第二十七話
顔の半分に火傷を負い、それどころではなかった。
だが、聞こえたあの言葉だけは覚えていた。
「騎士は人々を守るために存在している。
そんな私達が、戦争のきっかけを作ってどうする。
この人にとって私達がフロールだ。
それに私は、目の前の人を見捨てたくない」
人として私を扱うのか。
見捨てたくないと、言うのか。
(……私だって)
名も知らぬ騎士よ、終わらせましょう。
貴女が厭う戦争を。
□■□
フロールの城にある隠し部屋で、ユマは引き続き司令室を傍聴していた。
突如、その慌ただしさが一変した。
『先程ありました南での奇襲は、以降沙汰はないよう、で……』
『おい! どうした! あれ……』
『は……? 貴方、何故……』
司令室からの声がバタバタと途絶えていった。
ユマは小窓から目を離してはいない。
(まさかワープ……!? でも探索陣で探したはず)
今や司令室は無音。
ユマはぐっとパレットを持ち直し、空いている手で壁の白い装飾を撫でる。
「……」
そして小部屋を抜け出した。
侵入者を警戒し、物陰に隠れながら進む。
そもそも出入りする人間は限られているが、知り尽くした廊下には誰もいなかった。
(おかしい。ここまで兵もいないなんて)
ようやく人影を見つけたが、護衛の装束が二人、床に伏していた。
彼らがいたのは、姫、の影武者の居室前。
扉は開け放たれていた。
(しまった、狙いは……!)
ユマが駆け寄る。
しかし部屋の中から聞こえてきた声で、慌てて扉の影へ身を隠した。
「グレイス様、これはいったい……」
ユマが様子を窺うと、部屋の奥で影武者が困り果てた顔をしているのが見えた。
手前には、紫の長い髪を束ねた男が、ユマ側へ背を向けて立っていた。
(騎士団長……!?)
頼もしい味方のはずだが、ユマは隠れ続けた。
彼はパレットを手にし、周りには侍女達が倒れていた。
団長が口を開く。
「…………ソヨウ」
「え?」
「本当の名は、蘇葉と申します」
団長だった男は、硬い声で続けた。
「私はフェリクシアの手先です。御身を——御命を頂戴しに参りました」
ユマも影武者も息を呑む。
「グレイス様……」
彼は主君の言葉を遮るように言った。
「元々、私は冬の民です。
季節の力を失い、同時期に滑落事故に遭ってしまいました。
一時的に記憶の喪失と混濁があり、キャラバンへ帰れなかった者です」
影武者が小さく、だから夏が、と溢した。
しかし聞こえていないかのように、蘇葉は捲し立てた。
「救命されたは良いものの、場所がフェリクシアだったので奴隷として収容されておりました。
そこで今の宰相に命ぜられ潜伏していたのです。
騎士団長に抜擢されたのは偶然ですが、いずれにせよ貴女に近づくことは予定されていた。
——何もかもが偽りだった。貴女の側にいたグレイスは、全て」
蘇葉の言葉を最後にシン、と耳鳴りに似た静寂が満ちる。
しかしそれを終わらせたのも彼だった。
「……いや、それは嘘だ。
我が君、貴女をお慕いしております」
影武者が瞳を大きく見開いた。思わず彼の名を口にしそうになり、それが偽りと思い出して途切れる。
蘇葉は彼女の一挙手一投足に期待してしまわないよう、目を伏せパレットを構えた。
「せめて、苦しまぬように……」
「いいのか? 影武者だぞ」
蘇葉がバッと振り返る。あろうことか、彼は背後の気配に全く気がついていなかった。
入り口でユマが、やけに堂々と仁王立ちしていた。そして影武者へ軽く手を振る。
「会うのは初めてだな」
影武者に代わり、眉間に皺を刻んだ蘇葉が答えた。
「……誰だ」
「本物だ、って言ったら?」
ユマがフードを取り、繊細な髪がサラリと靡く。
蘇葉は唖然とし、影武者は両手で口を覆った。
変声陣も切ったユマが明るく言ってのけた。
「姫じゃなければ、別に手にかける必要ないよなっ」
「…………杜撰な揺さぶりだな」
「オイラの話を聞いちゃってるあたり、説得力ないぞ。
影武者だった方が嬉しいんだろ?」
ユマが数歩、ふらふら戯けるように見せかけて影武者に寄る。そして蘇葉を指差した。
「真相はこの首でも持って国王に聞くしかないだろうな。
騎士団長様の裏切りもバレるわけだが」
しかし、蘇葉が平静を取り戻す方が速かった。
「……いいや。きっとお前が教えてくれるだろう?」
躊躇ない一閃。迷いなくユマへ放たれた紫の光。
だが蘇葉とユマの間に突如現れた白い物体が、それを妨げた。
その正体は、壁のあちこちに施されている、植物を模したレリーフだった。城から直接生えた蔦の塊が、無傷で硬い光を返していた。
ユマがその隙に影武者の手を取って走り出す。
別のレリーフが二人のために動き、壁に抜け穴をつくった。さらに硬質の蔦と葉が導くように先へ伸び、通る者を筒状に囲う道を形成していた。
姫たちが飛び込むと、蘇葉が追う前に葉が生い茂り、入り口が閉ざされる。
影武者は手を引かれながら、それを見ていた。
振り返っている彼女にユマが言った。
「そこらじゅうに細かすぎな装飾があっただろう。
王族に伝わる特殊な心話術で動くんだ。悪魔と戦ってたような大昔の技術らしい」
影武者は今度こそ前を向き、水色の後ろ姿へ声をこぼした。
「……ひめ、さま」
「永らくの務めご苦労だった。最後の任務だ。
——生き残れ!」