッドから飛び降りてマックス達に並んだ。
 リージュは姫君へ深く頭を下げた。
「此度の無礼、心よりお詫び申し上げます」
「……」
「なんて、口だけならどうとでも言えるわよね。
 でも私達に差し出せるものは、もうほとんど無いの」
「オイラ、いや私は、詫びを献上させたいわけじゃあない」
「“あなた”はそうかもね」
 リージュの言葉に、マックスは内心首を傾げた。そしてチラリと雅を見やる。
『ど、どういうこと……?』
『……国王臣下や貴族会の中では、領土拡大に意欲的な者も少なくない。
 此度の件は格好の理由になり得るのだ』
 雅の眉間に皺が刻まれ、マックスが息を呑む。
 独り立ちもしていない子ども達には重過ぎる話だった。
 それと同時にリージュが言った。
「考えていたのだけれど、研究はどうかしら」
「研究?」
「鱗の売買は禁止されている。けれど人魚の身体自体には、研究目的について何の記載も無い。
 争いを目こぼしていただけるなら、他国には極秘で此の身を献体として捧げます」
「…………は?」
「たしか優秀な魔女科の研究者がいるでしょう
 人魚の解剖に着手できた陸の国なんて、他にはない。
 貴国にとって大きなメリットでしょう」
「そこまでしなくていい!」
 ユマが声を荒げる。
 対するリージュの言葉は淡々としていた。しかし重みが、他者を束ねてきた年季が違っていた。
「いいえ。これは“そこまで”の事よ。
 消えていたのはあなただったかもしれない。
 同胞の責任を取るのは長の役目」
 陸の人間は誰も声を発せなかった。
「今すぐここで決断せずとも構いません。
 国王へお伝えください。
 これは我々ペラタに暮らす者の総意です。
 ……戦争の理由になんてならないで」
 同時に、ユマは窓の外の青色に揺らぐ影に気づいた。
 外は海で、幾人もの人魚や魚達が遠巻きに彼らを見守っていた。
 そこに少し幼い人魚が混ざっていた。隣の同胞にしがみつき、泣き出しそうに顔を歪めている。
 ユマはフードのおかげで誰にも知られず、その人魚を穴が開くほど見つめた。
 転がり出た言葉はほとんど無意識だった。
「やっぱりダメだ」
「……姫」
 咎めるようなリージュの声だったが、ユマはもう負けなかった。
「そりゃあ怖かったよ。なんで自分が? って思ったことも、正直ある。
 ノーブルさんと会っていたら、何を言ったかはわからない。
 でも、呪ったのはあなたじゃない。
 始めたのは人間だ、ノーブルさんを奪ったって怒ることもできたはずだ」
 ユマは真っ直ぐリージュへ向き直して続けた。
「ここで終わらせよう。
 責任を取ると言うのなら、生きてくれ」
 ユマは手を差し出そうとして、一度止まる。
 そしてフードと手袋を外した。
 色を取り戻した細い指があらわになり、水色の髪がサラサラと靡いた。
「国王には、あなたたちに助けられたと伝える。
 この決断は誰にも覆させない。誓うよ。
 生きて、共に平和をつくってくれ」
 ユマの伸びた背筋が、その場しのぎなどではないと知らしめる。
 リージュの瞳が大きく見開かれ、やがて薄く涙を湛えた。
「……亡き王妃に、とてもよく似ておられること」
「母でもこうしたさ」


 □■□


 僕とユマくんと雅くんは、すっぽり覆われる程の泡でペラタから地上へ送り届けられた。そういう陣らしい。
 千景先生が農村まで迎えに来てくれるらしく、僕らは並んで向かっていた。
 ユマくんが真ん中で、フードと手袋は変わらず着けている。
 普通に歩いていたけど、僕と、珍しく雅くんもそわそわと落ち着かなかった。
 理由は同じみたい。
 励ます、とは違うけどユマくんに何か声をかけたかった。
「……貴様、腹は減っていないか」
「さっきペラタでご馳走してもらっただろ」
「そうだな」
「えっと……あっ見て見て、すごい柔らかそうな雲!」
『無理があるぞ貴様』
 雅くんに小声の心話術で怒られた。ごめん、結構晴れてるね。
「オイラ、気をつかわせてるな」
「「イヤソンナコトハ」」
「ぶっはは!」
 ユマくんは僕らのぎこちなさに吹き出した。いつものユマくんだった。
「まあ……すんなり飲み込めてるわけじゃないけどさ。
 真珠を奪ったバカの責任をオイラが取るのも、オイラを呪った責任をリージュさんが取るのも違うと思ったんだ」
「……そうだね」
 そしてユマくんはガバッと盛大に、僕と雅くんそれぞれと腕を組んだ。
「ありがとう!!」
「……ふん」
 高らかなユマくんの声に、そっぽを向いた雅くん。
 いつもの光景に僕は嬉しくなって、思わず破顔し——残酷な自分に気づいた。
 ノーブルさんに消えてほしかったわけでは、絶対にない。
 だけどユマくんにまた会えて安心していた。
(君が消えないで、よかった)
 今後、そう口にすることは多分出来ない。
 僕らは他愛も無い話をしたり、途中でかけっこになったりしながら、農村へ帰った。


 □■□


 マックス達の国、豊かな自然を誇るフロール。
 王族の城で姫君——の影武者は、日課のティータイムを嗜んでいた。桃色の長い髪は緩くウェーブを描き、窓からの心地よい日差しに照らされている。
 ティーテーブルを挟んだ向かいには、紫の長い髪を束ねた屈強な男、現騎士団長のグレイスが座っていた。本来は壁際に控えているはずだが、主君の再三にわたる駄々でこのようになっている。
 彼の姫君は、小鳥が囀るように言った。
「ねえグレイス様、ご存知かしら? 海側の村で、冬の民が迷っていらしたって」
「ええ、事後報告を先程。
 多少の粉雪が降ったものの、冷害が出るような滞在時間ではなかったそうです」
「あらそんな時間もわかるの?」
「少ないですが前例がありますので」
 季節の民は、その名の通り季節を運ぶ。存在しているだけで身の回りを、自分が司る季節へ変える者達だった。
 少し前にフロールでも夏の民を迎え、そして送った。
 仮の姫君は紅茶へ口を付ける。
「きっと心細かったでしょう。無事にキャラバンに戻れてよかったわ」
「…………そうですね」


 □■□


 一週間は経ってないのに、アカデミーがとても久しぶりに感じる。昼過ぎの光は温かく、遠くから訓練中の学生たちの声が響いていた。
 僕は雅くんを背負い直した。
 隣からユマくんが不思議そうに見上げる。
「こいつ本当によく寝てるな」
 その通り、雅くんはすうすうと寝息を立てていた。
 ペラタから戻った後彼は、農村で千景先生を待つ少しの時間でうとうとし、そのまま本格的に眠ってしまった。
 一緒に見張りをした時にも思ったけど、そもそも徹夜が苦手なんだと思う。
 それなのに、僕らのため夜通し起きていたらしい。
 さっき別れた千景先生がぼそりと「気が抜けたのでしょう」と言っていた。
「ユマくんも寮に帰るの?」
「ああ。この後報告に行くけどな」
「えっ一人?」
「まあ、そうだけど護衛的なのは心配しなくていいぞ。アテはある」
「そっか。ならよかった」
 話しているうちに分かれ道になり、ユマくんはここで右に、僕らは左に進む。
 ユマくんが立ち止まった。
「……マックス。
 こんなところで言うことじゃないんだけどさ、本当にありがとう。
 呪いを解いてくれて。辛い選択をさせた」
 そよそよと風がユマくんのマントを揺らす。
 初めて会った時のことを思い出した。それから、出会う前の日々も。
 いつの間にか僕は、ずいぶん贅沢な当然に慣れていたらしい。
「ううん。きっと先に助けられたのは僕だから」
「?」
「出来ない出来ない、って思い込んでいた……自分を呪っていた僕を、引っ張り上げてくれたのは、君だよ。
 こちらこそありがとう」
 しばらくキョトンとしたユマくんは、両手を頭の後ろで組んだ。今にもくるっと一回りしそうだった。
「なかなかお礼をさせてくれないなあ〜?」
「ふふ、だって本当だから。
 ……?」
「どうした?」
「……雅くん、熱くない?」
 僕が少しかがみ、ユマくんが雅くんの額に手を当てる。
「療養室ー!!」


 任務明けに与えられる休日。
 僕はやることもなく日中を潰し、夕方になってから自分の部屋を掃除していた。ぼんやりしていたので、思い立つのが遅かった。
(雅くん、大丈夫かな)
 ユマくんと慌てて療養室に駆け込んだのは昨日。
 雅くんは案の定高熱を出していた。
 看病担当の先生もいるし大丈夫だと思うけど、苦しそうな寝顔が頭から離れない。
(それにユマくん、これからどうするんだろう。
 ……一緒に卒業できるのかな)
 任務中は誰かしらと居たけど、寮は基本的に一人部屋だから静かさが耳につく。
 畳む服をベッドへ投げた音もなんだか大きく聞こえた。
「あ」
 僕はすぐその服の山を持ち上げたけど、そこには何もなかった。
 やってしまった。
 考え事をしていたからゴーグルをマギラワに持って行かれてしまった。
「はあ〜……」
 もう日が沈むのになあ。でも次はいつ取りに行けるかわからないし。
 そんなことを考えながら、僕はしぶしぶオレンジのジャケットに腕を通した。


 訓練の森は、いつもより静かに思えた。
 時間も遅いし、同期の一部は僕らと入れ替わりで任務に就いてたりするけど、誰かしらカラー飛ばしてたりするのになあ。
 僕はマギラワの巣の近くで、見慣れた赤い装束に気づいた。
「雅くん!?」
「……? 嗚呼、マックスか」
「こんなところで何してるの!?」
 振り返った彼の顔色は前より良いけど、ここは病み上がりに来るところじゃない。気持ちフラフラしているようにも見える。
(森には戦闘用の服じゃないと入れないけど、まさか自主練じゃないよね……!?)
 僕の懸念を察したのか、雅くんが先に言った。
「熱は下がっている。
 ——小手が、持ってかれた」
 たしかに腕にいつもの黄色い小手が無い。
 つまり僕と同じくマギラワの巣に用事があるってことだけど、こんな柵のない階段降りさせられない。落ちたら危ない高さだ。
「僕が取ってくるからここにいて!」
「? 別に自分で「待 っ て て!」
 雅くんを強制的に座らせた。森にはたまに切り株があるのでその上だ。
 僕は彼が追いかけてくる前にマギラワの巣からゴーグルと小手を回収した。
 急いで階段を上って戻ると、雅くんはやっぱり大人しくはしていなかった。
 彼は木の影に隠れて、マギラワの巣と反対側を窺っていた。
「……雅くん?」
『騎士団の隠密陣だ』
 僕から小手を受け取りながら、雅くんは心話術で話しかけてきた。
 彼の言う通り、地面にうっすら陣が浮いていた。
 目を凝らさないと気づけないそれは、近くに姿を隠した騎士団がいる証拠だった。
 変な感じがしたので、僕は急いでゴーグルをつけて両手を空ける。
『えっ、団の訓練あったっけ。通達来るよね』
『俺様も一切受けていない。
 其れに』
 雅くんが見てる方を指差す。
『あれは……千景先生?』


 □■□


 日が沈みかける森の中。
 横たわる大木は、訓練を見守る者にうってつけのベンチになっていた。
 そこに座った千景がぼんやりと照る陣を浮かべる。
 彼は足音の方へ顔を向けた。
「悪いですね。帰ったばかりなのに呼び出して」
 その先には、長旅を終えたとは思えないほど軽快な足取りのアーモンドがいた。
 彼はすたすたと千景へ歩みを進める。
「ううん。雅のこと?」
「……まあ。最近はどうでしたか」
「任務で千景君も一緒だったでしょ」
「う」
 言い淀む千景にケラケラ笑いながら、アーモンドは隣に腰を下ろした。
「透明君達と関わってからかなあ。人前でも笑うようになった。
 楽しいみたいだよ」
「……そうですか」
 千景の綻ぶ顔を薄暗さが隠す。陣がちょうど良い灯になった。
 そしてさも誤魔化すように彼は続けた。
「君は? この前の任務は、故郷の祭とかぶっていたでしょう」
「ああ〜ちょっと雨に降られちゃってさ。蒸し暑くって散々だったよ」
「………………そう、ですか」
 次の瞬間、騎士団が彼らを囲んでいた。全員がパレットを向けている。
 アーモンドは目を丸くした。
 彼らを庇うように、雅が躍り出たからだった。
「雅くん!?」
 追いかけるようにマックスもやって来る。しかし自分から乱入しておいて、騎士団と千景達に挟まれた状況で混乱していた。
 雅も理解していたわけではないが、騎士団にパレットを向けていた。
 嗜めたのは千景だった。
「下がりなさい雅」
「!?」
「俺ではありません」
 千景“では”ない。
 その意味を、雅は悲しいほど速く理解してしまった。
 努めて淡々と千景が言った。
「先程、蒸し暑かったと言いましたね。
 しかしあの日は冬の民が迷い込み粉雪が降っていた。
 君がちょうど着く頃です。
 祭に参加していれば有り得ない感想なんです」
 当人以上に雅が噛みつく。
「其れだけで……!?」
「いいえ。
 フェリクシアに居たという、確固たる情報も入っているんです。
 冷戦国で何をしていたのですか」
 ついに千景は、無言の当人へ向き合った。
「アーモンド……いや、アルモンド。
 君を捕縛します」
「……はあ〜あ。ハイハイ」
 ずっと黙っていたアーモンドは諦めたように両手を挙げた。
 ——それは見せかけ。袖口の細工から、弾き出されたパレットが彼の手に収まる。
 騎士団の反応より早く緑の光が壁を作った。
 同時に指笛が鳴る。
 大人でさえ吹き飛ばされそうな暴風が吹き荒ぶ。
 唯一ゴーグルをつけていたマックスだけが、白銀のドラゴンと飛び乗るアーモンドを見とめていた。
 風が止んでようやく、他の人間達は夜空へ小さくなっていく白いシルエットに気づいた。
「アーモンド!!」
 雅の叫びは届かない。
 駆け出した彼は、指笛では契約していなかった。
「……来い!!」
 どこからか喜びの咆哮が轟いた直後、神速を自慢とする彼のドラゴンが現れる。
「戻りなさい雅!!」
 飛び立つ弟に、兄の声は聞こえてすらいなかった。
 残された千景は指示を出してから雅達を追いかけようとするが、騎士団の一人が呼び止める。
「千景教諭!」
「何です!?」
「学生はもう一人いませんでしたか!?」
 唖然とあたりを見回す大人達の中に、マックスの姿はなかった。

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