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第一話


 “パレット”。
 絵の具を乗せる方ではない。
 選ばれた者が触れれば、光線を放つ不思議な鉱石。

 案の定、人類はそれを戦争に使っていた。


 □■□


 空が見えないほどの密林。
 湿った大気の中を、僕は全力で走り抜けていた。
(殺される……!)
 浅く速い呼吸が喉を焼き、心臓の鼓動にすら痛むよう。
 背後に音はまだしない。
(どこかに隠れなきゃ!)
 その瞬間、僕は後ろから吹っ飛ばされた。
 自分が走っていた勢いと合わさり、僕は何度も弾みながら地面を転がった。ゴーグルをしていたのは不幸中の幸いかもしれない。
 ようやく仰向けに止まった僕は、泥だらけで目を回していた。
 そして首を、何かで圧迫される。
「うぐっ……!」
 僕の首元に押し付けられていたのは、片手で足りる大きさの、白くて薄い長方形——パレットだった。軽く握った拳の、人差し指と中指の間に挟んで使う。
 パレットを持つ手に沿って視線を上げれば、真っ赤な髪の男が僕に馬乗りになっていた。
 橙色の瞳はキツくつり上がっていて、プライドが高いことが一目でわかる。勝気が服を着て歩いているような若い男だった。彼は僕を見下ろし、鼻で笑った。
「どうした。もう終い(しまい)か?」
 反撃しようにも、僕は肘も踏まれていて動かせなかった。
 もがくほど押さえつける力は強くなる。
 すっ、と男から薄ら笑いが消え、飽きたような、軽蔑したような顔になった。
「惰弱が」
 吐き捨てた彼の手元、つまり僕の首のあたりで、赤い光が炎のように燃え上がる。
 光はあっという間に白いパレットを染め上げ、“カラー”として先端から放たれようとしていた。
(こんなゼロ距離で撃たれたら……!)
 その時、脳に直接声が響いた。
『訓練そこまで。各自集合せよ』
 僕の首から圧迫感と光が消える。
 赤い髪の彼——同期の雅くんは、僕のお腹を踏んで立ち上がった。
 潰れた悲鳴が出る。
「ぐえっ!」
 雅くんは気にした様子もなく、手のひらでパレットをくるりと回した。
「ふん、命拾いしたな。尤も、これが“本番”だったなら貴様は疾うに朽ちていた」
 言い捨てた彼は僕に背を向け、さっさと集合場所へ向かってしまった。
 腰まである髪が後ろで一つに束ねられていて、毛先が金色のそれは尻尾のように靡いていた。
 一人残された僕の呟きが、訓練の森に溶ける。
「わざわざ踏まなくたっていいじゃないか……」

 ここは騎士団養成校。通称アカデミー。
 国を守るために、大切な人を守るために、強くなるための学校だ。


 □■□


 拝啓、故郷のお母さん。
 僕のわがままで、騎士団の訓練校に通わせてくれてありがとう。
 あなたの長男は元気にやっています。


(今日もボコボコですけど……!)
 僕は、雅くんからだいぶ遅れて集合場所へ戻った。
 訓練場の森を抜け、芝生をざくざく進む。
 空を支える柱のような針葉樹に、負けじとそびえ立つ石造りの城。
 要塞だった名残で迷路のように入り組むその建物が、由緒正しきアカデミーの校舎だった。
(最近は迷わなくなったなあ)
 そして僕の訓練着はみんなから食らったカラーと、普通に投げ技を食らったりカラーの余波で吹っ飛ばされたり、諸々の負傷でぐちゃぐちゃだった。初年度でもないのに、ここまで汚れているのは僕だけだった。
 校舎前では先生と同期が集まっていた。彼らは聞き慣れたセリフで賑わっていた。
「また雅がトップかよ!」
「すげー! 一人でほとんど倒しちまってる!」
「俺もやられた!」
「自慢になるかよ!」
 その中心には、うんざり顔の雅くんがいた。いつものことながら無視を決め込んでいる。
 一言くらい返事をしてもいいのに。
 その時、偶然雅くんの橙の瞳がこちらへ向いた。
 注目の的が注目したせいで、みんなまで僕を見やる。
 先生が僕の惨状に溜息をついた。
「マキシマム。療養室へ行きなさい」
「はい……」
 僕はそそくさと、みんなの脇を抜ける。
 すれ違いざまに誰かが言った。
「どんくせーな、“ミニマム”」
 それを皮切りに、雅くんを持て囃していた声がヒソヒソと僕へ向けられる。
「本名なんだっけ」
「マキシマムだよ。すっげえ名前負け」
「演習でゴーレムに捕まってなかった?」
「背がデカいからいい的」
「ははは」
 残念ながら、それにも聞き慣れてしまっていた。
 僕は聞こえないフリをして療養室へ向かった。


 □■□


 療養室は、訓練で怪我人が多いせいか、学校で一番広い。
 図書館のように棚が何列も並べられ、通路と間仕切りを兼ねていた。
 棚には本ではなく、花瓶や鉢・プランターが余すところなく置かれている。それを覆い尽くさんばかりに、色とりどりの花たちが咲き誇っていた。
 カラーで負った怪我は、同じく色でしか治せない。
 ここは、植物から色を分けてもらい療養する部屋だった。
 鮮やかな色彩と緑が溢れる中、僕はどんよりしていた。
(名前……全力を尽くし最大の望みを得られるように、ってお爺ちゃんにつけてもらったのに……。不甲斐なくてごめんなさい。でも全力は尽くしています。結果が出ていないだけで)
 最後の、考えるんじゃなかった。なんだか悲しくなってきた。
 僕は療養者用の椅子にメソメソと座る。
 椅子は、卵を斜めにスプーンでくり抜いたような、継ぎ目のない揺り籠状だった。高さもあって、僕も頭まですっぽり収まる。陣で宙に浮くそれは、籠(カゴ)と呼ばれていた。
 軽く床を蹴ると、籠は僕を乗せたまま、水平に通路を流れた。空中を滑るような移動は、怪我に響かないのでありがたかった。
 適当なところで籠を止め、僕はじっと身を預ける。
 目の前にあった黄色い花が白くなっていった。
 呼応するように、僕の訓練着にあった紫色のカラーが消えていく。
 倣うように他の花からも橙、青、桃色、と色が抜けていった。葉からも少しだけ緑が薄まっていた。
 こうやって、植物から反対色をわけてもらい、カラーの傷を治していく。
 ただし。
(うう……やっぱり雅くんの攻撃が全然治らない……)
 お腹に残る赤がじんじんと痛んだ。
 食らったカラーの光度によっては、一回わけてもらうだけでは足りないことがある。
 というか、雅くんのカラーは純度がものすごく高い赤なので、いつもこうだ。
 赤の反対色は本来緑。
 でも緑は植物にとっても大事な葉の色なので、あまり譲ってもらえない。
 なので、青い花で地道に治していくしかなかった。
 ちなみに植物は人間よりずっと強いので、しばらくすれば色は回復する。
(青い花まだあるかな……)
 色ごとにエリアが決まっているわけではないので、目当ての花は探さなければならない。
 僕は再び床を蹴り、すいすいと、色彩豊かな通路を籠で流れた。
(……才能ないのかなあ)
 それは、ほんの一瞬よぎっただけなのに、並々と注いだコーヒーをこぼしたように広がる。
 頭の中が塗りつぶされ、みぞおちに鉛が沈んだように身体が重くなり、目から涙が押し出された。
 推進力を生む足も止まり、籠はゆっくりと勢いをなくしていった。
 やがてその場に漂う。
(だめだ、弱気になってる)
 神様は僕のことなんて見てないかもしれない。
 無駄になるかも。
 報われないかも。
(振り返った時に、無意味だったなって——)
 僕は自分の両頬を思いっきり叩いた。
 パァン! と良い音が響く。
(ああもうそれこそ意味のない考えだ!
 たしかに物事に意味なんてないかもしれないけれど!)
 一人、ぶんぶんと大きく頭を振った。
(過去を活かすのは今の自分!
 今に意味をつけるのは未来の自分!
 だから今の僕は、できることを精一杯やらなきゃ)
 ふん、と鼻息荒く床を蹴る。
「うわっ!?」
「痛っ!?」
 その時、籠が何かにぶつかった。
 衝撃で赤色の傷にビリついた痛みが走る。
 前屈みになったついでに横を見ると、別の籠から同じように人が顔を出していた。
 僕の不注意だ。
「ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
「ああ、オイラこそすまない」
 なぜかその人は、訓練着ではなく制服だった。
(うちの学年……じゃないかも?)
 見かけたことがない、というか水色のフードを目深にかぶっていたから、顔はわからない。比較的小柄で、足がちょっと浮いていた。
 アカデミーの制服は性別問わず共通で、式典にも着ていけるようにカッチリしている。首元までダブルのボタンで留めるデザインで、その下に一枚着れるのは結構痩せていないとキツい。
 フードをかぶったオイラさんは棚を指差した。
「君も青?」
 その先に、青い花が大輪を咲かせていた。ただ、一輪しかなく、僕の傷だけで終わってしまうだろう。
 オイラさんの傷の程度はわからなかったけれど、僕は両手を振った。
「あ、えっと、大丈夫です。僕のはすぐ治るから、どうぞ」
 僕は移動しようとしたその時、籠が急ブレーキをかけられた。
 つんのめった振動が傷口に響く。
「いったたたたた!?」
「あっ、ごめん!」
 フードさんが僕の籠を思いっきり掴んでいた。紫色のグローブをした両手は、やっぱり小さい。
 引き止められた僕は、思わず涙目になっていた。
「な、なに……!?」
「オイラは平気だ! 君こそ、そんな重傷なんだから使ってくれ!」
 そう言うと、オイラさんはさっさと籠を滑らせ別の通路へ行ってしまった。
(……今、ちょっと傷開いたかも)

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