第六話


 マックスが特訓に明け暮れている頃。
 王族が棲まう、国内で最も気高く荘厳な城。
 天井の高い廊下を、胴鎧を纏った男が、重さなど無いかのように闊歩していた。
 紫の長い髪は首の高さで纏められ、マントと共にその背でなびいている。同じく紫の瞳は鋭い眼光を放っていたが、道を譲る部下へは軽く手を返した。
 彼こそが今代の騎士団長、グレイスだった。
 やがてグレイスは、ある一室の扉をノックした。
「姫。
 季節の民が到着いたしました。ご準備を」
 すると部屋から透き通ったソプラノが彼に答える。
「はい。ただいま」
 共に控えていたらしい侍女が扉を開くと、陽光の中、儚さが人の形をしたような女性が微笑んでいた。
 薄桃色の髪は緩くウェーブしているにも関わらず、床へつきそうなほど長い。そして慈愛に満ちたムーンイエローの瞳に、同じ色のドレスを纏っていた。
 光の関係で、彼女の装いは白にも見える。
 グレイスは鋼鉄の表情の下、美しさに息を飲み、ぎくりとし、ただの外交用ドレスだと思い出し——分不相応だと自嘲した。
 そんなことは露知らず、麗しのソプラノが彼を呼ぶ。
「グレイス様、本日もよろしくお願いいたします」
「……喜んで」


 居住の城から迎賓の棟へ向かうほんの少しの道。
 日差しはいつの間にか強まり、整えられた草木が緑を濃くしている。
 グレイスは利き手と逆で、彼の主君に大きな日傘を差していた。
 彼女の強い希望で、グレイス自身も傘に入っていた。
 王族を警護するため人目がなくなることはなく、彼らの前後も護衛が囲んでいる。
 だが二人だけに落ちる影は、どこか秘密基地のようだった。
 そう思っているのはグレイスだけではないらしく、ソプラノも弾んでいた。
「夏の民が季節を運んでくださると、気候も良くなり作物も育って有り難いですわ。
 ああ、でもグレイス様は、夏はお嫌いなんでしたっけ」
「決してそういうわけではございませんが……冬の方が何と無く落ち着くのです」
「てっきり甲冑が暑いのかと思いましたわ」
「まあ、多少は。鍛錬しておりますので問題ございません」
「うふふ。さすがですわ」
 彼女は傘の中ではいつも、前方放ったらかしでグレイスを見上げる。
 そのためグレイスは普段以上に神経を使うのだが、今日は別方面でも功を奏した。
「…………ご公務が済みましたら、茶でも用意させましょうか」
「?」
「我が君が、お疲れのご様子なので」
 ムーンイエローの瞳がキョトンとした後、いつもの聖母のような眼差しではなく、年相応のはにかみをもって細められた。
「ふふ。あなたがいてくれるから頑張れますわ」
「恐悦至極にございます」
「よろしければ、持ってきてくださる?」
「承知致しました」
 ささやかな時間は、迎賓の棟へたどり着いたことで終わりを迎えた。
 中に入るとグレイスは日傘を侍女へ預け、自らは部下と共に扉の横に待機する。
「こちらに控えておりますので」
「はい。行って参ります」
 それ以上は僭越だと、グレイスは声を飲み込み頭を下げた。
 だから、見送った薄桃色の髪の向こうでかすかに呟かれた言葉は、聞こえなかった。
「……頑張れますわ」