第二十一話
雅とマックスが帰還してほぼ一日経った夜。
訓練の森のはずれ、マギラワの巣から火柱が上がっていた。地面を四角にくり抜いたようなそこから、森の木々を超える高さだった。
炎は学生に扮していたスパイの私物を燃やしていた。
至って普通のオレンジ色。
特殊なのは、マギラワの巣を焼かないギリギリまで地面に描かれた、入れた物を確実に焼ききる陣だった。状況把握に加えて、この大掛かりな陣が夜遅くまでかかった一因でもある。
また、私物以外の物も次々に放り込まれていた。地方から回収された、ワープ陣の目印がついた物だった。
忙しなく駆け回る騎士団の中に、マックスもいた。
「学生! そっちはもう済んだか!」
「は、はいっ!」
「よし、戻って良い!」
指示を飛ばした騎士団とは別の団員が、そっとマックスへ言った。
「……酷なことしてごめんね」
「いえ……僕はまだ、大丈夫です。雅く……よく知る人が待機命令で、僕しか動けませんでしたし」
マックスが曖昧に笑う。
団員は彼の背中を優しく押して寮へ促し、自分は持ち場へ戻った。
素直にマックスは足を進め、一度だけ火柱を振り返る。
そして寮へ向かおうとした時だった。
居るはずのない赤い装束に、ひっくり返った声を上げた。
「雅くん!?」
マックスは駆け寄ってから、雅の隣に立つ騎士団に気づいた。
農村任務で一緒だった、いつ寝ているのか不明な団員だ。
その団員は、遅すぎる敬礼をするマックスにひらひら手を振った。
「いーよ。君もしんどいでしょ」
「あ、えっと……」
そうこうしているうちに、雅がマックスの傍を抜けて火柱へ向かった。
「え……!? 雅く、」
「いーのいーの」
団員が続けて言った。
「待機命令だけど、俺が見てるからってことで連れてきたの。
どっちがいいか聞いたら——自分でやるって」
そこで初めてマックスは、雅が小手を持っていることに気づいた。
いつもしていた黄色の、古いけれどよく手入れされた小手。それは平時と異なり雅の前腕を覆わず、彼の手に掴まれていた。
マックスは震えた声で、あまり背の変わらない団員を見上げた。
「自分で、って」
「アレ、昔もらった物なんだってね。
……目印は無いけど、一回つけて消した跡はあった。メンテナンスで何回か返していたらしいから、多分その時。
けど探索陣に引っ掛かっちまったし、あの子は今回の重要参考人だ。
だから、やんなきゃいけなくなった。
俺が預かるのも出来るけど……せめてさ、選ばせてあげたいじゃん」
何も答えられず、瞬きもできず、マックスは雅の背中を目で追うだけだった。
雅が火柱の前で足を止める。
目を焼くような橙色と、熱風が彼の身体を舐め上げた。後ろ姿は、マックス達からは立ち尽くしているようにも見えた。
雅が持っていた小手をすっ、と腹の前まで上げた。
先端が焦げてしまいそうな至近距離で、炎は何の感情も無くごうごうと燃えている。
そして雅は、手を離した。
「……俺の任務引き継いでいい? 部屋まで送っておいて」
団員がいい終わる前に、マックスは駆け出していた。
雅の、何もつけていない腕を掴む。
突然のことに振り返った雅は、それがマックスだと知ると、気が抜けたように笑った。
「案ずるな、身を投げたりなどせぬ」
マックスは言葉が出なかった。
彼らがマギラワの巣に背を向け、のろのろと小道に入ろうとした時だった。
火柱の明かりが届き、森の暗さが引き立つそこに、ユマが居た。無言で佇む姿は一見すると亡霊である。特にマックスは小さく飛び上がった。
しかしユマは肩で息をしていて、靴には泥も跳ねていた。口を引き結び、頬は汗ではない光を返している。
それを見とめた二人は足早に寄って行った。
「貴様は赤子か」
「お前が……っ、な、泣かないからっ、ズビッ……代わりに泣いてやってんだ……!!」
「……そうか」
雅の目元が僅かに緩んだ。
「有難う」
□■□
フロール国、王族の城の一室。
部屋と言っても、数十人が雁首を揃えることができる広さである。引っ切り無しに騎士団や臣下がやってきては、会議や指示の声が止まなかった。
ようやく慌ただしさが切れ、およそ一日ぶりに静けさが帰ってくる。
そこへペリーがノックも適当に入室し、踵を鳴らしながら国王へ言った。
「少し休め。寝てねえだろお前」
当の国王は、中央に置かれた長い机に両手をついて立っていた。最も地位のある者へ捧げられる椅子は、しばらく任を全うさせてもらえていない。
王は机上で地形を表す陣を睨んでいた。
「国民に戦わせて自分はぬくぬくしてるなんざ、ゴメンだぜ」
「だから、それだっつーんだよ。ユマのこと言えねえぞ」
ペリーはつかつかと国王へ向かい、有無を言わせぬ剣幕で続けた。
「編成は俺も団長も聞いてる。指揮系統も作戦も固まったし予備策も共有した。
向こうの決行が明日の夜でも、先に囮を寄越して来るかもっつったのお前だろ。
休める時に休まねえでどうする」
そしてペリーは国王の首根っこを掴み、壁際のソファまで引きずった。ちなみにソファは、大の男が横になれるくらいの大きさである。
されるがままに連行される国王が、ぽつりとこぼした。
「…………俺は、悪い王だ」
ペリーは引きずる歩みを止めずに黙っていた。
「戦争を始めちまった。
こっちから吹っかけるのは論外だが、避けられなかったのは王の責任だ。
死ぬなら——」
「バカ言ってんじゃねえ」
ペリーは王をソファへ放り投げて遮った。
「お前じゃなかったらもっと早く始まってた。どうにか冷戦に持ち込んだのはお前だ。
その間に透明のが出てきたり、備えられることも沢山あった。
だがまだ仕事は山積みだ」
半身を起こした国王がぽかんと旧友を見上げる。
ペリーは続けた。
「戦争が終わった後を考えろ。立て直すのも王の仕事だ。
ちゃんと俺達を使え」
勝手なくらい一方的に捲し立てたペリーは、寝ろと言い捨てて踵を返した。
「……敵わねえなあ」
小さくぼやいた王の口元は、緩く上がっていた。
そして、さっさと出て行こうとする背中へ声を投げる。
「死ぬまで俺とロックしてくれるか? ペリー」
「さあ。
死ぬまで呼吸してくれって言われてもな」