ハナズオウ

 花言葉:高貴 疑惑 エゴイズム


「処分して、スマイル」
「……簡単に言ってくれるな、ナルコ」
 ナルコに突き飛ばされた私は、先ほどようやく瓦礫から抜け出したところだった。
 咄嗟だったせいで手加減されていないクチナシの打撃は、生身の人間には堪える。折ったのか打ったのか、右腕に力が入らなかった。
 だが、そうしなければ私は、他でもない彼女に食い殺されていた。
 悪魔との激闘で崩壊した建物。人間は一人残らず避難させ、悪魔も封印した。居るのは私達と静寂のみ。
 それを背景に彼女——ナルコは宙へ浮いていた。誰にも襲い掛からないよう、黒の糸(フィラム)で彼女自身を縛っていた。その黒い糸の先は、建物の残骸に繋がっていた。
 ナルコの真っ直ぐな純白の髪が、肩から一束さらりと落ちる。その滑らかさは粉塵にまみれても清廉さを失うことはなかった。彼女の妹を思い出す、そっくりな青紫の目が光っていた。
 私が服の埃を払うと、ナルコは濡れた瞳を細くした。
「ごめんね」
 微笑みながら、必死に食人衝動を抑えているのだろう。
 私は左手で銀の銃を構えた。利き手とは逆で、銃の照準が合わない、などという可愛げは私に無かった。有れば良かった、と思わないと言えば嘘になる。
 だが、彼女を苦しみから早く解放できるならば、私は後で嘆き惜しめばいい。
 狂いなくぴったりと照準を合わせ、生涯使いたくなかった呪文を唱えた。
「Solfla ma libero 陽の元へ解き放て」
 私の足元から迸る二本の赤が、黒の糸(フィラム)ごと彼女を縛り上げる。
 肉の焦げる臭いが鼻と喉を刺し、銃口の先で燃え上がる炎は目を眩まそうとする。
 しかし顔を背けることは、誰よりも私自身が一寸たりとも許さなかった。
 身体を焼かれている彼女が、色濃くなっていく炎の中で、静かに笑っていた。
 私は引き金を引いた。


 □■□


 男はソファの上で目を覚ました。いつの間にか身体を横たえていた。細身だが背が高いため、足は肘掛から飛び出していた。
 直前まで見ていたのは、悪夢であって欲しかったと何度も願った現実。
 そのせいで、元から不機嫌そうな顔は、さらに歪められていた。紺色の硬い髪はぐしゃぐしゃで、丸いフレームの眼鏡もかけっぱなしだった。かろうじてジャケットは脱いでいて、上は白のワイシャツだった。
 最悪の寝起きに右腕の鈍痛が追い打ちをかける。傷を残していった彼女が責めているように感じた。
 彼がふと見やったローデスクの上には、小さな字でびっしりと埋まる書類が積まれていた。
 そこで男はようやく任務で辺境の町を訪れていたことを思い出す。柔らかい照明のせいか、宿でうたた寝をしてしまったことは計算外だった。
 そんな男の脳へ直接、少年の声が届く。
『スマイル、起きたの? ベッドで寝ればよかったのに』
 寝ていた彼を、こげ茶色の髪をした子どもが覗き込んだ。ボルドーの瞳は年相応にくりっとして愛らしい。首から下げている小瓶が、部屋のやんわりとした照明で薄く光っていた。そのすぐ横で、百合を模した銀のブローチも輝く。辛子色のワイシャツに、ベージュのベストとハーフ丈のパンツがよく似合っていた。死んでから初めて着たとは誰も思わないだろう。
 少年はリリアという、新米のクチナシだった。元々感情の起伏が少ない子どもだったが、さらにその年齢で死を経験し、たった一人でガーデニアへ連行されて来た。
 そして最も接点の多いレインは、“スマイル”なんて愛称を盛大に裏切る極悪な人相。リリー班は、つい最近まで会話が無かった。
 返事の代わりに、スマイルことスマイラックスが身体を起こす。その時、彼は自分にかけられていた毛布に気付いた。
「これは……」
『あ、伝令が来てるよ』
 リリアが、パタパタと窓辺に駆け寄った。
 彼が宿の窓を開けると、涼しい風と青い鳥が小さな掌へそっと降り立った。
 伝令は特殊な紙を用いている。鶴という鳥に模して折り、相手まで飛ばしていた。青はガーデニアからの色だった。
 新米のリリアは、まだ慣れないそれを開くとき密かに胸を高鳴らせる。良い報せばかりではないと知っていても。
『スマイル』
「どうした、リリア」
 片手で窓を閉めながら、リリアが淡々と読み上げる。ガーデニアへ入って日の浅い彼は、名前と人物が一致していなかった。彼にとって、スマイラックスの旧知はただの文字の羅列でしかなかった。
『トレスリーって街で、カメリアのツバキって人が殉職したって。そのクチナシも暴走して大ダメージ。街が半壊したけど、悪魔との内通者がいたから街の方から謝って来たみたい。
 クチナシはルビー班が回収して、夏の民と一緒にガーデニアに戻ってる、だって』
「……そうだろうな。他には?」
 スマイラックスの紺色の瞳が一瞬だけ揺れる。しかし本人は素知らぬ風で続きを促した。
『引き続きイリダ班の捜索とヴィーアの退魔』
 その時、スマイラックスは眉を下げるリリアに気付いた。
 兄弟同然の幼馴染みを持つ少年には、捜索任務の方が他人事と思えなかった。
 スマイラックスはリリアに、イリダ班のレインと自分は孤児で、同じ師に育てられたとは説明している。だが、悪魔に師を殺されてガーデニアへ入ったとまでは言っていなかった。
「心配するな。そう簡単にくたばるような奴ではない」
 励まし無用と言わんばかりの気丈な言葉に、リリアが小さく頷いた。
 スマイラックスは眼鏡のブリッヂを押し上げて上着を羽織った。
 レインもクチナシも、班のブローチを着けていれば基本的に服装は自由である。
 しかしスマイラックスは必ず葬儀用の黒い背広を着ていた。胸元に銀百合のブローチが光っていた。
「この町、ヴィーアの悪魔は目撃情報がほぼない。前に話した通りしらみつぶしに……」
 ちょうどその時、彼の言葉に被ってドアがノックされた。
 こういった“外部”への対応は基本的にレインが行っている。
 しかし、今回に限ってスマイラックスは無視を決め込み、書類をケースへ突っ込んだ。元々少ない持ち物が大雑把に詰め込まれ、代わりに彼の愛器が右手に握られる。
 リリアは不思議そうな顔をするも、スマイラックスに倣って身構えた。
「ノックをする程度の躾はされているようだが……今は夜中の二時だ。
 ホテルマンにしては無礼過ぎるだろう」
 扉が控えめな音を立てて開かれる。
 そこでは幼い少女が眠そうな目を擦っていた。瞳には涙がいっぱいに溜まり、今にも泣き出しそうだった。
「ママぁ……どこ……? こわいよう……」
 スマイラックスは優しく、嘘くさい微笑みを向けた。
「可哀相に。これをあげよう」
 彼の手から銀色の球体が一つ転がり落ち、直後に弾けた。
 強烈な光が視界を白く塗り潰す。
「悪魔も真っ青になって逃げ出す“飴”だ。お気に召したかな」
 部屋の前では、黒い砂と泥が混ざったようなものが床を汚していた。
 リリアは一息ついた。新米の彼でも、さすがにこの悪魔が再生する前にはとどめを刺せる。
 しかしスマイラックスは彼の油断を嗜めた。
「まだだ」
 姿勢を変えず、スマイラックスは窓へ銀の玉を飛ばした。
「……喧嘩を売られているらしいな」
 彼は再び眼鏡のブリッヂを、中指で少し上げた。
 ガラス越しに赤い髪の男が逆さ吊りになっていた。皮膚は溶け、窓を割ろうとしていたのか腕が振りかぶったまま止まっている。モノクルの下で輝く青い瞳は歪み、馬鹿にしたようないやらしい表情を浮かべていた。
 ぶら下がっていた悪魔はそのまま落ちた。当然、致命傷だからではない。
 スマイラックスはその窓に足をかけた。
「それの始末は任せる。終わり次第こちらへ来い。
 できるな?」
 スマイラックスの声は疑問符をつけたわりに確信していた。リリアが頷くと、彼は赤髪の悪魔を追って窓から飛び降りた。
 リリアの目がボルドーの光を帯びた。


 馬のような速度で駆けながら、赤い髪の悪魔がぼやいた。モノクルの下で光る青眼はにやにやと弧を描いている。
「おやおや」
 悪魔の背後では追っ手の足音はよどみなく、小さくなる気配もない。
 やや小さめの広場に出ると、悪魔は枯れた噴水の頂点へひょいと乗った。
「足くらい挫いた方が可愛げがあります、よ……って」
 軽口を叩いている間に、スマイラックスはとっくに悪魔に追いついていた。
 ぎょっとする悪魔に金属の鈍色が迫る。慌てて悪魔は噴水から飛び降りて避けた。
「ちょっとちょっと、人間ですか!?」
 スマイラックスは並走するかのように、あっという間に接近してみせた。得物で右から打撃を叩き込む。
 悪魔は腕でガードしたが、それは間違いだった。
「ぐぅっ……!」
 衝撃と同時に閃光が走る。
 ただの打撃ならなんてことはない。だが太陽光を纏ったそれは、悪魔的な屈強さを揺るがした。
 右腕を打った金属が、スマイラックスの顔の横からもう一度振りかぶられる。
 しかし左下からも同じ、くすんだ銀色が振り上げられていた。
 右で気を引き左で闇討ちをさせても良し。左に気づいて対処を逡巡し、動きが鈍るも良し。性格の悪さが滲み出ている攻撃だった。
 選択を迫られた悪魔は、もう一度右腕を犠牲にし後ろへ跳んだ。
「“あたくし”は見たことありませんねえ……」
 距離を取ったことで、悪魔はようやくスマイラックスの獲物を視認できた。
 構える彼の手には、左右一本ずつ銀の棒が握られていた。それぞれの先端に鎖がついており、同じような棒がぶら下がっている。いわゆるヌンチャクだった。
 リーチがあれば電撃を使う悪魔の方に分があるだろう。
 しかし、接近戦に特化した武器をスマイラックスの俊足が補う。
 両者の距離があっという間に詰められた。
 ヌンチャクの鎖の付け根に軽く触れている指が、遠心力を生み出す。その回転数は爆発的に上がり、左右バラバラの軌道を描いて目測を誤らせた。
 さらに持ち手の位置をズラすことでリーチを伸ばし、紙一重を避けたつもりの悪魔に打撃を見舞う。そうかと思えば、肉を斬らせるつもりで掴もうとした悪魔の腕を、フェイントとして嘲笑うように素通りした。
 凡人が持てばただ振り回すだけの棒だろう。
 しかし、スマイラックスの計算と技術によりヌンチャクは凶悪な武器へと変貌していた。
 まともに横っ腹を強打された悪魔は、たまらず街灯の上へ避難した。
「おハヤイことで」
 悪魔はどこか遠くを見ながら忌ま忌ましげに吐き捨てると、建物の屋根へ飛び移った。そして姿を眩ませた。
 スマイラックスは、手負いの悪魔が消えた方向へ走った。
「逃がすか」
 彼は静まり返った住宅地を駆け抜けた。
(あの角を左……)
 路地を抜けるその時、ぶつかりかねないタイミングで右から影が現れた。
 新手を予期したスマイラックスはヌンチャクを一回して、止めてしまった。
 彼の前に現れた男は、跳ねた緑色の髪に白衣を着ていた。眠たげなイエローの瞳と四角いフレームの眼鏡、難しい論文でも読んでいるかのように下がった口角。
 見覚えの有り過ぎる男に、スマイラックスは思わず声を上げた。
「……サティバ!?」
「サティヴァだと何回も言って……スマイル!?」
 スマイラックスと同じように瞳を丸くしたのはイリダ班のレイン、サティバだった。彼も赤髪の悪魔を追っていたのか武器を携えている。
「生きていたのか……!」
 スマイラックスはほんの僅かに口元を緩ませた。付き合いが長くても判別が難しい程、かすかに。
 彼はすぐいつもの仏頂面に戻ると、淡々と続けた。
「貴様らを探していたんだ。半月前から伝令が途絶えていると行方不明扱いになっている」
「は?」
「そのためにうちが派遣されたんだ」
「待て、ガーデニアとは連絡を取っているぞ」
 プライドの高いサティバにしては珍しい困惑顔だった。
 疑問符を飛ばす彼らの頭上に稲光が走る。路地からは見えない屋根の上で、誰かが悪魔と戦っていた。
「アヤメか?」
 スマイラックスの出した名前は、イリダ班のクチナシのことだった。
「ああ。しばらく見失うことはない。スマイル、ナルコは?」
「…………処分した」
 サティバが声を発する前に、二人の前へ赤髪の悪魔が舞い降りる。
 丸いフレームの眼鏡の奥、スマイラックスの目が鋭さを増した。
「サティバ、話はアレを退治してからだ」
「そうだな……ああ、いいや」
 なぜかスマイラックスのすぐ後ろへ、アヤメも着地した。
 そして彼が振り向くより速く、その背中に衝撃が走る。電撃で筋肉が指示を受け付けなくなり、スマイラックスの身体は崩れ落ちた。
 サティバが眼鏡のブリッジを押し上げた。
「紅茶の準備をしてからだ」
 彼の胸元に銀色のブローチはなかった。
 暗転する直前、スマイラックスの視界に青紫の光が映った。


 □■□


 初めて会った時、極悪と自覚のある目付きに怯えられた。

 ——よ、よろしくおねがいします……ス、スマイラックスさん。

 顔面蒼白でナルコの影に隠れていたアヤメを、私は引きずり出して稽古へ連れて行った。毎度のように泣かれていた。
 それから何がどう転んだのかはわからない。
 相変わらず人を盾にしていた彼女の頬は、いつの間にか薄く色づいていた。
 そのせいか、一通り稽古を終えてイリダ班配属が決定した時、彼女はどこか落ち込んでいた。
 不用意にすべきではなかったかもしれないが、私は彼女の頭を撫でた。

 ——貴様のレインになる奴は私の幼馴染みだ。誰か一人を推薦しろと言われたら、迷わずあいつを選ぶだろう。だから……その、安心しろ。

 歯切れの悪い私が珍しかったのか、彼女はきょとんとしてしまった。それから、はにかんで、綻ぶような笑みを浮かべた。
 任務に旅立つ日にも、彼女は同じように、はにかんでいた。

 ——あ、あのね、スマイル……次に会ったら、伝えたいことがあるの。

(そうだ。笑っていてくれ)
 朦朧とする意識の中、昔の記憶についさっきの映像が重なる。
 あどけなかったアヤメはあれから比べると少し大人びていた。だが泣きそうな顔は、気を失う一瞬でもわかるくらいにそのままだった。
 輪郭もナルコによく似ていた。
(…………待て)
 急に胸が冷える感覚に襲われ、意識が鮮明になっていく。
(クチナシは成長しない)


 □■□


 スマイラックスはソファの上で目を覚ました。心臓が早鐘を打っていた。
 状況を確認しようとするが、まず口と四肢の不快感に顔を歪めた。それは猿轡と手錠、足枷によるものだった。ご丁寧にミトンらしきもので指先は覆われている。下肢は、木の板に足首を突っ込んだようなもので歩行が出来ない。
 眼鏡も外されており視界が当てにならなかった。
 だが、心地よく身体を支えるクッション、眩し過ぎない照明、芳しい紅茶の香り。自分の囚人のような恰好が浮いていることはよくわかった。
(これはあいつが好んでいた……)
 そしてスマイラックスは、漂うダージリンに覚えがあった。小さな頃に師が淹れ、こだわりのない彼も誘われるまま、よく飲んでいた種類だった。
「スマイル、おはよう。苦しくはないか?」
 身じろぎに気が付いたのか、スマイラックスの視界では白に乗った緑にしか見えない——サティバがソファを覗き込んだ。
「手荒な真似を許してくれ」
 焦点が合おうと合わなかろうと、紺色の瞳は鋭利さを失わない。
 サティバはそれを宥めるように片手をひらりと振った。
「こうでもしなければ、お前は聞きもしない話だ。
 ああ、眼鏡かけるか? 邪魔かと思って」
 サティバに眼鏡をかけられスマイラックスの視界がはっきりした。そうは言っても猿轡は嵌められたままだが。
 白衣を翻したサティバは、ローテーブルを挟んだ向かいのソファへ腰掛ける。そこにはカップが二人分置かれていた。
「まず心配させたことを詫びよう。ガーデニアにも極秘でずっと調べていたんだ。
 クチナシとして蘇る条件を」
 足を組むと、サティバはカップとソーサーを持ち上げた。香りを味わう彼の眼鏡が曇り、イエローの瞳を隠す。
「杭と悪魔だ」
 怪訝を隠しもせず、スマイラックスの眉間に皺が寄った。
 サティバが続けた。
「杭が確認されていた町はクチナシの保護率が若干高い。
 逆に、クチナシの故郷にはほぼ杭があった。だが大きさと影響力に比例関係は見出せなかった。
 そこで次の鍵となるのが“どんな悪魔に食われたか”だ」
 サティバはダージリンを一口啜った。
「悪魔にもヒエラルキーがあるのは知っているか? 異形や人格の持ち越しではないぞ。
 東西南北の果てそれぞれにボスが君臨し、世界の杭の大元を管理……というか縄張りの拠点にしているらしい。
 全ての悪魔は、その四人のうちの誰かから生まれたり、食われたりしてできている。原初の悪魔とも言い換えられるな」
 カップを置く行儀の良い音が、やけに響く。
 曇りの晴れた眼鏡の奥で、黄色の瞳が爛々としていた。
「まあこれは古参の奴から聞いただけだし、どうでもいい。
 問題はその四大悪魔に直接食われた人間は、半分以上が自我を持ち越していることだ。数字としては破格だぞ」
 サティバは組んでいた足を解き、膝に頬杖をついた。
「そして、人格を持ち越した悪魔はほとんどが大元の杭の側で殺されていた。
 つまり四大悪魔に大元の杭付近で殺されれば、ほぼ自我を持ち越せる」
 今までじっとしていたスマイラックスが、体幹を駆使して起き上がった。ローテーブルに足がぶつかり、カップの琥珀色が揺れる。彼は自分が妙な汗をかいていることに気付いた。それでも、剥き出しのナイフのような眼差しを弱めなかった。
 サティバは喉を鳴らした。
「ああ、なぜそんな方法を調査したのか言い忘れたな。
 クチナシが食人欲求を起こすのは一度切り。それを越えれば完全な“生命体”となる。
 その後は栄養……他の生物を摂取する必要がなくなる」
 サティバはどこか恍惚と言葉を紡いだ。
「共に蘇ろう、スマイル。そして先生を探そう」
 スマイラックスは鈍器で殴られたような衝撃と目眩を覚えた。
 あれだけ憎み、同胞の屍を踏みつけてでも討とうとしているのに。そんなものに成り下がろうなどと、なぜ口走れる。
 猿轡を咥えさせられたままでは、罵ることもできなかった。
 次第にこみ上げる憤怒と絶望に似た感情で、スマイラックスの身体は震えた。拘束具の下で拳を固く握りしめる。
 カップが彼と共鳴するように揺れていた。
「協力者の悪魔がもうすぐ戻る。そうしたらそいつの杭へ……ん?」
 不自然さにサティバが声を切った時、テーブルだけでなく照明までもが小刻みに鳴り始めた。
 やがてその音はけたたましくなり、部屋自体が震動に襲われた。
 ポルターガイストを疑う暇も無く、壁に亀裂が走り大きな穴が空く。
 その先には、ボルドーの瞳に光を携えた少年がいた。彼の胸元で銀色の百合が輝いていた。
 サティバは驚愕し、スマイラックスに施した猿轡を見る。
「いつクチナシの解除を……!?」
 呪文を唱えさせないための猿轡だった。
 隙を突いて、スマイラックスは足枷を思い切りローテーブルへぶつけた。
 彼の足を阻んでいた板は砕け、カップは落下して割れる。
 リリアが先導するように走り出す。
「スマイル、こっち!」
 スマイラックスは木片を散らかしながら彼へ続いた。
 暗い廊下へ消える二人を、サティバも追おうと立ち上がる。
 一瞬の無音。
「ぐっ……!」
 直後、内臓にまで轟く爆音がサティバを襲った。苦悶の声すらも掻き消す、激流のような衝撃波だった。
 ソファへ押し戻された彼の耳には、ビリビリとした感触だけが残る。バランス器官はしばらく使い物になりそうもなかった。完全に目が回っていた。
 当然、足音など聞こえなくなっていた。
 サティバは額を手で覆い、長い溜め息をついてソファに沈んだ。
 そんな彼の肩を何かが控えめに叩く。
「……なんだ、アヤメ」
 青紫に光る瞳。肩まである同じ色の髪は、まるで俯くために伸ばされたよう。自信など生まれてから——死して蘇ってさえ一度も持ったことのない、見るからに消極的な少女。そんな彼女がさらに眉を下げ、何かを話していた。
 サティバの耳はまともに機能していないが、口の動きだけでも彼女の意図はほぼ通じた。
「ああ、いい。お前だけで行っても処分されるだけだ」
 処分というワードにアヤメの身が竦む。
 サティバは独り言のようにこぼした。
「こういう時は不便だな」
 アヤメは、口を動かしていた。クチナシであるにも関わらず、声を出していた。
 彼女はもう心話術が使えなくなっていた。