第二十三話
フェリクシアとの国境部、フロール西側の陣地。
マックスの目の前で、人が爆発した。
——見覚えのある女神によって。
「シルヴィア……!」
□■□
『陛下、ペリドット副隊長、報告いたします! 西陣営にてフェリクシアからの襲撃!』
「西ィ……!?」
アクアブレイド隊長兼フロール国王は、伝令の心話術に苦虫を噛み潰した。
ペリーから王へ、伝令には聞こえない心話術が入る。
『陽動だな。西は向こうからしたら不利過ぎる』
『さっさと東に来いってのに』
国王がぼやいた通り、アクアブレイドのツートップは東側でドラゴンに乗って待ち構えていた。
伝令が再び入る。
『にっ人間が爆発したことを確認!』
『……! 詳細はわかるか』
『青く巨大な……女神のようなものが爆発直前に見えました!』
それが何か、二人ともすぐに理解した。
ペリーが再び心話術を飛ばした。
『陽動には違いねえよ。お前に負荷をかけに来てる。
西は山脈のせいで飛べるところが狭い一本道だ。抜けたあたりで陣営もつくらせただろ。迎え撃てるし突破はされねえよ』
いつだって、彼が王を差し置いて伝令へ指示をすることはなかった。
決断を背負うからこその王。
『ああ……こっちが不利な東を、空けるわけにはいかねえ』
独り言のように呟いた王は伝令へ指示を返した。
『伝令、そいつは禁忌陣を用いた人間爆弾だ。感染することはない。
当初の予定通り防衛を。ただし陣営の消耗が激しければすぐに応援を要請しろ』
『承知し……』
最後列にいるはずの伝令の声が、途中で切れた。
□■□
少し時を遡ったフロール西側陣営。
淀んだ曇り空を背に、山間から敵兵が姿を現した。フロールの飛行盤のような、逆円錐の道具に乗っている。
しかし戦闘距離までは進軍せず、一度高度を落としてから急上昇する妙な飛び方をしていた。
——投げ入れる“爆弾”の飛距離を稼ぐために。
運悪く、最後衛まで奴隷の一人が放り投げられてしまった。そこには救護の魔女や伝令が配置され、少数だが任務での戦闘を評された学生も混ざっていた。
マックスもそこに居た。
ほんの数秒だが、彼は投げられた奴隷から目を逸らせなかった。
急速に近づいて大きくなる悲鳴と共に、シルヴィアの呪いが発動する。
「ぁぁぁぁああああああああ!!」
奴隷はひどい身なりだった。
髪は抜け落ち、落ち窪んだ目は瞳孔が開いている。
骨に皮が引っかかったような腕で、わずかな希望を求め虚空を掻いていた。
歯の抜けた口から涎を垂らし、涙と鼻水を撒き散らしながら、今まさに青い女神に命を吹き消されようとしていた。
爆発直前、マックスは横からの衝撃で地面へ突き飛ばされた。さらに爆風で押し転がされる。
誰かの怒号が彼の耳に届いた。
「伝令が負傷! 心話術が繋がってる奴、魔女科をこっちへ回してくれ!」
マックスは急いで身を起こした。
「すみません、僕を庇って……!」
しかし、駆け寄ろうとした彼の上空に影がさす。
先ほどの奴隷と同じような身なりで、同じように絶望した、ただの爆弾とされた人間だった。
シルヴィアの青い光が溢れる直前、その奴隷の頭をカラーが撃ち抜いた。
幸か不幸か、衝撃で亡骸はマックスの真正面ではなく、少し離れた場所へ落下した。
狙撃手は農村任務を共にした、いつ眠っているのかわからない騎士団員だった。飛行盤で飛び回る横顔に、かつての柔和な雰囲気は一切無い。
『学生! 早く陣営に合流しろ、的にされるぞ!』
団員はマックスに心話術で喝を入れ、次々に“爆弾”を撃ち落としていった。
他の飛行盤に乗る団員も同じく撃って回っている。着弾前に処理をすることになったらしい。
マックスは震える足で持ち場へ駆けた。
「無事か学生!」
「は、はい!」
「怪我人の方を頼む!」
共に配置されていた後衛の団員達が前へ出て、防御陣を張りつつ地上から狙撃をしていた。
その後ろ、マックスが元々居た場所では一人の団員と杖を持った魔女が、ズタズタに負傷した伝令を囲んでいた。
「だめ! カラーじゃないから花で治せない。通常陣に切り替えなきゃ」
「カラーじゃない!?」
「風圧と破片……刃物を仕込まれていたみたいね、飛んで来たわ。
ちゃんと反撃して爆発自体は空中で起きたのにこの威力……。
とにかく花呼び無効の攻撃よ」
「そんなズルみてえなことできんのかよ……。
わかった。第二伝令も無事なうちに後衛ラインを下げよう。指揮に心話術飛ばす、」
弾かれたように団員が空を見る。
近づく絶叫で、撃ち漏らしが降ってきていることは全員が把握した。
影は二つ。連射の名手でも厳しい、ほぼ同時。
伝令は瀕死、魔女は杖からの切り替えが間に合わない、団員だけでは手が足りない。
マックスしかいなかった。
彼は咄嗟にパレットを空へ向けた。ほぼ無意識で最も得意な黄色を充填する。光量制御は忘れていた。
なぜかラスクとユマの言葉を思い出していた。
『なるほど。菊っていうかひまわりだったな』
『お、良いネーミング』
光の権化のような、清廉な黄色が放たれる。
そして、がむしゃらな光量は頭を撃ち抜くどころか、奴隷二人をまとめて肩まで吹き飛ばした。
何人も束になって撃ったかのような光だった。
ハッと団員が我に帰る。
彼はマックスへ、自分の若かりし頃よりずっと惨い状況に置かれた学生へ、よくやった、と声をかけようとした。今この場の最高の功績にしてやらなければならないと思った。
しかしその前に、伝令が血まみれの手をどうにか伸ばし、マックスの腕を掴んだ。
「えっ? あ、あの……」
困惑するマックスへ、伝令は息を切らして怒鳴った。
「今のもっ、これからお前ら学生がすることも、全部だ!
俺達のためにやってんだ!
本当はっ守られるはずのお前に、んなことさせたのは俺達だ! 忘れんな!」
マックスは戦場にも関わらず呆けてしまった。
伝令が血に咽せ、魔女は団員の脇を小突く。
「私も同意見よ。
あなた、傷に響くからそれ以上喋らないで。すぐ移動を」
魔女に促された団員が伝令をおぶる。
マックスは、視線が近くなった伝令へ小さく呟いた。
「ありがとうございます。……でも、ちゃんと自分で背負います。
早く終わらせましょう」
伝令は何も答えられなかったが、眉間に皺を寄せ目を細めた。
団員と魔女が走り出す。救護エリアの連絡を心話術で取り合っていた。
マックスは彼らの後に続いた。
落ちている遺体はできるだけ見ないように、先導の背中だけを見ていた。
そんなマックスの足が何かに引っ掛かる。
掴まれていた。
なぜか爆発もしていない、フェリクシアの奴隷だった。倒れていたせいで遺体に紛れていた。
気がついた魔女が振り返る。
「なっ……!?」
「行ってください! あなたがいなければ治せない!」
マックスがパレットを奴隷へ向けた。
「……え」
違和感と不気味さで動きが止まる。
奴隷は笑っていた。喜びなどの感情は感じられない、顔の筋肉が壊れたような笑みだった。
ここからは、マックスが知る由もない話になる。
だらりと出た奴隷の舌には、農村の任務で戦った賊のリーダーと同じ陣が入っていた。
同じく扱いは失敗作。当時は“不足”がありワープせず、さらに実験で廃人になったままこの戦争へ使い回された。
奴隷は、死の恐怖に慄く機能も、痛みを感じる神経も破損していた。
しかし今、マックスからパレットを向けられたことで一瞬その部分が回復する。
奴隷にかけられたシルヴィアの発動条件は恐慌と投擲だった。
女神が姿を現し、その“充分”な光量で舌の陣も発動する。
農村で共にいた団員が、上空からマックスに気づいて叫んだ。
「学生! 撃て!!」
だがマックスの姿はシルヴィアと共に、青い光の中へ消えた。