朝一番の仕事は、“私”の片付けから始まる。

 

 

(太ったかしら)

 心なしか握りづらいし重い。

 ずりずりと引きずる音が道をえぐる。毎日のその習慣のせいで、裏庭から続く林には、道のようなものが出来ていた。

 私が掴んでいるのは、私の足首。

 振り返れば、仰向けで腕と髪をバンザイしている私がいるだろう。あまり見ないようにしている。うつ伏せにした日には、顔面が悲惨なことになるのは経験済みだ。

(やっとついた)

 快晴の空に負けない青の海。波が岬にぶつかる音が穏やかに響く。

「よっ、こい、しょっ」

 リズムをつけて、私は私を投げ込んだ。

 海は、四肢を投げ出したそれを静かに呑み込んだ。

 

 

 ある日、突然のことだった。

 目覚めると私の横に私が死んでいた。

 最初こそ戸惑った。

 記憶もあるし、私が私であることは間違いない。けれど横たわるそれも間違いなく私だった。おそるおそる触れた皮膚は冷たく、上下するはずの胸は微動だにしない。

 そして寝る直前に切った指の傷まで見つけた時、疑うことをやめた。

 

 

 今は一人で辺境のこの家に暮らしている。

 友人はいる。町にも買い出しに行く。

 ただこの病のようなものを他言できたことは無い。

 

 □■□

 

 岬で私を見送っていると、焦げ臭さが鼻をくすぐった。

(まただ)

 海を挟んだお隣の岸にも木々が茂っている。

 この数日、遠くはないそこから煙が上がっていた。

(一瞬、山火事かと思ったけど。毎日毎日、何を焼いているのかしら)

 なんとなくそのまま岬に腰を下ろす。今日の私は重かったから、疲れたんだ。

 ふらふら揺れる煙を眺めていると、向こうの林から、籠を抱えた男の子が出てきた。彼はスタスタ歩く勢いをそのままに、海へ足を突っ込む。

(……まさか自殺?)

 あまりに勢い良く突き進むから驚いたが、膝まで浸かったあたりで彼は止まった。そして、籠を体から離してひっくり返す。

 中身は灰色の砂のようなもの。

 彼のまわりの海が濁り、しばらくして何事もなかったかのように透き通った。

 当の彼はというと、大海原に散ったそれを苦々しい顔で見ていた。

 パッと目が合う。

(げっ)

 なぜかお互い同じリアクションをしていた。

 

 □■□

 

 それぞれ時間をずらしたのか、あれ以来彼を見かけることはなかった。

 彼の方はどういう事情か知らないが、私が見られた日には毎朝死体遺棄している奴になる。

(よし、今日もいない)

 安全を確認し、私を海へ放り込む。

 その時、ちょうど、バッチリ。

 彼が林から出てきていた。

 

 

(どうしよう……!)

 お互い絶句した顔をしていた。

 そこから動き出したのは彼が先で、まさかと思ったそのまさか、こちらへ向かってきたのだ。

(人を呼ばれる前に逃げなきゃ)

 家中を駆け回って最低限の荷物を鞄に詰め込む。

 いや、誰も殺してないし多分悪いことはしていないはずだけれど。あれは私だし。

 ただ遠目から見たら私が私を捨てていたなんてわからないだろうし、説明したところで意味不明だ。私だってよくわかっていない。

(この辺りの小屋はここだけだ、早く出ないと)

 急いで扉を開けた。

 彼がいた。

「きゃああ!」

「わああ!?」

 戸を閉め、施錠。

 窓から飛び出す。ぐきっ、と変な音がしたけれど無視して足を動かした。

「あ! ちょっと待って! 誤解だ!」

 しかしもちろん、そんな状態で逃げ切れるわけもなく、あっさり腕を掴まれた。

 ああもう、終わりだ。

「もしかして、君か!?」

「は?」

「海に投げていたものだよ!」

「……え?」

「僕もなんだ!!」

 

 

 丁寧に丁寧に、包帯が足首を覆っていった。

「君の方が長いんだね」

 私に手当てを施す彼は、最近自分が死に始め、わざわざ火葬して灰を海に撒いていたらしい。

「そのままにしてたら、普通は人殺しだと思われるから」

「悪かったね、普通に目撃される可能性を考えてなくて」

「そんな意味じゃないけど、ごめんね」

 彼は眉を下げて笑う。

「明日も来るよ」

「は?」

「その足じゃあ、明日の君は今日の君を運べないだろう?半分くらい僕のせいだし」

 もう半分は自爆だって言いたいのか。そうだけれど。

「変なことしたら海に落とすわよ」

 

 □■□

 

 見ず知らずの男なんてせいぜい朝しか上げれないし、新しい郊外に引っ越してやろうと思っていたのに。

 私の足が治った途端、彼が利き手を火傷して、代わりに食事をつくるハメになったり。

 本物の殺人鬼がこの辺りに逃げ込んだと報せが出て、仕方なく彼の家に避難したり。

 気がついたら、こんなヤサ男と毎朝自分たちを片付けていた。

「昨日も丸一日、君と居たね」

 丸一日、一緒に過ごした二人を海に投げる。

「私たちも、明日の私たちに同じこと言われるわね」

 彼は私よりよっぽど上品にくすくす笑った。

「そうだね。明日も居たいね」

 ふと、疑問と不安が混ざったものが湧く。

 明日の私たちは、今日の私たちと本当に同じなのだろうか。

 たしかに記憶は途切れずに存在している。

 しかし、この、世界を見ている“目”は同じなのだろうか。

「どうしたの?」

 彼が心配そうに覗き込んで来ていた。

「……なんでもない」

「そう?じゃあ帰ろう」

 “私”は彼に、また明日会えるのだろうか。

 

 □■□

 

 目覚めると、昨日の私と彼だけが横たわっていた。

(……あら、珍しい)

 トイレかしら。いつもなら私が気付くのに。

 そして、私はやっぱり“私”で、今日も世界を見ていた。

 これが記憶なのか自我なのかはわからない。

 彼より先に眠気が戻ってきた。

(二度寝しちゃおう)

 難しいことを考えたせいで、気持ちがひどく疲れていた。

 

 

 日はとっくに登りきっていた。

 昨日の私は海に運べたものの、彼はとても持ち上げられない。

「もう、どこ行ったのかしら」

 サンダルを引っ掛けて、上着も着ずに家を出る。

 出会った頃に私が住んでいた家、季節外れの花見をした丘、夕立をしのいだ大木、彼が灰を撒いていた海辺。

 どこにも彼はいなかった。

「ったく。明日、二往復するハメになればいいんだわ」

 あたりが真っ暗になった頃。彼に、一人で出歩くなと叱られた時間。

 家に帰って電気をつける。

 汗だくの私を、未だ横たわったままの、昨日の彼が出迎えた。

 ふらふらと側に膝をつく。

 電球が寿命だったようで、たまに復活するも、だんだんと明るさが弱まっていった。それも手伝って、彼の顔が見えにくかった。

(今日も一緒に居たいんじゃなかったの)

 本当はわかっていた。

 涙が目だけではなく、喉と鼻にまで流れて息苦しい。

 思い出が勝手に頭の中を駆け巡り、煽ってくる。

 まるで走馬灯だ。

 私も彼と同じようになるのだろうか。

 むしろ、今日の私は今日で終わりたい。この病のような体質が初めて救いに感じられた。

(明日の私に、私を一緒に片付けてもらおう)

 側に丸まって、冷たい彼にくっついて目を閉じた。

 

 □■□

 

 快晴の空に負けない青の海。波が岬にぶつかる音が穏やかに響く。

「よっ、こい、しょっ」

 リズムをつけて、私は私を投げ込んだ。

 今日の私は電球を替えても、まだ彼は片付けられなかった。

(明日の私に、私を一緒に片付けてもらおう)

 いつか、私は、彼を私と一緒に片付けられるのだろうか。

 “私”にはわからなかった。