第三一話
フロール国、迎賓の間。
季節の民を迎え入れた時と同等か、それ以上の厳戒体制が敷かれていた。
中央には白く細長い台座があり、透明な素材で編まれたような籠が置かれていた。籠の底には柔らかい布が畳まれている。
その横に立つフロールの国王が厳かに宣言した。
「これより、返還の儀を執り行います。
フェリクシア国より、ペラタ国へ真珠の返還を」
迎賓の間には、フロール国王と第一から第三貴族の長、ペラタの長と大臣数名、その護衛達がずらりと並んでいた。
対するフェリクシアの人間は、宰相ただ一人。
彼は恭しく頭を下げた。
「ここに、人魚族の真珠をお返しいたします。
先祖の永らくの非礼、心よりお詫び申し上げます」
そして宰相は籠の中に真珠を置き、数歩後ろへ離れた。
リージュが入れ替わりに進み出てそれを受け取る。
「……確かに」
その真珠はかつて奪われ、当時のフェリクシアの姫君へ埋め込まれたものだった。
——当人の望みではなく。
リージュは涙ぐみながら真珠を胸に抱いた。
「ここに、人魚の真珠は不老不死の能など無いことを明言します。
我々はかけがえのない同胞を失った。
しかし貴国と争うつもりはない。これ以上失ってはならない。
それがあの子への手向け、あの子を救った若者達への誠意」
□■□
返還の儀を終えて、宰相は“お送り”されていた。
実際はフロールの騎士団に囲まれており、護送に等しい。
城の敷地内ということもあり、空気はピリついていた。
直近まで戦争をしていた相手に、丸腰で詫びに行く。そんな矢面に立たされ、宰相の表情筋は無をかたどっていた。
ふと、彼が足を止める。
「……あれは」
城の庭園の片隅に、墓があった。上辺が丸くなっている石が、土に刺さった簡素なもの。そこに刻まれた名前に、宰相は足を止めていた。
彼の問いには、新しく就任した騎士団長が刺々しく答えた。
「“諸事情”で一般墓地へ埋葬できなかった、姫君のご友人のものだ。
今回の戦いで勲功をたてた者達とも親しかった」
「…………そう、ですか」
呟いた宰相は決して微笑んでなどいない。
しかし細められた目は、親が子を見つめるものに似ていた。
□■□
ペラタに近いフロールの国境付近。
空は爽やかな晴天。
見渡す限り広がる草むらに、歩ける程度の舗装をされた道が、幾つにも分岐していた。
しかしどこへ行くにも遠回りになるため、あまり人はいない。
護衛を連れたユマが、いつものフード姿で言った。
「永らくの務め、本当にご苦労だった」
ユマの前には似たような、姿隠しの布を頭にかぶった影武者がいた。
影武者は両手を胸に当て少し膝を折る。
「姫様、皆様。
今までのご恩、決して忘れません。
どうかお元気で」
「助けられたのはこっちだよ。ありがとう。
二人とも達者でな!」
影武者の後ろには、同じく姿隠しを付けた蘇葉がいた。
彼も深々と礼をする。
「温情賜りましたこと、心から御礼申し上げます」
「いーよ。もう何回も聞いた。
だいたい城の人間みーんな寝かせて、殺す気なかっただろ」
ぎくりと肩を揺らした蘇葉に、ユマは笑って続けた。
「それからさ、シルヴィアの発動条件は『宰相を殺そうとした時』だったらしいぞ」
「……あの阿呆」
旅立つ二人は何度も振り返りながら歩みを進めた。
ユマ達の姿が見えなくなった頃、蘇葉は影武者に尋ねた。
「……我が君、本当によろしかったのですか。
私は国外追放の身。二度とフロールへは戻れません」
「ええ。むしろわたくしこそご迷惑では」
「まさか」
即答した蘇葉に少女は浮き足立つように笑う。
「あの場所は姫様のもの。お返しする時が来たのです。
帰る宛も無いわたくしに、居場所をくださいますか?」
彼女につられて蘇葉も頬が緩んだ。
「喜んで、我が君」
蘇葉は影武者の少女へ手を差し伸べて言った。
「まず冬のキャラバンを目指します。
少し長い旅になりますが……我が君、休みながら進みましょう」
彼女は蘇葉の手を取るものの、言いにくそうにモゴモゴとしていた。
「あの、ぐれ、蘇葉様。わたくしはもう姫ではないのですが……」
「ご自分も様付けなさっておられますよ?」
「うう……直らないんですもの」
「私にとってはずっと“我が君”なので。
それに」
蘇葉は、小さな手を彼のもので包む。
「お名前を決めたら教えてくださるでしょう。
初めて貴方を呼ぶのは、私がいい」
□■□
運命の森にある癒しの川辺は、ドラゴンが三体も集っているせいで荘厳な風景となっていた。
程よく柔らかな陽光で赤いドラゴンは爆睡している。
連れてこられた緑の後輩も、のんびりとゴロ寝を楽しんでいた。
「ン? 姐さん、お出かけで?」
居合わせていた、目に傷のある竜が顔を洗っていた。
ふるふると白金の鱗から雫を落とし、彼女が言う。
「あたしまで寝坊助だと思われたくないんでね」
□■□
千景はツカツカと自分の部屋へ向かっていた。
(シルヴィアの解析がこんなにかかると思わなかった何なんだあの古代語まみれの陣はだいたいカラーが自走性や自我性を持つなんて召喚の類だろメイデンが現実的じゃないとかなんとか言ってた気がする資料は何処だったかいや待て枝部分から中央に向かうはずが逆にしたら七体出ました? は? 文字列は逆座で成立しな……いや出来、そうでやっぱり……ん?
頭が回らない)
戦後の立て直しでただでさえ走り回っているというのに、彼はうっかり騎士団長と魔女科教諭と陣の解析班を兼任したせいで、冗談のように忙しかった。
千景はわずかな仮眠を求め自室のドアを蹴り開ける。この状態でワープ陣を制御できる余裕はなかった。
部屋の奥まで進んだ時、ふわり、と彼の視界が暗くなる。
「だっ、だーれだ!」
聞こえたのは、こんなことをしても良いのか、という困惑がありありと滲み出ているラスクの声だった。
しかし、千景にとってそれは大きな問題ではない。
彼の目を覆っているのは、細い指。ラスクでは背丈が足りない。
そして千景の背後なんてものを取れるのは、彼が気を許した人間だけ。さらにこの部屋に出入りする、ラスクではない者など一人しかいない。
「……ふ、ふふ」
いつから、とか。何年ぶりだと思っている、とか。
言いたいことが有りすぎて、千景は笑ってしまった。
それもこの悪戯好きの思う壺なのだろう、と。
千景は振り返り、彼女をとっ捕まえるように抱きしめた。
□■□
ペラタ側のフロール国境付近。
姫が蘇葉と影武者を見送ってしばらく。
護衛の男——雅がもう一人の護衛であるマックスと、ユマを振り返った。
「心話術が来た。帰還して良いそうだ。儀も滞りなく済んだらしい」
「早かったね」
「おーし帰るぞ〜」
見送りは極秘であったため、彼らは徒歩だった。武装はしているが、帰路は長めの散歩である。
マックスはチラリと隣の水色を見やった。
「……あのさ、ユマくんってこれからどうするの?」
「騎士科か? 卒業まで通うぞ。パレードに出てもこの格好なら意外とバレなさそうだしな」
「じゃあ一緒なんだね。よかったあ」
マックスは肩の力が抜けたように、ヘラリと笑った。
つられてユマも口元が綻ぶ。
雅もこっそり安堵し、そして告げた。
「戦争で潰れたカリキュラムの取り返しが待っているぞ」
「あああ言うな言うな!! スケジュールおかしいだろアレ!?」
「結構詰まってるよね……」
「此れも修練だ」
「遠い目してんぞ!?」
「雅くん選択科目取ってるから……」
ユマが両腕を頭の後ろで組んで嘆く。
「うええ楽しみがないと乗り越えられないい〜」
「……終わったら食事でも行くか」
マックスは物珍しそうに雅を見た。
ユマの関心は専らご褒美へ向いていたが。
「その前に一回ほしい。途中休憩みたいな」
「今回ばかりは賛成だ」
「いつも賛成しろよ」
「何だと」
徐々に喧しさを取り戻す仲間に、マックスは目尻を緩ませる。
「いいね。どこにしよっか」
三人は他愛もない話をしながら帰って行った。
そんな彼らを、誰も撃ち落とされていない、青い空が見守っていた。