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第五話


 拝啓、故郷の妹エクセランサ。
 僕は今、いろいろな意味で壁にぶち当たっています。

 自主練用の広場は、マギラワの巣に近い森を拓いてつくられていた。
 僕は豊かな緑と——ユマくんと雅くんに囲まれていた。
「だ〜から! こう、ザザッとやってパーって!」
「なんだその擬音語は!? カラーの分離は光学理論における第二式の——」
 かれこれ数十分は僕を挟んでこの有様だ。実は君たち仲いいよね?
「あの……二人とも落ち着いて」
「ちょっと静かにしてて!」
「黙っていろ!」
(僕に教える話だったよね!?)
 何をそんなに白熱しているかというと、僕のカラー技術についてだった。
 もとは、ユマくんが出動時のコーディネートを一緒に考えてくれたので、試し撃ちに行こうというところからだった。
 ちなみに僕たちはカリキュラム上、この前の試験から平時も出動時と同じ服の着用が許されている。
 なので試験の時と同じく雅くんは赤、ユマくんは水色の服を纏っていた。
 僕は、下半分に赤が入っている黄色のジャケット、緑のインナー、紺色のスキニー、紫のブーツだった。ジャケットが少しオレンジがかっているので、ベルトを黄色にして色量を調整している。
(僕がまともにカラー撃てないのが悪いんだけど!)
 せっかくスペクトルを考えてコーディネートしてもらったのに、僕は一向に出力が安定しなかった。
 黄色以外のスペクトルが持ち上げられているので、出力できるといえばできる。ただ実戦には程遠く、ふにゃふにゃと弱い黄色がちょっと出ては消え、を繰り返していた。
 それは、いまだに他のスペクトルが出力の邪魔をしていることを示していた。
 今の僕に必要なのは出力する色を選んで精製する技術——つまりカラーの“分離”だった。
 それをユマくんに教わっていたところを、雅くんが見かけて今に至る。
 本校舎まで響きそうな舌戦の中、のんびりした声が割り入った。
「雅、何してんの〜?」
 ざかざか土を踏みしめ、アーモンドくんがやって来た。雅くんと一緒にいるのをよく見かける。緑色の髪は外へ跳ねているけど、ゴールドの瞳はとてもおっとりしていた。
 アーモンドくんは深い緑のマントとブーツだった。出力調整のためだろうけど、反対色の赤いブローチでマントを留めていた。
 通常のテンションに戻った雅くんは、僕を指す。
「知っての通り、此奴はついこの間カラーが判明した。
 他のスペクトルが足を引っ張っているらしく、叩き直すのに付き合ってやっている」
「オイラが教えてたのに割り込んで来たんだろ!」
「あんな説明では心話術でも理解できんわ!」
 またも始まってしまった二人をよそに、アーモンドくんはじろっと僕を見た。
「ふ〜ん……。
 君、タイプは? 花火?」
「え? あ、うん」
「うっわ普通。雅の方が総合的に珍しいでしょ」
「ご、ごめん?」
 なんか、アタリが強いような……?
 アーモンドくんは宙へ向かってパレットを構えた。
 深い緑の光がするすると縦に伸び、丸みを帯びた陣を描く。光はそのまま渦を巻き、やがて綺麗な円形になった。
 的だ。
 アーモンドくんは言った。
「こういうのさあ、慣れじゃん?
 とりあえず感覚掴めるまで撃ってみなよ。
 ちなみにオレのタイプは炎。攻撃には向かない型だけど防衛戦は得意だよ」
 放てるカラーにも個人差があって、アーモンドくんの言う通り、炎型は部隊の殿で壁をつくるのに向いている。
 ただ、つくってくれた的の緑は深い色ながら、煌々と光っていた。
「こんな光量の人、見たことないけど……」
「なあマックス、もしかしてコイツすごいのか?」
 僕がユマくんに答えるより速く、真っ赤な稲妻が的を撃ち抜いた。
「当然だ。
 日頃からこの俺様の相手を、涼しい顔でつとめているのだからな」
 雅くんが、普段は同期にあれだけ褒められても無反応なのに、自慢気だった。
 彼は稲妻型という一番珍しいタイプだった。
 光の収束が最も強いので、攻撃力も三つの型の中では最強。大概の物は貫通するけれど、撃てる人は本当に少ない。
 僕も雅くんに会うまでおとぎ話くらいに思っていた。
 アーモンドくんは的が霧散するのを見送る。
「雅、もしかしてお手本のつもりだった?」
「……」
「うちの学年で稲妻撃てるの、雅だけだからね?
 そもそも稲妻型なんて滅多にいないからね?」
 雅くんは目を逸らした。
 アーモンドくんはまたパレットを構える。
「ま、オレの的をちょっとでも削れれば、使い物になるんじゃない?
 生半可なカラーは吸収するよ。
 特に君のメインである黄色と、オイラ君の青。
 オレの緑と色相が近い」
 アーモンドくんはユマくんを横目で見やって続けた。
「攻略方法は二つ。
 雅みたいに反対色でぶっ飛ばすか、色相が近いならカラーを分離・精製して強めるか。
 どのみち純度も光量も足りなければ吸収される」
 はい、どーぞ、と彼はユマくんと僕へそれぞれ的をつくった。
 ユマくんがパレットを構え、紫の光を一本放つ。
 目に痛いくらいの輝きだった。それはカラーの純度が高いことを示していた。
 光は的を貫通し、アーモンドくんは感心した様子だった。
「……へえ、やるね。
 一重で抜かれると思わなかった」
「なめてただろ」
「うん。
 訓練でも見かけたけど、単純に分離は上手いんだね」
「分離“も”な!!」
 ユマくんは花火型だった。大抵の人はこのタイプだ。
 稲妻や炎型より特化した部分はないけれど、カラーを重ねて撃つことで攻撃力を補完したり、技の種類は一番多かったりする。
 ちなみに僕も花火型だ。
 ユマくんが勢いよく僕へ振り返る。
「マックス!
 オイラのメインカラーは水色寄りの青だ!
 けど分離して精製すれば光度が強くなって、あの見下し緑を突破できる!」
 見下し緑って……、とアーモンドくんがぼやいた。
 ユマくんのメイン青だったんだ。
 それなのに、紫まであんなに精製出来るのは相当上手いし、スペクトルの広さも窺える。
 ユマくんが続けた。
「やってみるぞ! ザブーンとなってシュワーだ!」
「う、うん……!」
 相変わらずユマくんの説明はちょっとわからないけれど、やってみないことには始まらない。
(話の流れでアーモンドくんに3つも陣をつくってもらっちゃった。
 あとでお礼言おう)
 僕はパレットを構えた。


 さっきから一切変わっていない的。
 僕は肩で息をしていた。
(ぜんっぜん通らない!!!)
「マックス! ザザンっといった後にグアーっと!」
「貴様は説明能力をなんとかしろ!」
 ぎゃあぎゃあ喧嘩している二人にツッコむ気力もなかった。
 アーモンドくんに至っては、途中から暇そうにカラーで落書きをしている。
 彼があくびを隠さず言った。
「まあ、あれだけ撃って枯渇しないのは自信持てば?」
「アリガトウゴザイマシタ……」
「今は出ても単色がギリってとこかな。
 花火型は最低でも二色以上を撃てなきゃ話にならない。
 そこのおチビさんくらい分離できれば違うだろうけど」
 誰が何だって!? と吠えるユマくんを流し、アーモンドくんは続けた。
「ま、せっかくの透明なんだ。
 三重や四重も狙えるんだからやってみれば?」
「うん……」
「そもそもドラクーン試験までに安定しないと死ぬよ」
「うっ……! そうだね……!」
 僕が心に大ダメージを食らっていると、二人の喧嘩がヒートアップしていた。
「あーもう! じゃあお前が説明しろよ!」
「しておるだろうが! 第二式の——」
「それはみんな習ってる! そうじゃなくてこう、イメージみたいなさあ!」
 珍しく、雅くんが言葉に詰まった。
 ユマくんもつられて固まる。
 そしてアーモンドくんは、転んだ子どもをあやすような顔に見えた。
「あーあ。その辺にしてあげて」
「…………ふん。行くぞアーモンド」
 雅くんが踵を返す。
 さっさと進んだ彼に聞こえないよう、アーモンドくんがこっそり言った。
「雅、スペクトルほとんどないんだよ」
「え!?」
 つい大きな声を出した僕とユマくんは口を抑える。
 けれど雅くんは振り返らなかった。
 アーモンドくんが彼の背中を見ながら続けた。
「分離自体は人並みにできるんだけどさ。
 そんなのいらないくらいの、極端な紅。
 金箔も入っているから余計に。
 ……オレはカッコいいと思うけどね」
 金箔と銀箔は、カラーの精度をより高める特別なスペクトルだ。後天的に習得は不可能で、生まれながらに持つ者も極めて稀。
 雅くんが言葉に詰まったのは、イメージとかしなくても、人より簡単に分離ができてしまうから。
(そういうことだったんだ)
 アーモンドくんはひらひらと手を振り、雅くんを追った。
「まあせいぜい頑張ってね〜」


 □■□


 千景の研究室からは、自主訓練用の広場もよく見えた。
 大きな窓からそっと顔を覗かせているのは、魔女科のローブを着た子どもだった。
 銀髪にオレンジの瞳の子どもは、どう考えても下から見つかることはないのに、隠れるように頭の三角帽を握りしめていた。
 広場には、最近よく来る生徒がいた。
 透明の再来と称された彼は、今日も的へ弱々しい光を放っていた。
 的は彼自身のカラーではなく、板に緑色で描かれていた。板は訓練でも使用する物で、広場に突き立てられた棒に吊るされている。
 彼は一人の時もあれば、仲間であろう者といる時もあった。
 子どもは、連日だいたい同じ時間に現れる彼を観察していた。千景がいない時にしか覗いていないので、子どものどこか羨ましそうな顔を知る者はない。
 来る日も来る日も、透明の彼は広場へ来た。
 しかし的は変わらずに綺麗なまま。
 ついにある時、彼は膝をつき地面へ“横たわって”しまった。
 子どもは度肝を抜かす。
 千景はまだ講義中だった。
 子どもは一人、おろおろと窓辺を往復する。眼下の彼は“仰向け”だった。
 ややあって、ついに決心を固めた子どもは、研究室を飛び出した。


 □■□


 こうも分離が出来ないとは、さすがに心が折れそうだった。
 僕は、誰もいないのを良いことに仰向けに転がった。
(いや〜空が青いなあ……)
 ユマくんたちは来るたびに面倒を見てくれている。
 僕だって諦める気はもちろんなくて、少し休憩のつもりだった。
(足音……?)
 遠くから近づいて来る。走っているようだ。
 みっともないので身を起こすと、おそらく音の主であろう子が、あっという間に僕の傍にいた。
 白銀の髪にオレンジ色の瞳で、魔女科のローブと帽子を着けている。見慣れない子だった。
 その子は息を切らしながらボソリと言った。
「な、なんだ……」
「え?」
「あっ! いや、なんでもない! 倒れたのかと……」
「あっ! 紛らわしくてごめんね! ちょっと休憩で……」
 二人して両手をあわあわと振っていた。
 ふと見ると、魔女科の子はネックレスをつけていた。
 この前一角獣に返したものと同じで、僕はつい口に出してしまった。
「それ……」
「!!!」
 魔女科の子は文字通り飛び跳ねてしまった。
 言ってはいけないことだったのか。
 僕も慌ててしまい、またしても二人でおたおたする空間になってしまった。
「ご、ごめんね! それちょっと見かけたことがあって……! 特に意味はないんだ!」
「うあ、えっと、いや別に……!
 あ、そうだ! ラスクは飼い主なんだ!!」
「え?」
「あの一角獣が世話になった!! これは大事なものだったんだ!!」
 ラスク、というのはこの子だろう。
 魔女化のカリキュラムは全然知らないけれど、一角獣を飼っているなんて驚いた。もしかして契約のことかな。
「そうだったんだ。
 神獣を飼ってるなんてすごいなあ」
「ちょ、ちょっと色々あってな……!
 それより何してるんだ」
 コホン、とラスクくんは咳払いをした。
「僕、騎士科なんだけど……今度、ドラクーンになるための試験があるんだ。
 ただ出力がすっごく安定しないから特訓してた」
「……デライトリの森に行く試験か」
「うん。
 ドラゴン以外の神獣もたくさん棲んでるから、出力ができないのはシャレにならないんだよね……」
 現実を思い出して僕は遠い目をしてしまった。
 ラスクくんは引かずに聞いてくれた。
「出力できない原因はわかってるのか」
「なんか、カラースペクトルが全……広いらしくて。
 出そうとしても他の色に引きずられちゃうのが原因みたいなんだ。
 それで分離の特訓中」
「引きずられて……」
「なかなかコツが掴めないんだよね」
 ラスクくんは考え込むように、自分の顎を撫でた。
「…………波」
「え?」
 ラスクくんはパレットを取り出すと、オレンジの光で的の陣を描いた。
 浮かんだ的を、僕が使っていたものの隣へふわふわと移動させる。
 そして彼はパレットを向けた。
「体の中で、色たちは繋がっている。
 そいつらを波立たせて、波を出したい色へ持っていく。
 それを繰り返していけば、波は高くなっていく。
 揺らめきが重なって、ひときわ大きな波になったときに
 ——パレットへ送り込む」
 ラスクくんから放たれたのは、濃い紫の光だった。
 オレンジ色の的が撃ち抜かれて消えていく。
 彼は続けた。
「ラスのスペクトルは橙と紫……ほぼ反対で、カラーが足を引っ張りあって出力できなかった。
 だけど今はできる。だから、お前もできる」
(すごい……もともと単色みたいな紫だった)
 僕が呆けていると、ラスクくんがハッとした。
「い、イメージだし、そのっ……あの……」
「やってみるよ! ありがとう!」
 ラスクくんはキョトンとしていたけれど、僕は教わったイメージを試すことしか考えていなかった。
 僕はパレットを的に向け目を閉じた。自分の深呼吸に集中する。
 赤から紫までのカラースペクトルを思い描き、波を黄色へ持っていく。
(色たちは繋がっている。
 波立たせて、出したい色へ持っていく。
 繰り返していけば、波は高くなっていく。
 揺らめきが重なって、ひときわ大きな波になったときに
 ——送り込む!)
 カッと目を開けば、鋭い黄色の光が的を撃ち抜いていた。
 僕はラスクくんを振り返る。
 二人揃ってあんぐりと口を開けていた。
「でっ……できたああ!」
「すごいすごい! ありがとう、ラスクくん!」
 ユマくんの言っていたイメージもわかった。確かにザブーンだ。
 喜びすぎた僕は、ラスクくんの手を取りぶんぶん振る。
 彼はされるがまま、少し赤らんだ顔で褒めてくれた。
「よ、よくやった!」


 □■□


 千景は書斎から訓練場を眺めていた。
 そこではラスクとマックスが何やら賑わいでいる。どうやらカラーを的へ当てられたようだ。
 千景の脳裏には在りし日の記憶が蘇る。

 カラーが出せず、めそめそ泣くラスクを宥める——ではなく、叱咤強めの激励をする“彼女”。
 当時の騎士団長の指導は生半可ではなかった。慰めるのは千景の役割だった。
 そしてある日ついに、ラスクがカラーを撃ち放つ。
 誰よりも本人が驚いていた。
 しかし彼女はわかっていたかのように、驚きもせずラスクの頭を豪快に撫でた。

『よくやった!』

 千景が我に返る。
 まだラスクとマックスは訓練場にいた。
 一つ大きな息を吐き、千景は窓辺を離れた。その足は研究室のとある一室へ向かう。
 なんの変哲も無い、逆にプライベート感のある扉をくぐると、青い空と海が彼方まで広がっていた。
 否、外ではない。
 彼は水面を歩くかのように進む。
 鏡のように凪いだ青は、中央に臥せる人間を活かすための陣だった。逆に、天井の空は実際の時間と連動するようになっており、彼の趣味である。
 部屋の中央には、白い天蓋のついたベッドがあった。傍らには同じく白いティーテーブル。椅子は一つだけだった。
 千景は慣れた様子で腰掛け、ベッドの“彼女”へ話しかけた。
「……いい天気だね、フレア」
 眠る彼女は、太陽色のような透き通る金髪だった。
 千景は、長いこと彼女の声を聞いていない。
 先代騎士団長フレアの瞳は、十年前から閉ざされたままだった。

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