第八話


 拝啓 故郷の妹エクセランサ。
 僕は今、とても怖いです。
 訓練で縮み上がっていたくせに? そうなんだけどさ。
 ドラゴンが強そうとか、自分が食われるかもとか、不思議なことに全然思ってなくて。
 “ユマくんが殺されてしまう”。
 それが、とても怖かったんだ。


 僕は赤いドラゴンへ向かって走り出した。
 視線を合わせてしまった今、逃げる選択肢はない。拙い作戦でもやるしかなかった。
 申し訳程度に緑で威嚇射撃をすると、ドラゴンが目を細めた。
「ハハア……お前スペクトルが緑なのか。
 オレサマは赤い鱗だから、きっちり分離すればそこそこのダメージになる。
 たしかにあっちのチビには随分な光度の青緑を頂いちまったけどよお……」
 ドラゴンは前足を持ち上げ、わざわざ僕のカラーに当たった。
 緑色が儚く散る。
 そのままドラゴンは前足を大きく振り上げた。
「安直すぎるし足りねえぜ」
 巨大な落石のようなそれに、僕はパレットを向ける。
(ユマくんなら、“来年受けたら”きっとドラクーンになれる)
 そして、僕は黄色を思い切り放った。
 ドラゴンの手を弾き、カラーは空で盛大に光って消える。暗雲に黄色はよく映えた。
 第一目標が完了した僕はすぐに、ユマくんと距離を取るため走った。
 ドラゴンは数秒唖然としていたようだった。ハッとして弾かれた手を忌々しげに振り下ろすと、その目がギョロリと僕をとらえる。口の端から炎が漏れていた。
「……やってくれんじゃねえかあ!」
(これで狙いが僕になる!)


 □■□


 時はやや遡り、デライトリの森の前。集合場所。
 一番乗りで戻ってきたのは、雅だった。
 従えたのは森の緑を授かったようなドラゴン。
 白金の竜よりは小さいが、充分な体躯と鋭い角を持っていた。
 神獣として違わぬ姿のドラゴンは、雅を乗せ悠々と空を滑らかに飛んできたが、まあ、やかましかった。
「クアーっ! もうちょっと可愛い子が良かったぜオレァ」
「同感だ。もう少し品性のあるドラゴンが良かったぞ」
「おまっ……! このオレサマに文句あんのかコラァ!」
「暴れるな」
 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てながら、まだ生徒の戻らぬ地へ降り立つ。
 待機していた教師陣から感心したような声が上がるが、彼らには聞こえていなかった。
「カーッ! モヤる、モヤるぜ! 全く、イイトコで契約しやがってこのガキィ!」
「貴様こそドラゴンの中では若輩だろう」
「若輩なんてワード久々に聞いたぞオイ……まあ末っ子だけどよ……」
 雅は華麗にドラゴンから飛び降りる。
 危なげなく着地した彼へ、声をかけたのは千景だった。
「一番手は君でしたか、雅」
 それは紛れもない賞賛だったが。雅はマックスたちが見たことのない顔をしていた。
 口を開くも、言葉を選びきれずに閉ざし、唇を無理に引き結ぶ。
 わずかながらも重い沈黙の後、彼がようやく答えようとしたが、同時にラスクが血相を変えて走ってきた。 
「千景!」
「……どうしました、ラスク」
「マックスが戦っていて、水色の子が倒れてる!」
「水色……!? ポイントは!?」
 その時、森から黄色の光が打ち上がった。
「あそこだ……!」
「……よくやりました。今、“救助”へ心話術で伝えました」
 千景の言葉を合図にするように、遠くからドラゴンの咆哮が響く。
 飛び立つ羽音に皆が目を向ければ、その姿はあっという間に小さくなっていた。
 雅は不可解さに眉を寄せる。
(学生の試験にドラクーン……?)
 しかし彼の思考は悲鳴のような声に遮られた。
「危ない!」
 声の主はラスクだった。彼の目の前には何もないが、その視線は一点へ固定され何かを見ているようだった。
 雅は再び考えを巡らせる。
(千里眼……? いや、それよりも)

——「マックスが戦っていて、水色の子が倒れてる!」

 嫌な予感がしていた。杞憂だと信じたかったが、その想像は止まらない。 
 追いかけたところで学生の身ではむしろ足手纏いになる、と自分に言い聞かせるが。
(……あのチビの影響か)
 雅は、ある意味諦めて、相棒となったばかりの緑色を小突いた。
「おい」
「ア?」
「大先輩と競争してみたいとは思わんか?」
 契約時の不完全燃焼を煽る、雅の悪い顔。
 ドラゴンの瞳は一度キョトンと丸くなり、そして爛々と輝きだした。
「……へへっ。
 話のわかるパートナーでラッキーですぜオレァ」
 雅はドラゴンへ飛び乗った。
 ギョッとした千景が声を荒げる。
「雅!? 何をしている戻れ!」
 アカデミーは学校といえども軍事組織。上官の命は絶対だった。
 長らく主席だった優等生の雅は、それを一瞥し、飛び立った。
 教師陣が呆気にとられる。
 その脇をラスクが駆け抜けた。
「千景、あの子だけじゃ危ない。ラスも行く」
 ラスクは森へ走りながら、首飾りに触れた。


 □■□


 まだ倒れるわけにはいかない。
 僕を動かしているのはそれだけだった。
 赤いドラゴンの腕が降ってくる。
「オラオラさっきまでの威勢はどおしたあ!」
 僕はドラゴン側へ向かって飛び込んだ。後ろで岩が砕ける音がする。
 受け身で前転するけど雑になっていて、あまり勢いを殺せていなかった。けれど痛む身体をすぐに起こして、再びドラゴンから距離を取る。時折、虫が止まった程度にしか思われていないだろう、カラーも放っていた。
 そんな風にドラゴンのまわりでうろちょろし、どうにかユマくんから引き離していた。
 気が変わらないことを心から祈りながら、救助を待つ。
 だけど走り続け、余波で叩きつけられ、僕の限界は近かった。
 目前に迫る真っ赤な尾。
(間に合わない)
 咄嗟に防御で両腕を交差させるけれど無意味だった。
 ついに僕は一撃を食らってしまった。
 崖の方へ吹っ飛ばされる。
(やばい……!)
 左腕からおかしな音と激痛。
 そして止まらず転がり続け、崖から放り出されるように浮いた一瞬。
 ドラゴンは僕の軌道を追うように、低い体勢になって首を伸ばした。嚙み殺そうと大口を開け、ずらりと並ぶ剣の様な歯。
 僕はパレットを真下へ向け、デタラメにカラーを放った。
 支えのない身体は、カラーと反対に上空へ高く飛ばされる。衝撃でまた腕が激痛に襲われた。
 眼下でガチリ、とドラゴンが空振りする。
 ドラゴンはそのまま上を向いた。落ちてくる僕を口を開けて待てば良かった。
 そんな絶体絶命なのに、僕の意識は朦朧としていた。
(僕じゃあこいつを倒せない。救助まで時間を稼がなきゃ。僕は上手くできないから。時間を稼がなきゃ。僕はできないから ぶんり 僕はよわいから——)
 視界が暗くなり、何を考えているのかわからなくなる。
 部屋で映像を見ているような、夢を見ているような状態になった。
 けれどかろうじて、カラーを放つことだけを覚えていた。
 画面が白く輝く。手前のパレットだ。
 そしてそこからいくつもの光が飛び出す。赤、青、黄、緑、紫……。
 最後に見た画面では、ドラゴンが崖へ落ちていった。


 □■□


 分厚い雲に覆われた薄暗い空。
 迸る閃光は遠くからでも特別に目立った。
 意識をなくしたマックスは、透明の名にふさわしい強烈な一撃を放った。その身体は反動のまま宙へ浮き、やがて重力に引きずられ落下を始める。
 叩きつけられる運命だった彼を、緑の疾風が掬い上げた。
「ッシャアア! スピードなら負けないぜオラァ!」
「おい、しっかりしろ! マックス!」
「ギャアア!? そいつ血まみれじゃね!? 背中ぬるっとしたんだけど!」
 ドラゴンの背に乗る雅がマックスを受け止める形で救済した。
 叫びの通りマックスは満身創痍で、流血も夥しい。
 雅が指先の冷えた手でマックスを揺する。
「起きろ! おい!」
「ぐ、……っ!」
 マックスが苦悶の表情を浮かべた。
 雅はその時初めて、マックスの腕がおかしな方へ曲がっていることに気づいた。それは誰が見てもわかるほど明らかな骨折だった。
 痛みで意識を引き戻されたマックスが、薄らと目を開ける。
「み、みやびくん……?」
「! しっかりしろ!」
「あっち……ユマくんが……」
 自分がドラゴンの背と知らないマックスが、動かない身体で方角を示そうとした。
 雅は交戦していたであろう崖周辺を見回す。
 すると唐突にドラゴンが降下した。
「ヘーイ! あそこのレディじゃねえのか!?」
「…………彼女が?」
「目覚めのキッスなら立候補するぜ!」
 ドラゴンが崖を臨む森へ着陸すると、雅はマックスを置いて飛び降りた。
 大木へ寄りかかるように眠っていたのは、見たことのない少女だった。
 水色の長い髪は一本ずつが細く、小柄な彼女をより繊細で華奢な印象にしている。
 雅が知る“ユマ”とは正反対のはずだが、少女の服装には覚えがあった。
 訝しみながらも雅は彼女の側で膝をつく。
 その時、渓谷から強い風が吹き上げた。
 雅がパレットを構えて振り返ると、真っ赤なドラゴンが瞳孔を全開にしていた。ところどころ鱗が焦げた部分と、口から漏れる憤りの炎から煙が立っていた。
「そいつを寄越せ……敬意を表し、炎で止めを刺してやる……」
 緑の竜が悲鳴をあげた。雅の背に隠れんばかりに後ずさる。
「ギャアア! こいつ誰にケンカ売っちゃってるわけ!」
「知り合いか」
「オレの二百年センパイで超絶お強い方よ!
 おメガネにかなう人間が全然いないからフリーだけど、その辺のが契約できる相手じゃねえんだよ!」
「そうか。とりあえず貴様は引くな」
「話聞いてたか!? チクショー契約したからって……!」
 ドラゴンは情けなく喚きながら留まる。
 それを他所に雅は眉根を寄せた。
(此奴の言う通りならば退却したいが……)
 赤いドラゴンは許してくれそうもなかった。
 一触即発といったその時、ドラゴンを含めた全員が息を飲む。
 森がつんざく悲鳴をあげていた。比喩ではない。
 実際、先ほど緑のドラゴンが泣いていたような声ではなく、森に棲む神獣などの生物の声でもない。そもそも音としては成立していなかった。
 だが聞いた誰もが悲鳴と感じる、空気を歪ませる何かが近づいていた。
 雅の背に走る悪寒が強くなる。
 絶叫する木の葉をかき分け、その正体が現れた。
 身長はユマより少し低いくらいだろうか、白に近い銀髪の子どもだった。
 ただし、右目と周辺は別の動物を合成されたように歪み、額からは彼の腕ほどの長さの角が生えていた。そして全身を黒いローブで覆っているが、覗く左手は蹄だった。
 緑の竜が縮こまり、怯えた子犬のように雅の元へ後ずさった。
「こ、今度は混血かよ……!」
「混血?」
 泡を吹いて倒れそうなドラゴンが小声でコソコソ話す。若干震えていた。
「神獣と人の間の子だ。あいつは多分、一角獣。
 っつーか、普通はどっちかの姿でいるもんだぜ。
 “間の姿”なんざ、オレらでさえ引くほど穢れてるんだからよ……!」
 鱗は逆立ち、人なら鳥肌になっていただろう。
 赤いドラゴンの関心も雅たちから移り、いかに混血の子どもへ寄らずに済むか注力していた。
 子どもは堂々その前へ立ちはだかった。
「ヒけ。紅の竜よ。それとも混ざリ者の血を浴びタいか」
 ガサガサとした、雑音が混ざったような声だった。
 その時上空から新たに一つ大きな影が現れた。
 海が降ってきたと錯覚する、真っ青なドラゴンだった。そして背中に男が乗っている、というより仁王立していた。
 サングラスをかけた無造作な長髪の男だった。くすんだ金髪で、柄の派手なダークオレンジの開襟シャツをみぞおちまで開けている。首にいくつもかけられたネックレスが揺れていた。タイトなボトムは裾が大きく広がり、こちらもシャツに劣らぬ刺繍が巻き付くように施されていた。
 男は青のドラゴンを、子どもと赤い竜と三つ巴になる位置で滞空させた。
「若いモンに先を越されちまったか。こりゃあロックじゃねえな」
 吹き上げる風の中、男が強気な笑みを浮かべる。
 それに素っ頓狂な声をあげたのは雅だった
「国王陛下……!?」
「今の国王ってあんなファンキーなのかよ!? ていうかいつから軍事政権になったんだ!?」
「否、軍事政権というわけではない。
 我が國随一のドラクーン部隊(ユニット)アクアブレイド。
 その隊長(フロントマン)だ」
 国王は激昂しているドラゴンの前にも関わらず、雅を振り返って笑った。
「ロックな紹介ありがとうなあ。
 そういうことで紅の竜よ、引いてくれねえのなら俺たちが相手だ」
 赤いドラゴンは次々とやってくる新手でようやく、マックスが初めから時間稼ぎをしていたと気づいた。そして自分が策に乗せられてしまっていたことにも。
「……チッ。これが目的だったか」
 忌々しげな舌打ちの後、赤のドラゴンは続けた。
「オイ、そこで伸びてる二人に伝えておけ!
 勝負はお預けだ。
 次も時間稼ぎなどしたら許さないとな!」
 赤いドラゴンが暗雲へ飛び去っていった。
 ラスクはそれをきっちり見送ってから人型になった。顔の継ぎ接ぎは直り、歪に生えたツノも消えている。
 そして彼は、縮こまっている緑のドラゴンに向かい堂々と闊歩して言った。
「マックスを診せて、花を呼ぶ!」
 しかし雅が立ちはだかり、ラスクへパレットを向けた。
「助太刀には感謝する。だが——何者だ、貴様」
 疑いが晴れず、かといって無碍に攻撃もできない雅。
 俯きこそししないものの、奥歯を噛み締めた唇を引き結んだラスク。
 そんな中で苦言を呈したのは緑のドラゴンだった。
「オイ、さすがにその質問はどうよ……」
「何?」
「人でも神獣でもない。オスでもメスでもない。なにものでもない存在が混血だぜ」
 ラスクはついに下を向いた。
 その時、ドラゴンの背中から掠れた声がわずかに届いた。
「ちがうよ……」
 皆が顔を上げる。
 マックスは指一本動かない状況だったが、呼気にどうにか言葉を乗せた。
「ラスクくん、僕の……友達」
「マックス! ラスは大丈夫だから喋るな、傷に響く!」
「また、助けられちゃったね……ありがとう」
 ラスクは鼻の奥がツンとするのを感じた。そしてローブで目をごしごしと擦る。
 雅が、ややあってからパレットを下ろした。
「……非礼を詫びる」
「!」
 ぱあ、とラスクの顔が明るくなる。
 緑のドラゴンは、小さな彼がマックスを診れるように伏せた。
 そしてちょうど王と青の竜も彼らの側へ降り立った。
「最近の若者がナイスで嬉しいぜ。最高にロックだ。
 さあ、ケガ人を運ぼう」
 国王がユマを抱えようと側でしゃがむ。
 その時、ずっと意識を失っていた彼女が小さく呻いて目を開いた。
「う……」
「起きたかいベイビー。寝てて構わないぜ」
 ユマは心配からの注目を一身に浴びていた。
 だから彼女の発言を、ラスクも雅も、マックスですら聞いていた。
「……パパ?」
 数秒後、一同の声が森に反響した。
「パパ!?」