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第二十六話


 フェリクシアの首都は、排他的を絵にしたような城塞都市だった。
 外界を拒絶する灰色の高い壁で、門は限られた数ヶ所のみ。壁は、登って侵入することが不可能な磨かれ方をしていた。そもそも上から狙い撃ちされるが。
 それに反して内部は、優美と清廉さに満ち、奴隷制度など無いかのように潔白な建物ばかりだった。上品に施された金の装飾は、命いくつ分か。
 その都市の上空へ、ドラゴンの影が二つも現れた。
 フェリクシアが迎撃体制に入る数秒前、赤い竜が自分の乗り手を緑の竜へ落とした。
 そしてすぐ人間二人を鷲掴みにして大聖堂に飛ぶ。
「ご丁寧にてっぺんが奴らの聖域! 国のアタマがいるっつーのに、罠も警備も上からの攻撃を想定してねえ!
 んでもって窓は全部潰したクセに、階段の途中に一つだけ扉のないバルコニーが残ってる! そこから入れ!」
 ドラゴンは宣言通り、大聖堂の中腹やや上の張り出した部分へマックス達を放り投げた。
「アタマを押さえちまえばこっちのもんだ!」
「肝が冷えちまうっスよ先輩……!」
「あぁ? “優しく”置いただろうが! おらさっさと陽動に行くぞ!」
「暴れたいだけでしょ!」
 傍目にはドラゴンが通りがかったかのようにしか見えない、鮮やかな置き去り。
 ドラゴン達が大聖堂から離れたと同時に、フェリクシア兵のカラーが上空へ放たれた。ドラクーンもやって来ている。赤いドラゴンの目当てはそちらだろう。
 光の弾幕を抜け遠ざかる彼らを、放られたマックス達はよろよろと見送った。なんとか無事に着地はしていた。
 裾を払った雅が、無言でドラゴン達(主に赤い方)を睨んだ。
「…………」
「こ、腰抜けるかと思った……あ、よかった立てる……」
「……行くぞ」
 二人はパレットを片手に、バルコニーから中へ入った。
 踊り場に続いていたらしく、上下に階段が伸びていた。内部は全体的に薄暗く、バルコニーから射し込む曇り空の方がよほど明るい。
 階段は壁に沿った螺旋になっていたが、塔や踊り場の大きさに比べると狭く、三人は並べない横幅だった。
 しかも、中心側には手すりも柵もなかった。
 最下層は見えず、冷たい風が暗闇から吹き上げるだけ。壁に点々と灯された灯りも闇に呑まれている。
 マックスも雅も、すっと壁側へ身を寄せた。
『心話術が届かなくなる前に、千景兄様に状況説明はしておいた』
『(帰ってもしばらく逃亡生活かもしれない)えっと、返事はなんて?』
『……応答前に切れた』
「え」
 マックスが慌てて自分の口をバシっと押さえた。
 雅も押さえかけた。
 彼はそのまま腕につけている小手を見遣る。
『此れのお陰か、通常より長距離も飛ばせていたのだが……流石に国は跨げなかった』
 小手は今までと異なり漆黒で、ふちが金色の物だった。
『即席だがデュエットを組むぞ。俺様が隊長だ。
 貴様のドラゴンが言う通り、先鋒として国内を掻き乱しておけば、多少は負荷をかけることが出来る。癪だがな。
 無論、危険と判断したら即撤退だ』
『……了解』
 そして彼らは、なんの音もしない階段を登り始めた。


『此処か』
 階段を登り切った二人は、広い踊り場と物々しい扉に突き当たった。
 扉は灰色で、隙間なくぴったり閉ざされていた。見上げるほどの高さで天井に近い辺は丸くなっている。にも関わらず、見る者に重苦しさを与えていた。装飾は特に無く、取っ手に位置する部分が円形に凹んでおり、陣が一つだけかけられていた。
 マックスは心話術だが小声になっていた。
『ほんとに警笛陣とかもないんだね。これ、鍵の陣かな?』
『……おそらく臭い消し、否、中から下に漏れ出ないようにしている』
『臭い?』
 雅は少しだけ言い淀んだ。
『貴様、内臓や切断された四肢に耐性は有るか』
『えっ』
 マックスはギョッと動きを止める。
 雅は言葉を選んでいた。
『貴様のドラゴンが嘘を吐いているとは思っていない。
 だが、国のアタマとやらがまともである、とも言っておらぬ。
 腐臭の中で喜んで暮らすような者という可能性も有る。
 ……権力で箍が外れる人間は非常に多い』
 それは雅の経験則でもあった。
 マックスは意図を理解し、苦い顔をした。
『多分だけど大丈夫。胎盤も臍の緒も触れたし』
『た……?』
『あっ違う違う! 趣味じゃなくて、末の子のお産で!』
『な、なら良い……開くぞ』
 雅が触れた時点で、扉は自動的に音もなく、しかし重さに比例してゆっくりと開いた。陣は消えずに残っている。
 二人は扉の影に隠れながらパレットを構えた。
 しかし、部屋に照明はついておらず、人の気配も無かった。
 ほの暗い内側から、妙に温かい空気と生臭さが流れ、ぬるりと彼らの鼻を撫でる。
 マックスが口元を手で覆い、雅は眉を顰めた。
『気をしっかり保て。
 ……誰も居ないな』
 彼らは顔を見合わせると内部へ突入した。背中合わせになりパレットを構えているが、自分達の足音しかしない。
 マックス達は耳を澄ませ目を凝らしていた。
 部屋はそこまで広くないが、天井が高すぎて暗がりになっていた。硬い床には小さめの低い台が、道を作るように等間隔で並んでいる。壁には抽象的な模様の布も垂れ下がっていた。
 二人は全方位に神経を巡らせながら、奥へ進む。
 するとマックスの視界の端で、何かが光った。入り口から伸びた台の道が、途中で左に分岐している先だった。
「……え?」
 彼がつい口から溢した声には、驚愕と恐慌が半々。
 それは、扉からの光だけでうっすらと照らされていた。よくよく見れば段差らしき曲線——たぶついた皮膚が見えた。
『み、雅くんっあれ、人間……?』
 玉座らしき数段高くなったところに巨体が、もはや置いてあった。前掛けのような布から身体のほとんどがはみ出ている。肉が詰まっているというより、一度大きく膨らんで萎んだようだった。
 身体に対して手足は妙に細く短かく、体重を支えることは出来ないだろう。動く様子も無かった。
 頭髪は無く目もまともに開いていない。だらしなく開いた口の中の何かが、光を反射していた。
『腐臭の元は此れか……しかし一体……』
 その時、台の道の本流突き当たり、部屋の奥からだった。
「醜いでしょう?」
 マックス達が瞬時にパレットを向ける。
 暗闇からコツ、コツ、とのんびりした靴音と、男が現れた。銀色の長い髪に、顔の右半分を仮面のような眼帯で覆っていた。
 マックスは雅の方は見ずに心話術を飛ばした。
『全然気づかなかった。国王ってこんな人だっけ?』
『……宰相の装束だ。恐らく伏兵が潜んでいる。気を抜くな』
『了解』
 パレットを向けられているにも関わらず、宰相は優雅に手を振った。
「ご機嫌よう、フロールの精鋭。
 一瞬ですがドラゴンの飛び方に違和感があってね。もしかして、と思ったんですよ。
 侵入先にここを選ぶとはお目が高い」
 そして宰相が指を鳴らすと、台に火が灯った。
「我が国の聖なる象徴、オーパートです」
 部屋が明るくなり、宰相は巨体へ手を向けて紹介した。わざとらしく白々しい。
 照らされた巨体は相変わらず無反応だった。
 マックスが雅へ心話術を飛ばす。
『オーパート?』
『フェリクシアは宗教国家でもあるだろう。
 其の教典上で国を加護していると言われている、実質的な信仰先だ。
 姿形は秘匿され続けていたが……』
 その時、宰相がパレットをするりと取り出した。
 マックス達に緊張が走るが、それは彼らへ向けられなかった。
「やばいですよねえ。こんな腐りかけの肉団子に、必死こいて縋りついて。
 ——前々から、片付けたかったんです」
 宰相のパレットから、空間に直線を引いたような白い光が一本、瞬く。
 オーパートの首が飛んだ。
 その衝撃か頭を失ったからか、巨体が溶けるように椅子から滑り落ちる。体液が噴き出し、腐臭が急激に強くなった。
 オーパートの頭がマックスの傍まで転がった。
「ひっ!」
 敵前だが、ついマックスは身を縮こませて後ずさった。
 オーパートの舌が口からべちゃりと放り出される。
 舌には丸い石が埋め込まれていた。土気色の肉に似つかわしくない純白だった。
(……真珠?)
 同時に、鈴を出鱈目に打ち鳴らしたような、耳障りな金属音が響く。
 宰相がまた滑らかにパレットを袖に納めて言った。
「ああ、これは侵入者を知らせる警笛です。
 怒り狂った信者共が集まって来ます。
 では頼みますね——濡れ衣を」
 そして宰相は別のパレットを取り出し、青い光に包まれた。
 照らされたパレットには陣が刻まれている。
 雅はそれを、兄の陣を見逃さなかった。
「貴様……!」
 激昂の赤が撃ち放たれるが、宰相が一秒早く姿を消した。
 マックスは、我を忘れかけている彼の腕を引く。
「雅くん降りよう! ここじゃ逃げ場がない!」
「…………、糞っ……!」
 バタバタと二人は薄暗い聖域を後にする。
 誰の目にも留まらなかったが、オーパートはどこか満足そうな顔をしていた。


『あれ!? この辺じゃなかった!?』
『閉ざされている……! あの男、最初から此のつもりだったな!
 マックスを先頭に二人が駆け下ると、踊り場からバルコニーに続いていたはずの部分は、壁面にされていた。
 さらに下から、全身を灰色の装束で覆った信者達がわらわらと階段を登ってきていた。彼らは揃って、三角の頭巾と引き摺る丈の装束だった。頭巾は顔の部分まで布があり、それぞれ黒い文字のような、一筆書きのような簡素な紋様があった。
『俺様が壁を破壊して脱出する! 貴様は階段を壊せ!』
『……了解!』
 必要な時間はほんの数秒だった。マックスは灰装束達のカラーを警戒していた。雅の指示にも過不足はなかった。マックスの手を汚させず、時間を稼ぐ最も効率の良い方法だった。
 しかし、灰装束の集団はパレットを使わなかった。
 彼らは頭巾の布を少しずらし、笛のようなものを一斉に口に咥え、吹いた。
 マックス達を見えない攻撃が——フェリクシアで極秘開発されていた、音の波が襲った。
 ダメージ量はカラーに劣るが、その真骨頂はバランス感覚を狂わせること。
 雅は咄嗟に片膝をついて転倒を免れた。しかし目の前がぐわんぐわんと歪んでいる。
 前衛にいたマックスは直撃をくらい、ぐちゃぐちゃになった視界は、もはや見えていないに等しかった。
 そして、真っ直ぐ立っているつもりの身体が傾く。
「マックス!!」
 彼に雅の声は聞こえていなかった。一時的だが耳も機能していなかった。
 マックスの長躯は、塔の暗闇に落ちて行った。


 次にマックスが意識を取り戻した時、上下左右全てが鮮やかな青だった。
 鼻の奥が痛み、咳き込もうとしても息が吸えない。
(水……!?)
 叫びはガボリ、と大きな泡になるだけ。
 本来ならば泡の上がっていく方向で、一刻も早く水面を把握しなければならない。
 しかし、冷静になるには空気を吐きすぎてしまった。
 パニックを起こしかけたマックスの腕を、水色の手が掴む。
(……!)
 それに導かれるまま、彼は間違いなく浮上した。
 マックスはやっと水面から顔を出して、体内へ入り込んだ液体を吐き出した。
 そして、視界に入った陸らしき物まで泳ぎ、どうにか身を乗り上げる。
 彼は四つ這いでぼたぼた水を滴らせ、荒い呼吸を整えた。
(ノーブルさん……?)
 水中でマックスの腕を掴んだ者などいなかった。あの瞬間に存在していたのは彼と泡だけ。
 ゴーグルは幸いにも外れなかったため、視界は良かったはずだった。
 マックスの髪から頬を伝い、一筋の水が口へ流れ込んだ。
 塩辛かった。
「……海?」
 マックスの手の下に砂が見えたが、ジャリジャリとした特有の感触はない。
 彼はレンズを雑に拭いあたりを見回した。
 上陸したのは白く硬質な物体で、全て四角く成型されていた。上面だけは半透明で、内側に砂が敷き詰められている。
 白い陸以外の場所は液体で満たされていた。浅瀬のような緑がかった水色から、深部は紺に近い青色のグラデーションを成している。水中には、陸から枝のようのなものがいくつも伸びていた。
 間違いなくこの海は人工物だった。
 遠くで白い壁がぐるりと囲っており、水が流入する穴も点々とあった。
 何より、壁に沿って見上げれば吸い込まれるような暗闇に繋がっていた。
(……そうだ、落ちたんだ)
 マックスがびしょ濡れの膝を払って立ち上がる。
 灰装束が一人、いた。
「えっ」
「…………」
 灰装束はわなわなと震えながら無言でマックスを指差す。
 そして、倒れた。
「えっ!?」
 バタン、と効果音が聞こえそうな卒倒ぶりだった。
 マックスは指をさされただけで、別段カラーなどは見受けられなかった。
(ラッキー、なのかな……?)
 そそくさとマックスは近くの扉から出ていった。

 灰装束の気絶は、マックスによってこの海が全て無に帰したからだった。
 海に面していないフェリクシアでパレットを得ることは、他国に比べて難しい。軍事国家故にそもそもの消費が多く、パレット原料の白珊瑚を抱えるペラタに良い顔をされないことも手伝っていた。
 そこで、人工的にパレットを製造するに至ったが、難航を極めていた。
 百年に近い研究の末にようやく、海を模した水に白珊瑚に似た性質の石を長く、永く漬けることに辿り着いた。
 誰も穢すことのないよう厳重に聖域で管理し、もう少しで成果を試せる頃合いだった。
 そこに突然の落下物。
 灰装束の頭には、洗浄のし直しと儀式のやり直しと資材の調達し直しと……あらゆるものが押し寄せ、意識を手放したのだった。


 □■□


 僕は誰もいない路地を走っていた。
 あの後また灰色の集団に追いかけられて、訳も分からないうちに大聖堂から飛び出していた。
 服が乾き始めて体温を奪われているはずだけど、寒さは感じない。
(もう追っ手はいないかな……市民の人も、いないのか)
 悲鳴が聞こえないことに、少しほっとしていた。
 戦争らしい怒号は上空からだけで、僕は飛び回る赤い影の方へ向かった。
「すいません見つかりました!」
 赤いドラゴンが僕を一瞥しこちらへ飛んでくる。
 けれどその後ろに、フェリクシアのドラクーンが火を噴きながら三体もついて来ていた。
「うわあああそっち終わってから来てください!」
 僕は慌てて建物の影に隠れる。
(も〜やっぱり先に雅くんに連絡すればよかった)
 ドラゴンの不満そうな雄叫びが離れていき、僕は心話術を飛ばした。
 何の疑いもなく、飛ばした。
『雅くん、遅くなってごめん! 無事です! 君はどこにいる?』
 予想していた呆れ声も怒った声も、返って来なかった。
「…………雅くん?」

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