第二十二話
「わかった千景。
いない間はラスに任せて。ここの陣の使い方も覚えてるから大丈夫」
「……ええ」
千景の研究室・居住スペースの青い部屋。
そこは外の時間を反映して薄ら暗く、しかし満点の星空を描いていた。いつかの二人が見たものだった。
アーモンドの私物を燃やす炎はもう消えている。
千景が水面を模した床に膝をつき、ラスクを抱きしめた。兄が弟へするように、父が子へするように。
「ラスク、君に話しておかなければいけないことがある。
もう俺とフレアしか知らないことです」
「うん。
——ラスが、生まれた時の話?」
□■□
「おい見ろよあれ」
「ああ、透明の……」
まだ俺が学生の頃です。
当時のアカデミーを騒がせていたのは、だいたい彼女達二人でした。
「模擬戦なら受けて立つが?」
こそこそ噂する同級生に真正面から切り込んだのは、騎士科の方です。
肩まで伸びた白に近い金髪に、勝ち気なブラウンの瞳をした女子生徒でした。
「えっ、あ、いや……」
「ふん」
動揺する男を一瞥した彼女に、いつの間にかやって来た魔女科の方が腕を絡めます。
紫色の髪に、君と同じ橙色の瞳でした。
「行きましょ、フレア」
「ああ、メイデン。
——誰も私達について来れないさ」
歴代初の、全てのスペクトルを持つ少女。
優秀だが神獣に入れ込む妙な魔女。
今よりずっと偏見も強い男社会でしたから、寄ってたかって彼女達を畏怖し、遠巻きにしていました。
「またお前達ですか。問題を起こすなと言っているでしょう」
俺はその筆頭でした。
ある時、フレアと俺が一緒の任務がありました。
内容の詳細は省きますが、辺境を逆手に密入国した組織の捕縛でした。
そこで彼女が人を助けたんです。
フェリクシアの奴隷でした。彼は顔の右側が焼け爛れてしまっていた。
当時、陣は魔女任せで、学生はもちろん騎士団も使えない有り様だったんです。カリキュラムにすら入っていなかった。
引率の騎士団と魔女が来るまで、彼女は応急処置陣が施された布を奴隷に当てがっていました。
「すまない、私がちゃんと陣を使えれば……」
それを見ていただけの俺は、視野が狭かったので吐き捨てました。
「あんな雑務の極み、使えたところで同じでしょう。
他国の奴隷なんて強制送還の後、どうなるかわかったものじゃありませんよ。
半端に希望を見せる方が残酷だ」
そんな俺にフレアは、こちらを見ずに言った気がします。
「私達がそんなことでどうする」
「……何?」
「騎士は人々を守るために存在している。
そんな私達が、戦争のきっかけを作ってどうする。
この人にとって私達がフロールだ。
それに私は、目の前の人を見捨てたくない」
「…………綺麗事ですね」
結局、騎士団と一緒に魔女が来ましたが、その奴隷は治さずじまいでした。
当時の陣はもっと効率が悪いものばかりで、時間がかかるから。
そんな矢先に、俺が魔女の陣に世話になりました。
「……は?」
訓練の森で目を覚ましました。
メイデンが神獣に入れ込んでいると言ったでしょう?
一角獣だったんです。
ええ……君の父親にあたる。
俺は目を合わせてしまった。そして腹を角で刺されたところで記憶が途切れていました。
身を起こすと、少し離れたところにフレア、ぴったり寄り添うメイデンと一角獣がいました。
「おっ、結構早かったな」
「あの程度の傷、こんなものよ」
腹に風穴空いてたんですけどね。
通常なら失血死している重傷です。あっさり治すメイデンは、それでもやはり異端とされていました。彼女を正当に評価していれば助かった命は多かっただろうに。
それはさておき。
「……神獣をこんなところに連れ込んで何を」
「デートだよ。野暮だねえ」
「は?」
「フレアは特別に紹介したの。親友なのよって」
「照れるなあ」
へへ、とフレアがもじもじしていたのを覚えています。イラッとしたので。
「いやいやいや。は?」
「君さっきからそればっかりだな」
「そうもなるだろ。
だいたいどうやって神獣を連れて来れるんです。というか危ないでしょう。他の生徒も串刺しにしていると?」
「失礼だわ。ちゃんと人払いの陣は敷いてたのに突破して来るから悪いんでしょう」
俺はあの時、森を進むたびに耳鳴りが酷くなったので、何かあったのかと様子を見に行ったんです。善意で。
「……許可は」
「取っているわけないでしょう」
「仮にも軍人となる身で「はいはいストップ」
俺を遮ったフレアは、悪い顔をしていました。
メイデンが一角獣に頬を寄せ……あいつ、いえ彼女は座ってた癖に見下ろすという器用な真似をしてきました。
「タダで助けるわけないじゃない」
「忽那御堂楼の若様が、なんと魔女ごときに命を救われたとあったら……大騒ぎだよな?」
「「黙っていてあげるから、黙っていて」」
君の母親は、君と違って性格がわる……癖が強く、しかしそれを補って有り余る魔女でした。
別に嫌っていないですよ。
互いに弱みを握っている者同士、見張りついでに側に居る事が多くなった。ただそれだけです。
暇だったので陣を習ったり、騎士科のカラー理論を教えたりしていましたけど。
一角獣の方が人格者でしたよ。
フレアとのことを揶揄われて、俺がメイデンと言い合っていると、彼がのそのそ間に入って来るんです。まあまあ、と言わんばかりに。君の性格は父親似なのでしょう。
名前ですか?
……番にしか教えられないのだそうです。
いえ、俺は最後まで彼の言葉が聞けませんでした。フレアは少しだけ。
メイデンも彼からの受け売りで。
「人と神獣はどれだけ愛し合っても“世界が拒絶する”のよ」
その時は、メイデンも彼の名を知りませんでした。
「行け!!」
大騒ぎのアカデミーからフレアとメイデンと彼を逃し、俺が残りました。
騎士団へ、三人は真逆の方に行ったと証言する係です。
事の発端はメイデンが……騎士科の生徒数人に傷つけられました。ええ、そいつらは“退学処分”でしたから、もう居ません。君が会うことも絶対にありません。
それで、一角獣が怒ったんです。
正当な怒りでしたが、加害者の生徒に制裁を加えた事で、彼の存在が明るみになってしまった。
そして討伐対象にされてしまった。
『フレア、あまり時間が稼げなさそうです。何処に居ますか』
メイデンの開発していたワープ陣で国境を越える算段でした。当時は未完成だったので、目に見える近距離に飛ぶまでが限界だったんです。
しかし心話術を飛ばしても返事が来ません。
俺は騎士団を撒いて彼らを追いました。
何故か、向かう先には雷雲が立ち込めていました。他は変哲も無い空なのに。
進むほど強風が吹き荒び、叩きつける雨が視界を覆い、雷が数えきれない程に落ちていました。
道も様子がおかしかった。
比較的新しい建物の壁が崩れていたり、積荷の紐が解けていたりしました。それも彼らが通ったところだけ。
雨でびしょ濡れになりながら走り続けると、人の気配が無い、枯れ木の目立つ郊外へ出ました。
そのあたりでふと雨足が弱まった。
雷も止み、黒い雲の間から陽が差してきたところで、フレアの姿が見えました。
彼女は何かの前でうなだれ、地面に座り込んでいました。
「……千景?」
「フレア、一体どうし、……っ!」
虚な目をした彼女の前にあったのは、真っ赤な血溜まりに重なって伏す、メイデンと彼でした。
既に事切れていました。
二人の身体を、幹と言っても差し支えない枯れ枝が串刺しにしていました。
「………………こういうことだったんだ。
“世界が拒絶する”って」
フレアは徐々に眉根を寄せ、吐き出すように続けました。
「何回も瓦礫の下敷きになりそうになった。雷に打たれそうになった。
最初は、こんな天気だから偶然だと思ったけど違う。
いくら風が強くたって、こんな物がちょうど飛んでくるわけない……!」
唇を噛み涙を流すフレアの元まで、血が流れていました。
どちらのものかわからない程に混ざり合い、かつ、二人分の量でした。
突然、その赤色がぬっ、と膨らみました。
俺とフレアはすぐに距離を取りパレットを構えました。
やがてその膨らみは子ども位の大きさになると、膜が剥がれるように赤色を落としました。
ええ。
そこに居たのが君です。ラスク。
□■□
「そう、だったのか……。
混血って……」
ラスクは俯いて視線を彷徨わせた。
話し始める時、千景は抱き締めていた腕を解き、ラスクの手をやんわり取っていた。
顔が見えるように。何も見逃さないように。
少し間を置いて、千景が口を開いた。
「……伝えるべきか迷っていました。
君は、俺達の迷いを感じてずっと待っていてくれたのでしょう。
彼に似て優しく、メイデンに似て聡い子だ」
千景は再びラスクをそっと抱き寄せた。
「たしかに最初は、友人の忘れ形見でした。
けれど今となっては、我が子のように思っています。
君は生まれてから今まで、これからもずっと、俺達の大切な子です」
千景の言葉が、天井の星達にじんわり吸い込まれていく。
ラスクは、震える腕をゆっくりと千景の背に回した。
「…………ラスは、ずっと大切にしてもらってたんだな。幸せだったんだな。
ありがとう」
千景の肩、ラスクが顔を埋めたあたりが控えめに水気を帯びる。
造り物の星空は彼らをずっと見守っていた。
「千景、そういえばその……二人は亡くなってからどうしたんだ?」
「……亡骸ですか?」
ラスクがこくりと頷く。
「さすがに運べなかったので郊外に埋めました。
記録上は俺が手を下したことになっていますし、研究材料として独り占めしたことになっています」
「またそうやって悪者になる……!」
「……落ち着いたら、会いに行きましょうか」
「! うんっ」