top of page

第七話


 拝啓、故郷の妹エクセランサ。
 僕は今日、ドラクーン試験です。

 デライトリの森。
 この前の試験よりさらに鬱蒼とした木々が、空を突き刺すように伸びている。生い茂る緑はもはや黒にすら見えた。
 彼方には人が立ち入ることを禁じられた山がそびえ、暗雲が立ちこめていた。
 魔物が出そうなその森は、本当に出る。
 ——そんなものが可愛いくらいの神獣たちが。
 僕は森を呆然と見上げていた。
「ほんとに受けれるんだ……」
 隣にいるユマくんが、相変わらずの快活さで僕の背を叩いた。
「当然だろ! 君はこの前の試験トップだったんだから!」
「実感ないなあ……」
「いい加減自信持て! カラーだって安定して出力できるようになってただろ!?」
「黄色と緑はね……」
 他の色を混ぜると5割くらいだった。
 僕にしては大きな進歩だし、試験のスタートラインには立てたけれど、他の色の組み合わせはまともに撃てないまま。大丈夫かなあ。
 この時、僕らの他にも同期が待機していた。
 なんとなく親しい子同士でやんわり固まっていたけれど、そのランダムな人の集まりが、明確に道を開ける。
 譲られた空間を堂々と歩いて来たのは、雅くんだった。
「はしゃぐな小僧」
「だぁあれが何だってぇええ?」
 ユマくんが高速で雅くんにメンチを切る。フードで顔は隠れているけど。
「そうも飛び跳ねずとも見えている」
「んなこた聞いてねえんだよぉお」
 雅くんがふん、とユマくんを見下ろして言った。
「事実、はしゃいでいる場合ではないだろう。成績上位者のみが選抜されている理由を忘れたか。
 この試験は油断すれば——死を招く」
 雅くんの言葉の直後、手を叩く音が2回響く。
 先生たちが森を背に並び、その中心は千景先生だった。
 そして千景先生の隣にはラスクくんがいた。
(魔女科なのに……? あ、ユニコーンと契約してるからか)
 ラスクくんは子どもながらに神妙な面持ちだった。
 こちらに気付いてもらえたら手を振りたかったけれど、なぜか僕は千景先生に睨まれた。
(目をつけられている……!)
 千景先生は一つ咳払いをした。
「さて、いよいよドラクーン試験です」
 皆で静まり先生の説明を聞く。
「今更ですが、ドラゴンと契約関係を築き上げた者をドラクーンと言います。
 飛行は円盤や箒でも済みますが、わざわざドラゴンと契約するメリットはその戦闘力の高さ。
 業火の息吹、鋼鉄の鱗、空を切る神速。
 他国にもドラクーンはいますが、渡り合えるのはもちろんドラクーンだけです。君たち騎士科にとっては、出世にも直結するでしょう。
 ドラゴン側にもメリットがあるようで、この時期には人間を選びに森まで降りて来ています。
 つまり——我々も選ばれる側です」
 僕ら生徒に緊張が走る。
 先生が続けた。
「君たちは前回の試験でその受験資格を得ました。
 浮かれた者がいなくて安心しています。
 受験資格とは名ばかり。即死はしないだろう、というだけの評価です」
 一瞬、千景先生が僕に目だけ向けた。特にお前はなあ……、と視線が隠しもせず言っていた。
 しれっと先生は続ける。
「この森は運命の森とも呼ばれています。
 魔女科の占いや予測機でも及ばない、何かが君たちを導きます。
 関門は二つ。
 まずはここで、ドラゴンに巡り合えるか。
 そして契約ができるか。
 彼らはこちらの言葉を話せますから、契約は対話でもいいし、物理的に屈服させてもいい。
 ドラゴン側の屈服は人を上に乗せること。
 逆に人間が膝をついたらこちらが屈服したと見なされ、契約はできません。
 目を合わせれば、始まります。そして契約しない限り獲物と見なされる。
 忘れないように」
 そこで千景先生は言葉を切り、他の先生たちを見回した。
 特に補足は無いようで、ラスクくんも首を横に振る。
 千景先生がああ、と思い出したように言った。
「関門はもう一つありましたね。
 食い殺されずに済むか。
 最悪の場合は逃げること。
 ドラクーンになれなくても、君たちはパレットを扱える貴重な人材。
 緊急時は上空へ光を放ってください。生きて帰ることも大事な任務です。
 ……無事を祈ります。
 では、それぞれ自分のタイミングで森へ入ってください」


 □■□


 マックスは永遠に深呼吸をし続けていたので、ユマと雅は先に森へ入ることにした。
 その直前でユマは仕方なさそうに、物言いたげな雅を見上げた。
「なんだよ」
「……引き際を見誤るなよ」
 いつもの軽口で突っかかるような風だが、雅が何を指しているか、ユマは悟る。
 雅を助けるため最初に一人残ったからこそ、“頼み”を念押しされた。
 ユマはフードを被り直すようにやや俯いた。
 彼の思いも理解できたが、それゆえに声が小さくなってしまった。
「オイラは、どうしても……」
「? 何だ?」
 幸か不幸か、その呟きは雅の耳に届かなかった。
 ユマはパッと顔を上げる。
「お前こそ変なのにとっ捕まるなよって言ったんだ」
「無論。アーモンドにも釘を刺されている」
「あれ? そういえばあいついないの?」
「ああ。珍しく漏れた。聞く限り運が悪かったな」


 □■□


 僕はあまりに緊張しすぎて、一番最後に森へ入った。
 先生たちの、特に千景先生の「こいつ早く行けよ」という眼差しが痛かった。
 この前から完全に目をつけられた気がする。
 ただ、数歩進めばそんなことが吹っ飛ぶほど、森は美しかった。
 鬱蒼としているのに、そこらに浮かんでいる何かの胞子がふんわりと光り、至る所に咲く色とりどりの花を照らしていた。濃密に生い茂る葉の緑も、明るさで重く感じない。
(綺麗……エックスにも見せてやりたいな。いや、こんなとこ連れて来れないけど)
 なんて、一人で笑いをこぼした。
 夢で、絵本に出て来た森を見ているような感覚だった。
 葉が擦れる音はマギラワだろうか。兎の尻尾のようなものも見えた気がする。小動物も棲んでいるのかもしれない。
 緊張がほぐれて来た僕は、素敵な絵本のページを捲るような気分で歩みを早くした。
 蓋のような枝葉をくぐると、ドラゴン。
(目が合っちゃったー!!!)
 心臓と悲鳴が口から出るところだった。
 白に近い金色の鱗に、それよりは濃い金色の立派な角。
 僕とユマくんと雅くんと……アーモンドくんも乗せても余裕で飛べそうな体躯。
 どう考えても騎士団長レベルのツワモノが挑むドラゴンが、おそらく休んでいたのだろう、伏せてこちらをぎょろりと睨んでいた。
 トカゲに似た瞳孔はこちらを一点に見つめている。
 もう僕は足音すらも立てられなかった。息も止めていた。
 でもドラゴンは微動だにしなかった。
(あれ……もしかして見えてない?)
 白金のドラゴンには、両目を横断するような傷跡があった。体も、苔が覆っているところがある。
(もしかして弱っている?)
 その時、ドラゴンが口を開いた。
「小僧」
「うわああ!?」
「私の気が変わらないうちに去るがいい」
「え?」
 ドラゴンはそのままの体勢で言った。
「ドラクーン試験なのだろう。私は別の人間と契約済みだ」
 そして白金のドラゴンは目を瞑った。
 見逃してもらえるとわかって、僕の身体から力が抜ける。そろりと後ずさろうとした。
 けれどなぜか、ドラゴンの傷跡が気になって足を止めてしまった。苔が生えるほど臥せっていることも。
 足を止めた僕を不審に思ったのか、ドラゴンが薄目を開ける。
「なんだ、小僧」
「……あの、だ、大丈夫ですか?」
 瞬間、僕の真横の枝が燃えた。誇張ではなく2秒で燃え尽きた。
 その炎を吹いたドラゴンが、のっそりと身を起こす。
 想像の300倍は荘厳だった。
「はて…………今、何と言ったのかな?」
「す、すいませんでしたああ!」
 ぜんっぜん現役だった。
 僕は今度こそ全速力で逃げた。


 □■□


「ふん……」
 マックスが逃げた後、白金のドラゴンはまた寝そべった。そして誰に言うでもなくぽつりとこぼす。
「お人好しは嫌いだよ」
 契約はその人間が死ななければ破棄はされない。
 もとより、ドラゴンは他と契約する気もなかった。
 マックスを見逃したのは契約主に似ていたから——魂のスペクトルも、選ぶ言葉も。
 待ち続けて十年。
 ドラゴンにとっては大した時間ではない。
 けれど懐かしくて、再び目を閉じた。


 □■□


 さっきとは打って変わって、生き物がいないような静かな森。
 僕は一人、肩で息をしていた。
 かつてない速さで駆け抜けたので、肺と耳が痛い。
(危なかったー! あれを屈服とか無理じゃないかな!?
 もう少し人懐っこいというか穏やかなドラゴンとか……)
 僕の視界を真っ赤な鱗が横切る。
 真紅のドラゴンが天へ、静寂を引き裂く咆哮を轟かせた。
(いないのかなー!?)
 悲鳴をあげなかった自分を褒めたい。
 幸いドラゴンは何かと交戦中で、多分僕に気づいていなかった。
 逃げようとした時、ドラゴンが追っていた水色に気づく。
 僕は大きな声を出してしまった。
「ユマくん!?」
 ドラゴンと戦っていたのはまさかの相手だった。
 ユマくんはボロボロだった。フードはかぶっていたけれど、目に見えて泥だらけで、裾も焦げていた。
 僕に気づいたユマくんは、何か言おうとしたのか、口を動かす。
 けれど声にする力も残っていなかったようで、小さな身体は糸が切れたように倒れかけた。
(まずい……!)
 あのまま倒れたら膝をついてしまう。
 僕は滑り込むようにユマくんを受け止めた。その勢いのまま、ドラゴンの真正面から抜ける。
「ユマくん! しっかりして……!」
 抱え直した拍子にフードが脱げ——水色の長い髪が、さらりとこぼれ落ちた。
「……ユマ“くん”?」
 僕の腕で気絶しているのは、どこからどう見ても女の子だった。
 フードで隠れる耳の下あたりに陣もある。
(声を変えていた……性別を隠していた?)
 疑問符を飛ばすけれど、そんな悠長な場合ではなかった。
 お腹に響く低い声が笑った。
「ほお、まだ食いごたえがありそうなのが釣れやがった」
 僕はハッとして、赤いドラゴンに向き合う。つい目を合わせてしまいそうになり、横目で睨む変な体勢になった。
「彼氏ぃ」
「えっ、違います」
「そいつを置いて行きなあ。
 見逃してやろうと思ったのに、オレサマの鱗にケリを入れやがった」
「!?」
「許すわけにゃいかねえ」
 よく見たらドラゴンの赤い鱗にも、ところどころダメージが残っていた。
 ユマ——くんはフードをかぶっていたし、事故で目があったとは考えにくい。
(無謀なことはしない性格だと思うけど……逃げ切れなかったのか?
 それとも——逃げなかった?)
 その直後、真っ赤なドラゴンの尾が振り下ろされる。
 僕はユマくんを抱えたまま、ギリギリで避けた。というか転びながら逃げた。
 鞭のようにしなやかに振るわれた尾は、轟音と共に地面を抉っていた。
「森に入るにゃ、ちぃと早かったようだなあ。
 見た所お前さんの方はまだマシみたいだから、他のドラゴンにでも当たってみなあ」
 まだ、このドラゴンは本気を出していない。僕を見逃すつもりだった。
 けれどユマくんを、獲物を連れ去るなら話は別になるだろう。逃げ切れる自信もない。
(ここが森でよかった)
 僕は、ユマくんを丈夫そうな木に寄りかからせ、前に立った。
 ドラゴンが不機嫌そうに低く鳴く。
「……おいおい、心中かあ?」
 そして僕はドラゴンと——目を合わせた。
「勝負しましょう」

bottom of page