シオン

 花言葉:追憶 ごきげんよう 君を忘れない


 追い込まれた人間は、予想以上の行動力を発揮するらしい。
 エリオットが大時計の停止を伝えると、管理局は大慌てで向かい、迅速な対応を見せてくれた。おかげで、時計が止まったのは三十分程度。技術的には二十五年分の修理だったそうだ。今回のことをふまえ、管理局は時計台の増設を提案することになったらしい。
 一方、火葬場となった広場はまだ元には戻っていない。


 アンカリアとエリオットは宿の一室にいた。
 ソファに座る彼女の頬は、煉瓦色の髪に負けないほど赤くなり、意志の強い瞳は潤んでいる。
 彼女のタイツは足元まで落ち、スカートは限界まで捲られていた。
 その前で膝をつくエリオットは、彼女の腿に淡々と包帯を巻いていた。
「これでいいだろう。痕にもならずに済みそうだな。
 ……どうした、痛むか?」
 彼の銀色の目が心配そうにアンカリアを見上げる。
「も、もういいっ?」
 涙が一杯に溜まった彼女の瞳はエリオットから逸らされ、声はひっくり返っていた。彼が有無を言わさず、この体勢にしたせいでアンカリアは真っ赤になっていた。
 だが元凶の彼は無情にも、そんなことか、と気の抜けた返事をした。
「ああ。安心しろ見ようとも思わな……悪かった」
 かつてない顔で睨まれたエリオットは降参のポーズを取る。そして衣服を直す彼女に背を向けた。
「包帯の替えも置いておく。こっちが普通ので、こっちが痛み止めの術がかかっている方だ。間違えるなよ」
 彼なりの紳士的な対応である。着終わったであろう頃に振り返った。
「……悪かったって」
 だが次に見たアンカリアは、全身で威嚇する子猫のようだった。謝罪というより宥める彼へ、アンカリアがキャンキャン吠えた。
「ガーデニアにも町にもそんな粗暴なお医者様いなかったわ!」
「そりゃオレは医者じゃねえからな。目指してたってだけで。
 歩けそうならあいつら呼んで来てくれ」
「かしこまりました!」
 鼻息荒く部屋を出て行った彼女の足取りにふらつきは無い。
(大丈夫そうだな。
 あーあ、これじゃあ絶対忘れるだろ)
 エリオットは彼女のケースへ勝手に包帯を突っ込んだ。


 □■□


 伝令
 ルビー班:季節の民が進路を変更。セコンより北の森を抜け、その先の集落で落ち合うように。
 ローザ班:保護したクチナシとプラナスの検査で一時帰還せよ。

「忘れ物はない?」
 アンカリアが尋ねると、クチナシとなる少年、リリアは首を横に振った。彼の口は真っ直ぐ引き結ばれ、駄々を捏ねることもなかった。
 一行が宿を出ると、ガーデニアの馬車と宿から拝借した馬が、待ってましたと蹄を鳴らす。馬はアンカリアとカズラ、馬車はガーデニアに帰還する三人のためのものだった。
 その側には、首や腕に包帯を巻いた銀髪の少年、コーネリアスが立っていた。
「リリア!」
 瞳を丸くして、リリアは無音で口をぱくぱくさせる。
 駆け寄ったコーネリアスは、リリアのこげ茶の髪をくしゃくしゃと両手で撫でた。それは、彼らの間でいつも行われていたおまじないだった。
「いいか! お前が先だけど、おれも必ずガーデニアへ行く! おれがいなくっても泣くなよ! いじめられたらやりかえせ!」
 コーネリアスの強気な声は震え、銀色の瞳は潤んでいた。しかし兄貴分の矜持がそれを留めていた。
 リリアは静かに、年相応に泣きじゃくっては何度も頷いた。
 その光景に、プラナスとエリオットは鮮明な既視感を覚える。二人は顔を見合わせ、口元を緩めた。
 エリオットは、諸々が自分と酷似している少年の肩を軽く叩いた。
「また会えるさ」
 その言葉に、子ども達は互いを目に焼き付けて笑い合った。
 ゆっくり、ゆっくりとコーネリアスはリリアから手を離す。触れられるなら髪の毛一本だけでも名残惜しかった。みっともなく泣き叫んでしまいそうだった。
 プラナスが小さなクチナシ候補をそっと馬車へ促す。翡翠の瞳は優しく垂れているが、憂いてはいなかった。今日の約束がどれだけ心を支えてくれるか、よく知っていた。
 リリアが静かに馬車に乗り込んだ。
 コーネリアスはアンカリア達の方へ向き、歯をにかっと出した。食いしばりすぎて奥歯が痛んだ。
「そっくり兄ちゃん、リリアをいじめんなよ! スカートの姉ちゃん達も頼むよ!」
「みんな優しい人達ばかりだから大丈夫よ。安心してね。
 スカートってなんのこと……っきゃああああ! どこ触ってるのカズラ!」
 話の途中にも関わらず、カズラがアンカリアを馬へ跨がらせる。彼女は乗馬ができないので必然的に二人乗りだった。
 羞恥で騒ぐアンカリアと、しれっと自分も馬に乗るカズラに、コーネリアスは本当に笑ってしまった。つい溢れた涙が一筋だけ頬を伝った。
 アンカリアを無視してカズラが馬を駆る。馬車も、プラナスが御者になり走り出した。
 馬車の窓にリリアが貼付いた。頬を濡らし、唇はつり上がることも下がることもできず、がたがたな輪郭で横に広がっていた。
 コーネリアスは、彼らが見えなくなるまで手を振っていた。
「またな、リリア! またな!」
 蹄の音が町の喧噪に消えると、それまで気丈に振る舞っていたコーネリアスは、大粒の涙をバラバラとこぼして鼻をすすった。下を向いても、強張った口から嗚咽が漏れる。彼は一人、乱暴に腕で顔を拭った。


 □■□


 夜は縫い留められているが、真昼間の限られた時間のみ、分厚い布を透かした程度の太陽光が漏れていた。
 僅かな日光を求め、木々は今でもなお懸命に枝葉を伸ばしている。生い茂る緑とは言い難いが、人の手が及ばない土地では、針葉樹が暗い森をつくっていた。
 その合間を、長年の往来で培われた獣道が縦横無尽に走っている。よほど夜目が効くか、地理に詳しい人間か、動物でもない限り見つけられないが。
 そんな密林の中、雑草や鋭い枝を折り、カズラ達を乗せた駿馬が風を切っていた。
 手綱を引くカズラは延々と続く同じような景色にも、一瞬たりとも迷わなかった。
 アンカリアの耳はごうごうと過ぎ去る音で塞がれていた。ローザ班とはセコンを出てすぐに別れている。
 彼女は、落ちないようカズラの前にされたものの、横乗りという選択肢を初めから与えられなかった。よってマントの中とはいえ、気を抜くと腿まで黒いタイツが露になってしまう。誰が見るわけでもないが、ただでさえ包帯でごわついているそこが、気になって仕方なかった。
 また、トレードマークのベレー帽も飛ばないように荷物に入れてある。それも落ち着かない要因だった。
 身体と同じく温かくないカズラの声が彼女に届く。
『さっきからごそごそ、なにしてるの』
 脳髄を直に刺激する甘い声と諸々の事情で、アンカリアの頬は組んだ当初のように熱くなった。
「ほ、ほとんどカズラのせいよ!」
『全然聞こえない』
『なんでもないわよ!』
『うるさい。
 眠いなら寄りかかっていい』
 気遣いが的外れな彼に、アンカリアは遠慮なく、いっそ勢いをつけて身を預けた。重いだの危ないだの跳ねっ返りを予想して。
 しかしカズラは何も言わず、彼女を支えるために細い腰へ片腕をまわした。
 面食らったアンカリアが彼を仰ぎ見れば今度こそ、危ないと叱られた。
(いつもそうだわ。この人は、わたしを“叱る”)
 カズラのつっけんどんに突き放す言い方は、よくよく咀嚼すれば結果的にアンカリアのためとも考えられなくはない。彼女はたいていその前に落ち込むが。

 ——やっぱり合ってるんだよ。嫌な奴とずっと組めるほど、カズラは器用じゃないよ。 

 自惚れの可能性も否定できないが、確証もなかった。アンカリアは少しだけ顔を上げ、カズラを盗み見る。
『ねえ。一番長かったレインって、どんな人?』
『…………忘れたよ』

 そう答えたカズラの脳裏で、快活な女性が太陽のように微笑んでいた。
 頼んでもいないのに、娘がいかに愛らしいか、彼女はしょっちゅう自慢をしてきた。プレゼント選びに付き合わされたこともある。
 その女性の夫は、なぜ結ばれたのか不思議なくらい冴えない男だった。
 しかし素朴なわりに芯が強く、どんな窮地でも決して諦めない、と聞かされた。もちろん、恥ずかしそうに頬を掻いた本人からではない。
 カズラはその二人のレインが好きだった。二人も彼を愛していたし、ガーデニアの住人を家族と言い切っていた。
 そして彼らの訃報を嘆く少女が————。

『カズラ!』
 彼はアンカリアの声でハッとした。
 目の前には、薄闇に点々とする火と、形の崩れた家屋、四肢を投げ出す物体達。血肉が焦げる臭いも鼻を刺す。
 馬を止めると、カズラは顔を顰めて降りた。
『……悪魔か』
 アンカリアも彼に倣おうとするが、半ば落馬していた。カズラが素っ気なく手を貸したおかげで負傷せずに済んだが。
「Gambir iubeo Ramulus 鼓動を解け」
 少女の声で空気が大げさに震える。森を抜けてすぐの村は、襲撃を受けて時間が経っているのか、異様に静かだった。
 黒い大剣を片手にしたカズラが遺体の側へ膝をつく。残り火のわずかな灯りでも無残とわかる損傷具合だった。
 その時、今まで賢く従順だった馬が耳をピクリとさせ、嘶きながら頭を振った。アンカリアが綱を引いても無視して村の入り口へ後退していく。
「ちょっと、どうしたの? こら、ああ!」
 彼女の全力も空しく、馬は目の前に大口を開けた肉食獣が居たかのように、一心不乱で森へ引き返してしまった。
 アンカリアの手には、表皮のずる剥けた傷がだけが残った。
「行っちゃった……どうしよう、カズラ」
 彼は裾を払って立つと辺りを見回した。
「銃を構えて。
 これは人間同士が争ったものだ。悪魔にやられたなら、死体の破損はこの程度じゃ済まない。
 季節の民が来る前に安全を確認しないと……もう風が温かくなってきている」
 カズラの中に暑さの警鐘感覚が鳴り始める程度には、気温が上がっていた。悪魔的な彼の耳には賑やかな鈴の音も聞こえ始めている。
 それらは夏の民が近づいている証拠だった。
 二人は、といってもほとんどカズラだが、性急に生き残りや伏兵を調べた。
 屍は首に手形がくっきりついていたり、日常で使う小刀が刺さっていたり、戦争というよりは激化した諍いのようだった。無傷に見えた赤子は骨が折れて痩せ細っていた。
 調べ終える頃には、アンカリアの耳にも祭り囃子が届いていた。立ち尽くす彼女に、カズラはほぼ命令の声をかける。
「行くよ」
「……この人達って誰にも弔われないの?」
 死んだ村で、残り火だけが弱々しく揺れていた。
「勝手に土に還る。俺達がやっている暇はない」
 でも、とアンカリアが言う前にカズラは畳み掛けた。彼にとって、優しさが行き過ぎて甘い彼女の思考は、手に取るように明らかだった。
「火葬をしている時に季節の民が襲撃を受けたらどうするの。間に合わなければもちろん、途中で葬送を投げ出すのだって死者への冒涜だ。
 自分の体力も考えることだね。昨日あの規模で使ったばかりだろ」
「…………はい」
 いつの間にか、カズラの隣で笑みを貼付ける男がいた。
「相も変わらず手厳しいお人やねえ、カズラ」
 馴染みのないやんわりとした訛りだった。
 アンカリアは幽霊然と登場した男に飛び上がる。
(お、陰陽師……!? 初めて見た、じゃなかった! 誰!?)
 カズラの瞳も丸くなったが、直後にすっと細められた。
「いつから居た、サイコ」
 睨まれた男、サイコは変わった身なりをしていた。
 上から被ってサイドで留める、淡い紫の外套——狩衣という衣装に、裾が絞られたニッカーボッカーのような物を履いている。被っている帽子は黒くて背の高い、つばの無いものだった。
 ゆったりした服装に反し、本人の顔立ちは厳粛だった。常磐色の細く吊り上がった目と、高い位置でひっつめられた紫の髪がストイックな印象だった。
 しかしどうも人をおちょくった、カズラの嫌がりそうな雰囲気が隠せていなかった。
 カズラより背が高く、年齢も、経験値的な意味でも上なのだろう。彼から虫けらを見るような目を向けられても、まるで気にしていなかった。
 サイコはひらひらと、たおやかに手を振った。
「たった今やから、そないな顔なさらんといて。
 そちらのお嬢さんはお初? 驚かせてすまへんな。悪魔じゃあらへんよ」
 サイコはそう言うとアンカリアへ軽く頭を下げた。
 ハッとした彼女も慌てて会釈を返すが、柔らかすぎる物腰になんとなく気を許せなかった。
「ガーデニア所属、ルビー班レイン、アンカリアと申します」
「アンカリア。綺麗な名前やね。
 御島一派頭首、御島 柴胡(ミシマ サイコ)いいます。呼び捨ててもろてかまへんよ。どうぞよしなに」
 アンカリアは思わずあっと声をあげてしまいそうになった。
 本郷から季節の民を護衛し導く一族、御島一派。
 独特の衣装と訛りを持つ彼らは季節を運べないが、ガーデニアとは別の技術、呪文で悪魔を退けることができた。封印こそ出来ずとも、彼らの戦力はレイン以上で、ベテランならばクチナシにも及ぶと言われている。
 事実、ルビー班が到着するまで悪魔から民を守りきっていた。
 その頭首サイコは、誰かに似ている少女を見つめ考え込んでいた。
「んー? んん?」
「えっと……何か?」
 しばらく彼女を居心地の悪さに晒し、サイコは品の良い口を開いた。
「……もしかしてやけどサルビアの娘はん?」
「えっ、はい! 母をご存知なんですか?」
 久しぶりに孫と会った老人のように、サイコの切れ長の目は弧を描いた。
「もちろん、もちろん。護衛は彼女の班がほとんどやったね。仲良くしてもらってたんよ。
 小さい頃やけど、君ともガーデニアで会うてるわ。大きくなったなあ」
 懐かしむ彼に、アンカリアの胸のわだかまりはあっさりと溶けた。
 代わりにカズラの苛立ちが募ってしまったが。
「キャラバンはどうしたの」
 カズラは露骨にサイコの前を横切った。実際のところ、暖かい風の方向からわかっている質問でもあった。
「向こうにおるよ。いつもこの村の方は出迎えてくれるんやけど、今日に限ってないゆうてたから様子見に来たんよ。
 案の定やったけど」
 村を見渡したサイコは、最後だけ声のトーンを落とした。
 カズラは返事もせず、背を向けたままずんずん進み、アンカリアは眉を下げた。
 それを見たサイコが切り替えるように明るく言った。
「こちらは、近くの集落にお願いしときましょ。ぼくらが長居すると良くない」
 彼は地面に着きそうな幅広の袖から、一枚の正方形の紙を取り出した。
 御島一派には、“式神”という術がある。
 特殊な紙を用いるもので、ガーデニアの伝令も御島から技術譲渡されたものだった。
 サイコの手が紙をくるくる遊ばせると、あっという間に鶴が出来上がる。それはアンカリア達が伝令に使っているものと同じだった。
 折り鶴は彼にそっと宙へ押し上げられると、自我を持つかのように羽ばたいていった。
 藤色の鳥を見送った時、むっとした熱気がアンカリア達を襲った。
「サイコ!」
 カズラが向かっていた方から、青年が駆けて来ていた。褐色のがっしりとした体格に燃えるような真っ赤な髪。夏の民の衣装を纏った彼は、無防備にもカズラを素通りする。その姿に大型犬を重ねたのは、アンカリアだけではない。
「全然戻ってこないから心配したぜ! っていうか、ここなんか臭くねえか?」
「御輿から離れるな、何度言わさはるんです?」
 のんびりとした口調のサイコは犬、ではなく青年の脳天へ鋭い手刀をくらわせた。
 お仕置きをくらった彼は揺れる頭を両手で支える。しかし結局、容赦のない痛みにしゃがみ込んでしまった。
「いってえええ!」
「戻りましょ。お二人もご一緒に」
 サイコはうずくまる青年の首根っこを掴んだ。


 □■□


 季節の民のキャラバンは、御輿の担ぎ手、笛や太鼓の奏者、休憩兼見張り、用心棒の御島一派で構成されている。大部分は楽器隊で占められ、その中には合の手を入れるだけの役もある。それらを交代で持ち回っていた。
 そして御輿とは、季節の民の象徴だった。数人は入りそうな大きな箱に、太陽のような黄金色の絢爛な装飾が施されていた。奉るだけの物なので中身は空だが。
 森を抜け、御輿を中心に置いた野営地は、夏の民が集っているだけあって暖かいを通り越して暑かった。至るところに灯されている、彼らが用いる紙のランタン——提灯や灯籠ですら熱源に思えてしまう。
 民の男は前開きの民族衣装を腰まで降ろした上裸だった。女は服の前を閉じているが幅広の袖を縛ったり、裾を捲ったりしていた。
 寝る以外は、至る所に敷かれたラグで仲間と過ごすことが、民の習わしだった。
 アンカリアもマントを脱いで腰を降ろし、止まない笑い声と囃子の音にまどろんでいた。累々と転がる死体など無かったと、悪魔などいないと錯覚してしまいそうだった。
 彼女の隣に、サイコの鉄拳を受けた青年が座っていた。
「じゃあアンは俺と同じくらいの歳なのか。立派なもんだぜ、あれだけ難しい呪文を何個も憶えるんだろ?」
 人懐っこい彼は、茴香(ウイキョウ)といった。彼はアンカリアの話に金の瞳を爛々とさせていた。
「最初は大変だったけど、意外と規則性もあるし。使ってると勝手に頭に入っちゃうよ」
「すっげえなあ。
 なんだっけ、物を動かす呪文とかあるんだろ? 便利そうだけど、その分先に頭使ってんだろうな」
「よく知ってるね」
「ん、まあ……」
 金の御輿を越えた夜空の向こうに思いをはせて、茴香の頬が緩む。
 アンカリアはそれを見逃さず、悪い表情で覗き込んだ。
「恋人?」
「ばっ、ちげえよ! そんなんじゃなくて、幼馴染みだし……」
 茴香の顔が髪に負けないくらい紅潮した。
 そんな彼の様子に、アンカリアはニヤける口を隠しもしなかった。
「どんな子?」
「普通だ、普通! 冷やかしやがって……」
「教えてよ。きっと可愛いんだろうなあ」
「可愛いっつーか……まあ、そうだな、それなりに」
「それなり?」
「おっまえ! いい加減にしろよ!」
 迫力の欠ける彼に、アンカリアはいよいよ声を出して笑ってしまった。
「ふふ、ごめん。ごめんってば。
 幼馴染みってことはここに居るの?」
「悪いと思ってねーだろ。
 あいつは冬の民だから、俺たちとは全然バラバラに巡っているんだ」
「それって……会えるの?」
「いいや。季節を運ぶ力が無くなって本郷(くに)へ帰るまでは、多分」
 ぬるい風が慰めるように二人を撫でた。
 民がキャラバンを外れることができるのは、季節を運べなくなった時のみ。しかし、その時期は個人差が甚だしく、一生涯旅を続けざるを得ない者もいた。
 茴香が急に静まった隣を見やれば、肩を落とすアンカリアがいた。
「なんでお前が落ち込んでんだよ」
 彼女の深い瞳はここではない場所を見つめていた。
「会えないのって、寂しいじゃない」
 茴香はなんとなくにその姿に危うさを感じた。寄り添うを過ぎて、本人より深みに沈んでしまう種類の不安定さ。
 彼はどうにか引き上げようと、あまり使わない頭を回転させた。
「そうだな。
 でも式神でやりとりはしている。あいつのことが少しもわからないわけじゃない。
 ……最近途絶えてるけど」
「怒らせたの? 色気無いとか言われたら、気分次第では返さないかも……」
「言ってねーよ!」
 アンカリアはちゃっかり調子を戻していた。
(なんだよ心配させやがって)
 茴香は喉の奥へ押し込んだ。
 そんな彼の気も知らず彼女は続きを催促すらした。
「なにしちゃったの?」
「俺が聞きたい。
 あいつがしきたりにうんざりしてる、って書いてあったから、しょうがねえよなとか返したんだよ。それがまずかったのか、以来パッタリだ」
「……多分、茴香君が思いもよらないところが原因だったりすると思う。わたしの経験だけど」
 今度は彼が意地の悪い笑みを浮かべた。
「カズラさん?
 自分こそどうなんだよ。あんな男から見ても綺麗な人とずっと居たら、なあ?」
「そんなんじゃないわよ! 別にカズラは……」
『俺がどうしたの』
 アンカリアがそういった玩具のように飛び上がった。
 いつの間にか彼女の背後で、噂の美貌が仏頂面で見下ろしていた。
「カ、カズラ! びっくりしたじゃない」
『ずいぶん楽しそうだね。お邪魔だったかな』
「からかわないでよ、もう!」
『業務連絡をしに来ただけだよ。特に横の彼に関係ある』
 横の彼、茴香は、一方的に話し続けるアンカリアと口を開きもしないカズラに首を傾げていた。
「なんで言ってることわかるんだ?」
「あ。これも教わるの。
 それよりキャラバンとはぐれていた、白芷(ビャクシ)って子が見つかったって」
 茴香は目を限界まで円にした。そして食らいつくようにアンカリアの肩を両手でわし掴んだ。
「ビャクが!? あいつ、はぐれていたのか!?」
 アンカリアは噛み付かんばかりの彼に、若干身体を仰け反らせた。そのままカズラを見上げるが、助けは期待していない。追加情報が淡々と彼女の脳へ送られた。
「そうみたい。今、向こうのテントに……」
 聞くが否や、茴香は弾かれたように走っていった。
 アンカリアの指差したテントから少女が丁度出て来る。遠目にはぶつかったとしか思えない勢いで、茴香は白芷を抱き締めた。
 彼の褐色の背中に、細く消えそうな腕がおそるおそるまわされた。
『で?』
「え?」
 入れ替わりで、カズラが茴香の居たラグへ座り込んだ。彼は重い外套を脇に投げ、黒い長袖を捲っていた。暑さの警鐘感覚に実害は無くとも、鳴り続けるそれは煩わしかった。
『俺の話してたんじゃないの』
 落ち着いたブラウンの瞳が、きょとんとする少女とかち合う。
「ああ……えっと、ガールズトーク?」
『明らかにボーイだけど』
「うっ。えーと、うん」
『……まあ構わないけど』
 興味がないのか何かを察したのか、カズラはそれ以上追求しなかった。目線を外す直前に、まだ痛むであろう腿をちらりと見やる。アンカリアには気付かれないように。
 抱き合う茴香達を、カズラは他人事然と、アンカリアはもっと感情の乗った微笑みで眺めた。
 談笑の声と松明の燃える音が、緩やかに流れる。
『したいの? ああいうこと』
 思いつきのカズラの言葉が、アンカリアを茹で上げた。
 彼女は首が外れそうな速度で彼を振り返る。
 しかしカズラは彼女に見向きもせず涼しい顔だった。
「ああいうこと? って……その、いつかそういう人と、なら……自然にしたくなるん、じゃ、ない?」
 平静を取り戻そうと彼女は視線を落とすが、右手も左手もそわそわとアテにならない。
 カズラは彼女を観察するように、ひっそりと目だけを向けた。
『エリオットとか?』
「えっ!? うーん……」
 アンカリアの耳と頬は熱を持ち、彼女の両手は激しく絡み合っていた。
 彼女の空想にて。年齢を重ね随分男らしくなったエリオットの声が、アンカリアの耳元で彼女の名を囁く。いつの間にか大きくなった、骨張った手が煉瓦色の髪を撫でて——。
「なんか違う」
 想像を膨らませるにつれ、アンカリアの頭は冷えていった。
 彼女は揃えた膝を立てそこに頬杖をつく。
 嫌でも目に入るはずの茴香達はどこかへ行き、御輿がぽつんと輝いていた。
「エリオットは好きだけど、そういう関係にはならないわ。
 わたし達のことだから、きっとなによりも使命を選ぶもの」
 レインは一人前になる時に使命という名の誓い・信条をたてる。それは過酷な任務の中で、精神が折れることを防ぐための支えだった。
『……ふーん』
 カズラは気の無い返事をしたが、彼女の横顔を盗み見たままだった。