第二十八話
『雅くん! 返事して!』
マックスは大聖堂へ駆けていた。
しかし一直線というわけには行かなかった。
無人の家屋に身を隠し、上空の激戦をやり過ごす必要があった。道順もすっかりわからなくなっており、単純に背の高い大聖堂を目印に進んでいる。そのせいで突き当たりにぶつかったり、迂回を余儀なくされていた。
ドラゴン達の息吹を避け、細い路地へ走る。
路地は薄暗いだけというよりも、長年の汚れがこびりついている様子だった。
(なんだろう、生臭い)
マックスが思考に気を取られた一瞬、彼のすぐ側へフェリクシアのドラゴンが墜落した。
「あっぶなぁ!」
巻き添えになった建物の壁が崩れる。
ドラゴンの鱗から漂う焦げ臭さもあったが、それを上書きするように生臭さが強まった。
(人……?)
土煙の向こうで、人間が鎖に繋がれていた。それも一人二人ではなく、物置のように詰め込まれていた。
皆、ボロボロの布が引っかかっているような痩躯だった。
彼らは突然のことに身を寄せ合い、怯え切った目をマックスへ向けていた。逃げもせず。
□■□
幼い奴隷の少女は、姉代わりの女性にしがみついていた。部屋の隅が定位置だった彼女は、あと少しで崩落に巻き込まれるところだった。
いつもの暗い倉庫は瓦解し、外の風が吹き込んでいた。
しかし誰一人として、役人の許可なく出ようとしなかった。鞭で打たれるか、最悪その場で処分されてしまうから。
大穴が開いた壁の向こうに、男が立っていた。
金色の髪に緑のゴーグルをつけた、背の高い男だった。
少女が身を硬直させるが、なぜか彼まで同じように固まっていた。
男は口を引き結ぶと、一番近かった彼女へパレットを向ける。
そして、姉代わりの女性が許しを乞うより早く、黄色の光が鎖を破壊した。
男の声は、少女の想像よりずっと優しかった。
「ごめんなさい、逃げて」
彼は次々と、奴隷を縛り付ける鎖を壊していった。
最後の一つを砕いた時、頭上を大きな影が覆う。
正体は鱗が緑色のドラゴンだった。男の味方のようだった。
「すみません、雅くんが応答しない!」
「向こうにやたら陣の付いた建物があった! 見た目がフツーだから怪しいぜ!」
「行きましょう!」
言うや否や男がドラゴンに飛び乗る。
あっけに取られた奴隷達はそれを見送るだけだった。
「…………!」
ただ一人、少女だけが、彼らが飛び去った方向へ走り出した。
□■□
雅くんのドラゴンが言っていた建物は四階建てで、全部の扉と窓に陣が張られているみたいだった。
僕らは空中で旋回を続け、策を練る。
「あれ、入れると思います?」
「壁をぶっ壊した方が早えーが、狙い定めねえと」
「少しだけ高度を下げてください。中がどうにか見えれば……あれ?」
一階の裏口あたりに、何もされていない窓があった。
「……罠じゃね?」
「降ります、見張りを」
「あっオイ!」
僕はドラゴンから飛び降りて、慎重にその窓を覗く。
中は大広間のような部屋になっていて、男が一人立っていた。
裾を引き摺るその衣装は、大聖堂で見たものと同じだった。
(宰相の服だ)
目視で確認する限り、他には誰もいない。
(またワープ陣を使われる前に……!)
僕は拘束するつもりで窓を叩き割って突撃した。
だけど振り返ったその男は、宰相とは似ても似つかない老人だった。
「……!?」
老人は僕に怯えきった顔をするのに、どうしてか何も言わないし、一歩も動こうとしない。首だけがこっちを向く、変な振り返り方をしていた。
その時、部屋の端にあるオブジェが動いて、女の子が飛び出してきた。
「待って!」
僕の腰くらいの背しかない、小さな子だった。ボロボロの服を着ていたから、さっき鎖を壊したところの子だと思う。
女の子が、僕との間に入るように老人にしがみついた。
「ちがう、切られた、切られたの!」
「き……? 落ち着いて、攻撃しないから。何が切られたの?」
「舌!」
老人がうめき声を出し、女の子が彼の裾を捲った。
がりがりの足が床に埋め込まれていた。黒く変色した血も付いている。
女の子は、びくともしていないけど、床材を引っ張りながら言った。
「わたしも来たの、罠をつくるって言われて……そしたら……そしたら……!」
最悪の回答が僕の頭に浮かぶ。
(この人も建物も、身代わりの罠に“使われた”?)
僕はパレットをしまい、女の子が唸っていた床材に手をかけて、剥がした。
そしてお爺さんの足を引き抜いて肩を貸した。
「どこか避難してもらえる場所は……」
轟音。
窓が風で割れる。
僕は咄嗟に二人の前に出て防御陣を展開した。
「っく……大丈夫!?」
「わ、あ、うんっ」
外では赤いドラゴンが勝利の雄叫びを上げていた。
フェリクシアのドラクーンを撃破したらしい。窓の外に、見慣れない鱗が倒れているのが見えた。
それから、雅くんのドラゴンの悲鳴も聞こえてきた。
「先輩〜〜っ!!! 中にガキがいるって言ったじゃないっスか!!!」
「ア? よし脱出しろ。こっちの方が近道だろ」
「も〜!! おいケガはねえか〜!?」
赤いドラゴンが飛び立つ音と同時に、緑のドラゴンが表側から部屋に顔を突っ込んできた。
「無事だなァ? さすがにキモが冷えたぜ……。
これだけぶっ壊れちまえば陣も発動しねえだろ」
「ハハ……出るの手伝ってもらえますか?」
僕はその時になって、女の子が怯えていることに気がついた。
「ごめんね、大丈夫だから」
「おうおう怖がらせちまったなァ。
俺はドラゴン界でいっちゃんナイスなんだぜ、よろしくな。
あんよが切れちまったら大変だから、乗ってくれるか?」
雅くんのドラゴンがそっと前足を出す。
女の子がおずおずと乗り、僕とお爺さんも続いた。
ドラゴンはゆっくり僕らを建物の外に運んだ。
女の子がツルツルの鱗を滑って降りる。
はしゃぐような声を上げていたのが、妹と重なって見えた。
(……逃げてもらわなきゃ)
僕もお爺さんと降りた時、通りに集団が見えた。
隊列かと思ったけれど、武装もしていない上に、白い布を旗のように掲げていた。
雅くんのドラゴンがぼやいた。
「市民だな。避難途中かもしれねえ」
僕は声を張る。
「すみません、フロールの騎士です! 攻撃の意思はありません!
この人たちを……」
言いかけたその時、後ろから僕のジャケットがぐい、と引かれた。
女の子が強張った顔で小さく言った。
「わたしたち、奴隷」
「……!」
そうこうしているうちに、先頭の女の人がずんずんとやって来ていた。
彼女の後ろで集団が見守っている。
そして女の人は、奴隷の子に手を差し伸べた。
「行きましょう」
「え……わ、わたしたち奴隷で……」
「知ってるわ。そんなのおかしいってずっと思ってた。
遅くなってごめんなさい。一緒に逃げましょう」
奴隷の女の子は顔をゴシゴシ擦って、少しだけ鼻を啜り、頷いた。
それをきっかけに、集団から男の人がやって来て、お爺さんに背を向けてしゃがんだ。
「足、痛いだろ。体力には自信あるんだ」
僕は彼にお爺さんをおぶさってもらい、女の人に尋ねた。
「あの、捕虜を収容してる場所って知ってたりします?
仲間を探していて」
「……いつ捕まったかによるけれど、捕虜はみんな奴隷にされるわ。
何かの陣を埋め込むとかで、最初は“処置室”に送られるの。
ここから大聖堂を挟んでちょうど反対側よ。他から離れて建っているからすぐわかるわ」
「ありがとうござ……っ伏せて!」
僕は上空にひまわりを撃った。
別のフェリクシアのドラグーンが、赤いドラゴンに当て損ねたカラーが降りかかっていた。
相殺したから良いものの、変わらず彼らはすぐ側の上空で戦っていた。
「危ないんだけど!?」
僕の文句が聞こえたとは思えないけれど、ドラゴンたちは目まぐるしく飛び交いながら離れて行った。
市民の女性が僕に言った。
「フロールの騎士さん」
「あ、ご、ごめんなさい一応気をつけるように言ったんですけどちょっと契約したばっかりで「いいの」
「え?」
「奴隷倉庫の鎖を壊してくれたのも、あなたでしょう?」
彼女は続けて言った。
「私達市民は戦争なんて望んでいない。
こんな国、壊して」